1-6
あれは二か月ほど前の事件だった。
昨今では実務だけではなく娯楽の範囲でもEvoを用いる動きがあり、Evoアイドルもその活動の一つだった。
もともと人間よりも優れた容姿を持つEvoはアイドルという偶像には高い適性を発揮した。とはいえ文化としての年季はまだまだ浅く、彼女ら関連の大規模な催しは行われていなかった。
そんな風潮を変えたのがEvoアイドルの一人「レイン」だった。彼女はEvoアイドルとしては初となる全国ツアーを敢行し、今やトップアイドルとしての地位を我が物とした。
そんな彼女が次に選んだ舞台は武道館。レインは遂にアイドルとして最高峰の場所に辿り着いたかのように見えた。
しかし当然、Evoであるレインが手にした栄光を身に余るものだと憤慨する輩もいた。「明星の会」がそれである。その為、ライブは警察の全面警備のもと行われることとなった。
そして当日、会場の警備を担当していたのが恭弥だった。
予定通りにライブが進行する中、警察側の予想通り明星の会は攻め込んできた。しかし、その方法は未だかつてないものであった。
Evoの知能を奪い暴徒へと変えるというコンピューターウイルスを、明星の会は完成させていたのだ。
結果、会場は阿鼻叫喚の渦に包まれた。
組織化した布陣というものは想定外の事態にとことん弱く、抵抗も虚しく警備は破られるばかりであった。
そんな中、恭弥はレインを一人で守り切ってみせた。迫りくるEvoに手傷を負わされながらも、彼は一歩も退くことはなかった。
その鬼気迫る彼の勇姿を見届けた警察関係者は、彼を「武道館の英雄」と呼び敬意を表したのだった。
「俺がこの仕事任されたのは、この件で手柄を立てたからだろうよ」
恭弥はそう呟いた。
その声は自慢げでもなく、むしろ一抹の寂しさすら感じさせられた。
事件をきっかけに、周囲からの彼への評価は大きく変わった。血の気の多い問題児という扱いだったのが急にヒーローとしてもてはやされ出したのだから、正直困惑を禁じえなかった。
好奇の目で見てくる他部署の人間も、それまでの邪険な態度を途端に手の平返してきた上司も、恭弥にとってはどれも煩わしいものだった。一部、茨木のように今までと同じように接してくれる人間もいたが、そういった周囲のあからさまな変わりように辟易していた。ここ最近職務に身が入らなかったのは大仕事の反動以外にもそれが理由でもある。
「別に功績が欲しかったんじゃない。ただ目の前の市民を死ぬ気で守ってただけなんだがな」
「市民? レインが、ですか?」
ユディトが首を傾げている。
まるで恭弥の方が突拍子もないことを言ったみたいだった。そう思わせる程に、ユディトは反応に困っている様子だった。
「んだよ。そんなに意外か」
「ええ。Evoを市民と表現する方はほとんどいませんので」
「……そうか。だったらお前は、他のEvoのことを何とも思っていないんだな」
言うかどうか迷っていた本音が、ぽろりと漏れた。
迷っていた、というよりは無自覚だったものが表層に出た、という方がより正確かもしれない。
現にその言葉で彼は初めて理解したのだ。今日の襲撃からずっと胸に燻っていたものの正体を。
それは、彼女への疑念だった。
「お前、連中は人間と深い関係を築いているEvoを狙うって言ってたよな?」
「はい」
思えば、今日のユディトの行動には違和感があった。百合を交番に預けようとはせず、頑なに同行を続けていた。そしてリリアーナと再会した後も、すぐに捜査を再開せずその場に留まろうとした。
「あのリリアーナっていうEvoが標的にされることも予想してたんじゃないのか? だからあの迷子の子供に付き添った。合流して、囮にする為に」
恭弥はユディトの顔をじっと見つめる。
表情には焦りの欠片すら出ていない。後ろめたさなど無いのだろう。何故なら、彼女は常に最善の選択をしているつもりなのだから。
できれば、この問いには首を縦に振って欲しくなかった。いっそのこと取り繕って欲しくさえあった。だが、ユディトは嘘をつかないだろう。聞く者が心地よく感じるように作られたその声で、どこまでも正直に、そして残酷に事実だけを伝えるのだ。
「その通りです。リリアーナさんはオーナーとの関係性から、カーリーによる攻撃を受ける可能性が高いと判断しましたので。ですが、カーリーを取り逃がしたのは私の戦力不足の為です。申し訳ございません」
「んだと? お前なあ!」
あと少しのところで彼女の胸倉に掴みかかるところだった。
完全にずれている、と恭弥は思った。捕縛に失敗したことではない。許せないのは紛れもなく、市民を利用し傷つけたことである。
それは警察官として、何よりもしてはいけないことだ。
あまりの剣幕に、ユディトは目を丸くしている。
「どうしました? なぜ怒っていらっしゃるのですか?」
「っ! 畜生ッ、もういい!」
これ以上はユディトに何をしてしまうか分からない。恭弥は近くにあったゴミ箱を蹴とばすと、ズカズカとその場を後にする。今はただ、ユディトと顔を合わせていたくなかった。
恭弥がバディを組んだEvoと僅か数日で仲違いを起こしたことは、警察内でももちきりの噂となった。
そして四日経った今でも、両者が言葉を交わすことはない。
恭弥は朝夜の出退勤以外は部署に立ち寄らなくなり、連日外へ捜査に出かけている。その間ユディトは機械犯罪課のオフィスにぽつんと一人佇んでおり、時折職員に茶を淹れたり書類整理を手伝ったりして過ごしている状況だった。
このままでは何の進展も生まないと分かっていた。分かっていながら、今日も恭弥は外回りへ出かけようとしていた。
「せ、先輩……」
部屋の外へ出ようとしたところで、茨木がおずおずと声をかけてきた。
「いい加減許してあげてくださいよ。もう可哀そうで見てられないっす。ユディトちゃん、家にも帰れないでずっとここにいるんですよ」
「だったらお前が持って帰ってやればいいだろ。オーナーの同意があれば窃盗にはならねえからな」
「そ、それは無理ですよ……。総監に怒られちゃいます」
ユディトは普通のEvoではない。任務遂行にあたって特別に与えられた、いわば上からの「借り物」だ。それをいたずらに部外者の手へ渡らせてしまえば責任追及は免れないだろう。
恭弥は部屋の隅で静かに立っているユディトを見た。神妙な面持ちで、少し俯きがちに、まるで恭弥を待っているかのように微動だにしない。
誰かに話しかけられない限りずっとあの調子だという。
そんな姿を見れば、流石に不憫に感じるものだ。恭弥は思わず彼女に歩み寄ろうとした。だが――
「……ちっ!」
脳裏に蘇ったのは、家族を奪われ泣き叫んでいるあの少女だった。やはりまだ、ユディトを許すことはできないようだった。
恭弥は歯ぎしりすると、踵を返して外へ出ていくのだった。
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