第3話  やってられない



    束で放り込まれる信頼を集めて (バイト1)




 みんな出かけて静けさの漂うアパートの廊下に、静粛を破ってけたたましくピンク電話が鳴った。電話の向こうに聞こえてきたのは目覚めには似合わない声だ。

「おはよう、ヒロ・・元気・・同級会は楽しかったね」

「ああ、おはよう・・しんちゃん、どうした・・朝からずいぶん元気じゃないか」

「何言ってるの、もう九時よ・・ううーん、あのさーバイトしない?」

「・・・・」

「昨日、有川から電話があってさ、いやな奴からだけど、ちょっと条件が良いんでどうかなって思って」

「それで?」

バイトは昼飯付きで一日六千円、かなり割のいいバイトだ。どんな仕事か尋ねると、ある選挙の手伝いということだった。それで有川は人を集めているから、ヒロや森にも声をかけてほしいと頼まれたようだ。

 有川には、ライターの詐欺や池袋のネズミ講のことがある、それから考えると選挙とはかなり真面目な仕事だ。 ところで有川の本当の顔は、実際どんなことをやっているのか益々興味がわいてきた。


 木曜日の朝、指定された時間に日暮里の駅に着くと、森君としんちゃんも来ていた。

「よーっ、これだけ・・」

「ところで有川はどこにいるんだ?」

 遅れて、通りを横切って有川が現れた。

「やーみんな、今日はよろしくお願いします」

「おい・・何やるのよ?」

「今から行くところで説明があるから」

「危ないことするんじゃないだろうな」

 ヒロが勘ぐりを入れた。

「大丈夫だよ、まずはついてきな・・」

「誘ったのはおれたちだけか?」

「んまぁ、三人いればいいから」

 奴は、たぶん金の無さそうで、ごまかせそうな奴にターゲットを絞っていたんだろう。

 有川は、△△選挙事務所と大きく書かれた看板のあるビルに入った。 事務所は二階で、中は騒然としていた。奥の部屋では数人の女性が電話にしがみついている。

 隣の部屋にはヒロ達と同じようなバイトが二十人くらい集まっていた。 椅子に座って待っていると、背広姿の髪の薄い脂ぎった男が前に立って説明を始めた。

「おはようございます。今日はご苦労様です。 ・・今日、皆さんにお願いしたいのは、各自の目の前にありますチラシの配布です。チラシは、見ればおわかりの通り、今度○○選挙に出馬した△△氏のものです。 本来であれば△△が皆様にご挨拶するところでございますが、もう朝から町内を回っておりまして、よろしくという旨を受けております」

「本当によろしくお願いします。 それでは正面に選挙区の大きな地図が貼ってあります。 皆さんは本部の地図の区分けに従って、そのチラシを各家庭に配布してほしいと思います」

「チラシは一人、六〇〇枚あります、今日中に配布よろしくお願いします。 なお、各家庭に入れるときには『今度○○選挙に出馬した△△氏です。 よろしくお願いします』と言って配布して下さい。 よろしくお願いします」

「なお、午前中配布したら、昼頃またここに戻って昼食をとって下さい。 そして、午後の配布がすべて終わり、チラシがなくなりましたら、戻って配布料を受け取っていただいて終了です。 どうか選挙ですので気合いを入れてよろしくお願いします。 また、明日も同じようにお願いします。 以上です」

 それぞれの前に置かれた六〇〇枚のチラシを見て、誰もが選挙の指揮を執る人の意気込みとは裏腹に、うんざりした様子だ。確かにかなりの枚数だ。チラシの上に区分けした地図が載っている。 一人立ち、二人立ち、それぞれの地区へ散っていった。 ヒロ達も重いチラシを紙袋に入れると街に出た。

