1-5
ゆっくりと地に崩れ落ちるリリアーナ。
僅かな時間、硬直してしまった。しかし恭弥はすぐに身構え直し音のした方へ振り返る。そして、絶句した。
何が起こったか把握できていないかのように唖然としている百合。その傍らで、リリアーナが倒れていた。
そこから10メートル程離れた位置に、銃声の主と思われる者が立っていた。
そしてユディトはというと、その襲撃者に対して今まさに肉薄しているところだった。
彼女の運動能力が披露されたのは初めてだったが、これもまた筆舌にしがたい程に高い。
驚異的な瞬発力は瞬きの内に距離を詰める。しかし敵はユディトが振り上げた脚を素早い身のこなしで回避してしまった。
加えてそのまま敵が反撃に出てきたので、ユディトは後ろに飛びのき再び距離を取った。
周囲の人間が自分達を取り囲むよう集まってくる。
「おいユディト、もしかしてあいつが……!」
「ええ。S2型1号機、カーリーです!」
破壊と修正のAIを持つEvo。遂に相まみえた。
身長はユディトよりも高く、顔立ちも美しさというよりは凛々しさが際立つ造形だ。紫の髪をたなびかせながら、じっとこちらの様子を伺っている。
「久しいな、妹よ」
「ええ。ですが、残念です。このような再会となってしまうとは」
「ふん、お前は案の定飼犬に甘んじることにしたようだな」
その声音には、僅かに憐憫の情が含まれているような気がした。
しかし……と、カーリーは続ける。
「私は与えられた機会を使い、必ずあの方の命令を果たす。邪魔をするな」
「ならば私も同じく命令を遂行します。あなたを捕縛することによって」
言うが早いか、ユディトは腰に下げたハンドガンを引き抜き発砲する。
この銃はユディトに与えられた特注で、実弾は出ない。その代わりプラズマを弾丸に変換し射出する機能を持ち、特にEvoを始めとする機械相手に威力を発揮するという代物だ。
対するカーリーが持つ大型拳銃、所謂マグナムと呼ばれるそれは、リリアーナの損傷を鑑みるに恐らく実弾式だろう。人間が撃たれれば致命傷は免れない。
「おい、ここは危険だ! 早く離れろ!」
恭弥は声を張り上げると、集まっていた野次馬は蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
だが、百合だけはその場に留まり動かないリリアーナを必死に揺すっている。
「ねえ、起きて! 起きてよリリアーナ!」
「そいつはもう駄目だ! お前だけでも行け!」
「いや! リリアーナも一緒に連れていくの! リリアーナ、リリアーナ……あっ!」
百合が歓喜の声を上げる。
それまで仰向けに倒れていたリリアーナが、突然ゆっくりと起き上がったのだ。少女の懸命の祈りが通じたのだろうか?
否、現実というものはそう甘いものではない。
「危ない!」
恭弥は咄嗟に百合をリリアーナから引き剝がした。
彼の反応があと少し遅れていたら、いたいけな少女の首筋は引き裂かれていただろう。暴徒と化した、機械人形によって。
「゛ア、゛アァアアアアァ……」
ゆらり、と立ち上がるリリアーナの目は焦点が合っていない。先程まで百合を優しく見つめていた薄青色の瞳は、昏く変色していた。
「り、リリアーナ……? どうして!」
「゛アアアァアァアアア!」
もはやかつて愛した主の声すら届いていないのだろう。リリアーナは激しく体を揺らしながら襲い掛かってくる。
恭弥は彼女を蹴り倒し、拳銃で頭を撃ち抜いた。
「まさか! ありえない話でもなかったが、あいつらなのか……!」
突如理性を失い、暴れ出すEvo。恭弥はこの症状を既に知っていた。
彼はユディトと交戦しているカーリーに向かって叫ぶ。
「おい、お前! 明星の会に入ったな!?」
「……ほう。なぜそう思う?」
「簡単なことだ! お前が使ったこのウィルス、これを持ってるのは明星の会だけなんだよ!」
「ふっ……ご明察だ!」
そう言い放つと、カーリーは力の入った蹴りをユディトの脇腹へ打ち込んだ。
大きく吹っ飛んだユディトは、恭弥の隣まで転がってくる。
「大丈夫か!?」
「はい、損傷は未だ軽微です。ですが身体能力という点ではカーリーはこちらを上回っています。同条件下の白兵戦では分が悪いでしょう」
「畜生!」
恭弥はカーリーを睨みつけるが、眼力程度で彼女は怯む様子はない。
「そういきり立つな。我々は人間に危害を与える気はない」
「んなわけあるか。てめえらのやる事全部が迷惑なんだよ。『人類の復権』なんて大した建前並べやがって」
「建前などではない。私は彼らの信念に嘘はないと判断した。故にこうして力を貸している」
会話をしている内にカーリーの背後へ車が走り込み、甲高いブレーキ音と共に停車する。
窓は黒く塗られていて車内の様子は見えない。だが、開いたドアから中にいるらしき男の声がする。
「おい、撤収だ。早く乗れ」
「予定より早いな? 何があった」
「仲間が何人かサツに捕まった」
「なんだと? もしや……お前の手引きか」
カーリーがユディトを振り返る。
ユディトは何も言わず、銃口を向ける。
「まあいい。近い内にお前とはまた会うだろう。こうして私の前に立つ限りはな」
「おい、待て!!」
恭弥の制止など聞く筈もなく、カーリーが乗り込むと車は急発進して去っていく。
結局、その日も破壊されたEvoが何体も発見されたそうだ。
警視庁に戻った恭弥は、デスクの前で意気消沈していた。
「畜生が……」
瞼の裏には、リリアーナを喪って泣き叫ぶ百合の姿が焼き付いている。あの絶望の表情の鮮明さは、しばらくは消えそうにない。
ユディトはその隣で黙ってデータベースの整理などを行っているようだ。
「なあユディト。カーリーは?」
「追跡を振り切り行方をくらましたそうです。可能性は考えられましたが、やはり明星の会に籍を置いていたようですね」
「んだよ、知ってんのか」
「ええ。彼らについてのデータは閲覧しておきましたから」
明星の会。「人類の復権」をスローガンに活動している反Evo団体だ。構成員は少なくとも300名以上存在するとされており、非営利組織としては中々の規模だろう。
「しかし、俺はつくづくあいつらと縁があるみたいだな……」
恭弥はうんざりしたように天を仰ぐ。
「どういうことですか?」
「……お前と組む前に、あいつらとは一悶着あったんだよ」
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