 各家を回る、アパートは部屋数の分だけあるはずだが、一階の出入り口に郵便受けが集中しているとは限らない。それぞ部屋毎だと階段の上り下りだけで汗だくになる。

 突然、ある家では。

「△△氏の公約は何ですか? W大学卒業って書いてあるけど何回生ですか?」

「卒業は七十五回生で、公約は日ソ漁業協定を日本に有利にすることだと思います」

 かなり適当なことを言って、疑問を持たれる前に、逃げるようにその場を離れる。 ヒロはなかなか減らないチラシにうんざりし始めた。 まずは飯を食べてからにしよう。

 事務所に戻る途中、ライバルの◇◇さんの街頭演説に出くわした。 けっこう人が出ていて人気がありそうだ。 近づいていくと、一般の人たちに混じって、いかにも悪そうな輩が、けっこうの数で聴衆のじゃまをするように歩道にしゃがみ込んで煙草を吸っている。

ヒロは(これじゃ大変だな)と思いながら事務所に戻った。

 しんちゃんも博士もすでに帰ってきていた。 残っているチラシの量はみんなあまり変わりがない。 隣で飯を食う日焼けした男のチラシは残りわずかだ。 やはり精悍な顔つきだけあって、すごい勢いで配っているのだろうか。 ヒロは彼に顔を近づけると、どうやって配っているのか聞いてみた。 彼は表情を変えずに前を向いたまま。

「こんなのばからしいし、誰が確かめんのよ・・そこは適当に一軒に十枚くらいずつ入れるのさ、とりあえず、飯と金が手に入ればいいんだから」

 ヒロは、何だか肩の荷がすーっと軽くなるの感じた。 午後は、日焼け男の極意を胸に、午前よりさらに張り切って出かけることになった。

 区割りに三人で移動しようとしたとき博士が。

「よし、あの兄ちゃんのように適当にやって早く終わらせよーぜ、じゃ三時にここでまたな」

 三人は有川のことは気にせずに、とりあえず六千円を手に入れることだけを考えた。 がんがん配布してばんばん減って、あっという間に終わった。 三人は無事六千円を手にしてそれぞれ、ちょっと満足して、ちょっと罪悪感を引きずって帰りの電車に乗った。

 森君が「ずるして悪かったなぁ。有川は嫌いでも、立候補した△△さんには恨みも辛みもないからな」とぼやいていた。 この辺が普段、仲間から天才博士と言われながらも、なんか身近で良いも悪いも超越したようなところがあって憎めない愛すべき存在であった。

 帰りの電車でしんちゃんが六千円の入った封筒を目の前にぶら下げて。

「有川ってさ、俺たちがみすぼらしくみえるから選んだんだね・・慈善事業のつもりかね」

「まあ、そうだろうけど・・実際におれ、金ないしね」

「奴は朝に見たきりだよな」

「何やってんのかねぇー」

 徐々に有川に不審な目が向いた。 ヒロはライター詐欺や池袋のネズミ講のことを二人に話そうかと思ったが、有川に直接聞いたわけじゃないから、はっきりとした確信が無くて切り出せないでいた。


 次の日、三人が選挙事務所に行くとチラシがすでに六百枚用意されていた。 そして三人はそれぞれ持って街に出かけた。ヒロは昨日の通り配布をはじめた。 街ではそれぞれの立候補者の街頭演説や車両からの選挙活動が賑やかに聞こえてくる。 ヒロが担当の区域を回っていると、細い道から広い通りに出る角にある小さな公園の入り口で有川を見かけた。

 いかにも柄の悪い二人組に何か話して封筒を渡していた。 一人はきっちりとリーゼントできめていて、もう一人は目のぎょろりとした奴だった。 二人は封筒を受け取りながら二言三言確かめるように話すと有川と別れた。 有川はその場から急ぎ足で離れていった。 二人の暴走族もゆっくりと公園を横切ると、道の向こう側に止めてた車に乗り込んだ。 そしてアクセルを吹き上げて爆音をまき散らして走り去った。

 午後になりチラシの手持ちも、あとわずかな枚数になってきた。 しんちゃん達との待ち合わせの時間まであと少し、一気に掴みあげると目の前のアパートの各部屋に六・七枚ずつほおりこんだ。急いで待ち合わせ場所に行くと、すでに森君が来ていた。

「早かったな、しんちゃんはまだか」

「ああ、もう直ぐ来ると思うよ」

 二人で通りのガードレールに腰掛けていると、目の前を選挙カーが通り過ぎる。 歯切れの良いウグイス嬢が晴れやかなアナウンスをふりまいていく。 選挙カーは△△さんと張り合っている◇◇さんもので、ゆっくりと走るその直ぐ後ろに暴走族の車が空ぶかししながらついてくる。道行く人も顔をしかめている、どう見ても非常に印象の悪い光景だ。

 選挙カーが左によって道をゆずっても、追い抜いていかない、左に寄せて選挙カーからそれほど離れていないところに止める。 選挙カーから人が降りて来て困った顔で族に何か話しかけた、族は無視したように目のぎょろりとし奴が車から降りてきて自動販売機でゆっくりとコーラを買った。 ヒロはその車と降りてきた男を思い出した。

 ヒロは今まで見てきた族の話しを森君にすると、森君が「計画的な妨害だなぁー」と唸った。

「やあーお待たせ・・」

「お疲れ様・・」

 しんちゃんが額に汗を滴らせて現れた。三人はその場を離れ事務所に向かったが、森君は離れる最後まで族の車を怪訝な顔で見ていた。

 帰りの電車で森君が、妨害していた暴走族の車に乗っていた男を知っているような気がすると言いだした。ヒロとしんちゃんは「まさか、似ている奴はいるけど知り合いじゃ無いよ」と暴走族と言うこともあって完全否定した。話はそれまでになった。

 ヒロ達は池袋で食事をすることにした。古ぼけた赤提灯の店に入ると、もつ煮をつつきながらしんちゃんが切り出した。

「有川も落ちたね・・もちょっとまともなことやっていると思ってたよ」

 すると博士が辛そうな顔をして。

「そもそも奴が壊れたのは三年前さ・・奴は高校に入って直ぐにギアを変えられなかった。 努力なくして向上は無かったのさ・・奴は自分に負けたんだ」

 そして、彼は彼が見てきた有川の高校時代の様子をとぎれとぎれに話し始めた。 奴はいかがわしい連中と付き合いがあったようだ。 点数で評価される高校で、しかも高いレベルで選別されて入学してきた奴等と競い合うことに苦しんだ。 そうしているうちにいつしか奴の足は学校から遠のき、別の世界で仲間を見つけ、昔の友達と会うときは嘘で自分を固め、そしていつか自分の嘘が本当になっているようなところがあった。 やがて、卒業して行き場の無くなった奴は、かつての輝いていた自分を取り戻そうとまた嘘をつく。 そしていつしかそれが今の仕事になったんだろうな。

 しみじみと話す博士の話は、引き返せない有川のもどかしさを憂いでいるようでしんちゃんもヒロも、それまでの有川を恨んでいた気持ちが何だか萎えてしまった。

 そんな変な同情めいた気持ちが湧いてきたころ、それまでしんみりと話していた森君が突然スイッチが入ったみたいにすごい形相で怒りはじめた。

「でも、絶対に許せないことがあるんだ・・奴は上京して間もなく、同級生の女の子と同棲を始めた・・許せないんだ。誰が何と言ってもおれは許せないんだ。」

 森君の顔がこわばり目がきつくなってきた。 しんちゃんとヒロは何が起きたのか分からず博士の顔を見つめると、握りしめた拳が震えている。

「あの子は三年生の秋にお父さんを病気で亡くしたんだ。 彼女は当たり前のように経済的理由で進学をあきらめた。 そして卒業と同時に就職して上京した。あの高校は進学校でほとんどが大学へ行く、就職するのは滅多にないんだ。 だから彼女は寂しかったと思う、どんな気持ちで周りの進学する友達を見ていたか・・・・」

「有川はそんな彼女に偽りの同情と傷心を癒やすようなあまい言葉で易々と近づいた・・あんないい子が、本当にいい子だったんだ、それがあんな屑みたいな男にめちゃくちゃにされて・・ちきしょう彼女の人生をこわしやがって・・」

 森君はさらに拳を強く握りしめてテーブルをたたいた。しんちゃんとヒロは森君の肩を押さえてなだめた。それでも森君は震えていた。

「そんな屑男のもとでバイトしている、このおれがもっと情けない・・くそっ」

 森君は震えながらさらに声を荒げて話しだした。

「今日だって暴走族の車から降りてきたのは鈴木だよ・・ほらあの鈴木だよ」

 酔いにまかせて荒れる森君は、何度も鈴木を口にした・・たまらずにしんちゃんが。

「どこの鈴木だよ?」と問いかけると、森君は顔を上げて意外と冷静に。

「ほら、中学でちょいと悪ぶっていた奴だよ」

 ヒロは記憶がゆっくりと蘇った、そういえばそうだあの目がぎょろっとした風貌は鈴木に間違いない。 最近、雅人が言っていた鈴木だ。 ヒロははっきりと鈴木を思い出した。 そしてなんで有川が鈴木とくっついているのか、ヒロはとまどい、有川に対する疑問は深くなるばかりだった。





     信じ込ませて (バイト 2)



 車の中で目のぎょろりとした男は、ハンドルと握るリーゼントの男からせかされている。

「おい、早くしろよ」

「ちょっと待て、今煙草を入れるから」

 マッチ棒が半分近く入ったマッチ箱に、火のついた煙草を消しもせずに入れると、そのまま朝のゴミが高く積まれているゴミ集積所に車の窓から放り投げた。

車は急いでその場を立ち去った。 数分後マッチ箱から火の手が上がり、他のゴミへ燃え移っていく。 たまたま側を通り過た主婦がびっくりして大声をあげた「火事よー、火事よー」叫んだ。近所から住人が出てきてあわてて消し始めた。


空が高くさわやか朝、ガラスを通して差し込む陽ざしの中でヒロは新聞の三面記事に目を通した。 先日行われた区議会議員の選挙の投票について記事が載っていた。 この報道の下に最近日暮里のあたりで続いている放火事件が小さく載っていた。

 立候補した△△さんはだめだったようだ。 放火事件の方は、バイトした近所だ。 下の記事は、この数日間ごみ集積所が連続して放火されているというものだ。 その他の記事をゆったりと読み、静かに時間は過ぎて行く。 突然アパートのピンクの電話鳴り響いた。しんちゃんからの電話だ。

「おーい、この間はいろいろあったな、まあ投票が終わったようだしな」

「あー、それで△△さんはどうかね」

「今日は何?」

「また、バイトなんだけど、どうかな」

「また有川からか?」

「ご名答・・」

「なに・・ほんとうか・・・・」


  ヒロが集合場所に着くともうすでに有川が待っていた。

「なんだ今日は早いんだね」

「前回は声もかけずに分かれたからな・・」

「あー、それより△△さんはどうだった」

「ああ、もう少しのところだったけどな、残念だったよ」

「まあ、選挙はいろいろなことがあるよ・・彼はまだ若いから次があるよ」

「ところで、しんちゃんの電話では、今日は防災関係のバイトだと言っていたけど、具体的に何するのよ? 怪しい仕事じゃないだろうね」

「大丈夫だよ、今日の仕事も△△さんの会社がやっていることだから」

「彼は日本の将来を担う立派な人で、人助けの仕事をしているのよ、おれはもう心酔している分けよ・・まあー今から事務所に行くと分かるよ」

 有川の口からでた人助けと先日の詐欺は、相反するもののはずだ。 ヒロはちょっと間をおいてから思い切って気にかかっていることを聞いてみた。

「おい・・お前、鈴木って知ってる。 この間近くの通りでそれらしき顔を見たような気がするんだけど」

 有川はその瞬間下を向いた・・次に顔をあげると薄い唇が笑ったように見えた。

「鈴木って誰よ・・」

「中学の同級生の鈴木だよ」

 有川は考え込み、ちょっと間をおくと。

「やっぱり思い出せないな・・」

 そこへ森君としんちゃんが来た。有川はこの時とばかりにヒロとの会話から逃れて、事務所へ急いだ。

 今回も前の事務所ビルに集まった顔ぶれを見ても前回とそれほど変わりはしなかった。 そしてまた先日と同じ額の脂ぽい人が説明をはじめた。

「今日は、遠いところからもわざわざ来ていただきましてありがとうございます。今日やっていただきますのは、目の前にあります『表札』を売っていただくことです」

「この『表札』は、火事とか災害が起こったときに、誰が住んで、どんな人が同居しているのかを迅速に判断するために必要な物です。 そのあたりを強調しながら、人々の安全についての商品であることを十分に理解していただいて、売るときは、消防署の方(ほう)から来た者です。 と言って今の説明をして、一枚三千円で売ってください。 あくまでも消防署の方(ほう)から来た者です。 を強調して下さい」

「なお、一人十枚を売るように頑張ってください。 売り上げた現金は昼食時と、帰りに回収します、最後に枚数と売上金を合わせて残りの品を回収し、バイト代を受け取って終了です。ではよろしくお願いします。」

 今回はしんちゃんと博士の三人一組で合わせて三十枚の売り込みだった。 また、有川がいないことに気づいた。 部屋の奥を見ると、隅の方で関係者と談笑している、やろうは何やっているんだろうか? 三人はとりあえず、表札の入った紙袋を持ち上げると出かけた。

「おい・・前のようにいい加減じゃ駄目だよな」

「これじゃ捨てることもできないしな」

「本当に消防署でこんなもの推奨してるのかよ」

 いかにも安そうなブリキでできた表札を見て、(売れない)と思った。三人でぶつぶつ言いながら歩いていると、突然しんちゃんが立ち止まった。

「ほら見なよ・・あれ有川じゃないか?」

通りの向こう側にある喫茶店の窓際に腰掛けているのは間違いなく有川だ。 三人はなぜか彼から見えないように車の影に隠れた。 すると森君が路地から鈴木とリーゼントの派手な奴が歩いて来るのに気づいた。 鈴木とリーゼントは喫茶店に吸い込まれて有川の席についた。

「今朝さ、有川に鈴木って知らないかって聞いたら、きっぱりと記憶にないって言っていたな・・」

「ふーん何かあるな」

 疑問を持ちながらも、隠れたままで監視し続けるわけにもいかず。 とりあえず表札を売ることにした。

 一軒目はじゃんけんで負けてヒロが入ることになった。 ヒロは深呼吸すると玄関のチャイムを押した、中から声がしてちょっと時間をおいて、小さな子どもをだっこした奥さんが出てきた。

「あの、あの、あのー、消防署の方(ほう)から来た者です。 このほど火事とか災害が起こったときに、誰が住んでいて同居人は何人なのかを迅速に把握するために、この表札を見えるところに出して欲しいと思います。 この表札三千円なのですが、お願いします」

「あーそうですか、消防署の方(かた)ですか。 最近、近所で放火が多くて物騒ですしね・・消防の方も大変ね・・あーちょっとお待ち下さい」

 奥さんは一旦奥の部屋にもどると財布を持ってもどってきた。 ヒロは下を向いたまま代金を受け取ると、袋に入った表札を目線を合わすことなく手渡した。 小声でお礼を言って玄関を逃げるように出た。 扉を閉めると全身にびっしょり汗をかいていた。 動悸がしてものすごい罪悪感が湧き上がってきた。 (もう二度とやりたくない)胸をかきむしるような辛さがとめどなく押し寄せる。 そんなヒロを見ていたしんちゃんと森君が、さらにしぼんでいくようで、三人は公園で顔つき合わせて気持ちの整理をした。

「詐欺だよな、絶対詐欺だよ・・だって消防署の方(ほう)から来た者と消防署の方(かた)とは違うじゃん」

「消防署員と思わせる詐欺だよ」

「でもよ、消防署の方角から来たと言ったら詐欺じゃないんだろう」

「相手にそう思わせる手口じゃないか、もうおれにはできないし、やりたくないよ」

 三人は自分たちがしている詐欺行為を思うと自分自身が情けなくなってきた。そして、さっきお買い上げていただいたお宅に行って事情を言って誤って、事務所にこの表札をもどして帰ろうということに決めた。

 まずは、ヒロは勇気をもってさっきのお宅におじゃました。 そして事情を話すと、奥さんはびっくりした顔をして話を聞いていた。 ヒロはまた大量の汗をかきながら一生懸命に分かってもらった。 三千円を返すときさらに深く謝った。

 子どもを抱いたお母さんは、はじめはあっけにとらわれていたけれど、事情を飲み込むと理解してくれた。 玄関を出るとき、ヒロの気持ちはちょっと晴れた。

 しかし、三人はどうも腹の虫が治まらない。 有川は人集めだけして実際に悪いことは何もしないで笑っている、そんな奴が気にくわなかった。 何よりも友達を悪の道にはめたことだ・・何か一泡吹かせなければ気持ちが晴れない。

 三人はとりあえず喫茶店に入って復讐を考えることにした。 森君の提案では暴露の手紙を書いて、警察か消防署に届けることにした。 喫茶店から紙とペンを借りると博士が文面を検討してしんちゃんが告発文を書き出した。



  手紙の文面

       ーーーー 注意、注意、ご注意 ーーーー

 この消防署の周辺で、消防職員と偽って、詐欺まがいの行為が行われています。

 まず、消防署の方(方角)から来たと言って、消防職員であると信じ込ませます。

 その後、防災のためだと言って、あくまでも消防署の指導と思わせるような説明をして無意味で粗悪な表札を三千円で売りつけます。

 このようなことが許されるのでしょうか? 早めに対処しないと、被害が拡大します。そして、もっと大きな犯罪の臭いもします。

     N○T△ビル二階で作業する見るに見かねた内部を知る者より




 文面が完成した。三つ折りにすると、喫茶店からもらった古い封筒に、分かるように宛名を警察・消防署へと書いた。 しんちゃんが封筒をポケットにしまった。

 喫茶店を出て三人は昼食のため、早めに事務所に戻った。 食べ始めると、朝、説明した三十歳くらいの背広の男が近寄ってきた。

「みなさん、だいぶ品物が残っているようだけど、調子はどうですか」

「ええ、まあ、何件か当たったんですけどね。・・練習と思って午後に勝負をかけるつもりですよ」

「まあ、はじめてだと相手があることですからちょっと難儀するかも知れませんね」

「結構、相手がどう反応するかによって、対応しなければならなくて難しい面もありますね」

 なんだか嫌らしい感じのする話し方に吐き気がしてくる。 男はさらにポイント押さえて念を押すように。

「だから、『消防署の方から』っていう言葉が大事になるんですよ、頑張って下さいね」

「分かりました」

 とりあえず急いで昼食をかきこむと、三人は公園に向かった。袋の中に全部の表札を入れ手紙も入れた。 袋には「駅前N○T△×ビル」と書いてある、ただし袋の中から表札を一枚だけ抜きとっておいた。 そして、そのまま公園で一時間くらい時間をつぶすといよいよ実行することにした。

 三人は少しどきどきしながら事務所に向かった。森君と袋を駅前に残して、しんちゃんとヒロは、事務所にもどった。 二人は階段をけたたましく駆け上がる演技をして、息をひーひーいわせながら、背広の男に訴えた。 「盗まれました、三丁目の所で三人で売り込みに入ったところ、道に置いていた表札を盗まれてしまいました、申し訳ありません。今、もう一人が探してます」

 ヒロとしんちゃんはそう言いながら、売り込みをしていた残った一枚の表札を差し出した。

「申し訳ありません。 ごめんなさい。 ごめんなさい。 申し訳ありませんでした」

 それを聞いた事務所の背広の男は、顔を曇らせて焦った様子で。

「んー、早く探しに行けー、早く」

 と大声で怒鳴った。

 ヒロとしんちゃんは、はじかれたように事務所を跳び脱した。

 二人が事務所を飛び出してくる様子を、通りの向かい側で見ていた森君が行動を開始した。

 近くの交番の前をゆっくりと二往復して、交番の中に警察官が居るのを確認した。 そして、警察官からわずかに死角になる所に、例の袋を置き去りにした。 三人はそのまま公園に行くと、公園でゆっくりとくつろいだ。後は警察がしてくれるのを待つだけだった。 三時過ぎになった、三人はうなだれたポーズをつくって事務所に戻った。

 事務所は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

「誰だ、ばらしたのはー、警察に流したのは・・」

 有川が大声を出して騒いでいた。売り込みを終わって帰って来たバイトにひとりひとり疑いの目を向けて騒いでいた。 三人はうなだれて。

「申し訳ない。 無かったよ・・」

「見つかったよ・・それも拾いものとして・・しかもご丁寧に内情を話していったらしい」

 奴もかなり怒っているようだ。 森君がわざとらしく。

「見つかったのか」

 三人とも見つかって良かったという、安堵したような顔した。

「有川・・本当に申し訳なかったな、心配かけちゃって」

 三人はあやまった。有川はあきれた顔をして。

「お前達はただ盗まれただけだ・・悪いのはなあ・・内部の事情をちくった奴だ。 今、うちの責任者が警察に呼ばれて行っている」

「お前ら、めんどうに巻き込まれる前に早く帰ってしまえ・・」

 執行部はつっけんどんに三人にいいながら、バイト代の入った封筒を押しつけてきた。

「こんな状態だから、全額は払えないけど、半分は入っている・・・・早く行け」


      *


あの事件以来二週間が過ぎた。 新聞には架空表札詐欺事件として小さく取り扱われて載っていた。 ヒロはアパートで苦いコーヒーを飲みながらその記事を読んでいた。 (事件は架空の表札を営利目的で騙して販売したとして捜査し、関係者を厳重に注意したとあった)事件はその暗い奥底まで調べられておらずに終了したようだ。 ヒロの中で、一度は騙した若いお母さんの顔が浮かんできて、なんだかすっきりしない不満がふつふつと湧き上がってきた。

そして、有川らを率いる選挙にも立候補した△△氏の腹黒さやそのいい加減で罪悪感に満ちた人間性が透けて見え、さらにこの輩がいつか為政者としてもてはやされて、人々の舵を切っていくのかと思うと、社会に対して言い知れぬ絶望感を感じざるえなかった。 そんな感慨にふけっていると、ドアがノックされた。

「いる?」

「あっ・・はい」

ドアが開いて顔を出したのは、アパートの隣の加藤さんの部屋によく来ている冬木さんだった。スパゲッティを作るのでフライパンを貸してほしいとのことだった。

「どうぞー」

 フライパンを手渡すと、彼はフライパンを受け取っても動かない。

「他になにか?」

 彼は何か話したそうにしている。ヒロがにたっと笑ったら、それを合図かのように話し出した。

「実は、今人手不足でさ、君バイトしない? 君は優しそうだし、真面目そうだし、そして暇そうだし・・どうかなぁ」

「えっ」

 唐突に言われてびっくりした。 なんだか意表を突かれ何とも返事に困った、すると彼もこの雰囲気を感じたのか話題を変えて、自分のことを話をしだした。

 冬樹さんは福岡出身で東京に来る前は名古屋で何年かホストをしていたという。今は、主に目白の駅前にあるイタリアンの店に勤めていて、隣の住人、ミュージシャンの加藤さんのお手伝いを時々しながら、色々助けられながら生活しているという。

 彼の話の中でヒロは初めてホストという職業を耳にした。なんだか、それまでの話の流れから、どうも女性を楽しませる仕事だということが分かった。

 冬樹さんはヒロがびっくりしたような顔をしているので。さらに付け加えた。

「バイトは別に毎日じゃなくていいんだ。店が忙しくなった時の応援というか、君の暇な時だとかでだけでいいから・・どうかな」

「お手伝いですか・・できる時でいいのであれば、いいですよ」

「よかった・・君のような真面目でいい人であれば、店のオーナーも気に入ってくれるよ、早速、打ち合わせもかねて明日店に来てくれるかな」

 こんな調子で、イタリア料理店ジャークでのお手伝いバイトは始まった。


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