夜摩天王《やまのあめきみ》
「ゴ〜ン!ゴ〜ン!ゴ〜ン!」梵鐘(ぼんしょう)の音が闇の中に鳴り響く。
その鐘の音は耳で聞いているのではなく、それぞれの頭の中で鳴っている。
体全体に響き渡る低音は、誰も耳を塞ぐことはできない。
人、鬼、亡者が一斉に空を見上げる。
すると「キィーン!」と耳を擘く音がして中空に小野祇邑が現れる。
衣服は水の中にいるかのようにひらひら舞っていた。色は付いておらずセピア色。小野祇邑は真っ直ぐ前を向いている。
「あれは、参議殿か?」源頼煌が訝(いぶか)しげに見上げる。
「文殊丸(もんじゅまる)様。あのお方は、もしや。」源頼煌のもとに集まった頼煌四天王も上空にいるのが小野祇邑ではないか半信半疑であった。
「ん?参議殿の隣に誰か。天女か?」渡辺喬綱が気付く。
小野祇邑の隣に天女が現れる。
「あなた、首謀者なんですから、立ち合いなさい。」天女が小野祇邑に耳打ちするが表情は変わらない。
「みんな〜!いくわよ〜!」天女は下界で見上げているもの達に語る。
襷(たすき)を取り出し、羽衣の袖や袂が邪魔にならないよう襷をかけると二の腕が露わになり、足元の裾をたくし上げると太腿が露わになる。
そして獄の変(ひとやのへん)の口上(こうじょう)が始まる。
「遠からん者は音にも聞け!近くば寄って目にも見よ!やあやあ、我こそは!夜摩天王(やまのあめきみ)なるぞ!控えおろう!」
天女こと夜摩天王がドスの効いた声で口上を始めると、人と亡者は片膝をつき頭を垂れ、鬼は土下座をした。
「天獄(あめのごく)、地獄(ちのごく)そして獄(ひとや)。
この鼎獄(ていごく)は誰が作った?
天が大地から離れ、大地から霊屋(たまや)が離れた!お前達は言うだろう。
この世界ができた時からある理だと!」天女は続ける。
「否!この世界は元は一つであった!天も地も霊屋もお互いを幾つしみ、共助し合い、極楽浄土の中にいた!
だが!ある日を境にこの世界は引き裂かれた!何故か?それは人が禁忌を冒し、神道具(かむとうのそなえ)を盗み!東嶽大帝(とうがくたいてい)の怒りを買ったからだ!」
天女が目を閉じ、昨日あった出来事のように語る。
そして目をカッと見開く「この世界になって万物は幾千年、幾万年生まれてきては、少しでも長く生きていようと姿形を変えてきた。
だが、奮闘虚しく必滅の理(ことわり)は覆す事ができない。
しかしその奮闘は今も尚、止まる事を知らない。
生まれしものは必ず滅する。
この理に対する怒り、苦しみ、虚無の心を超えなければ達観は訪れない。
煩悩に満ちた世界を脱し、鼎獄の苦しみから解き放たれたとき、真の極楽浄土の境地が開かれる…。
ってそんなまどろっこしい事出来るか〜!時間かかるし!」
天女は両手を広げ訴える。
「此処に鼎獄を統一し、極楽浄土を新たに建設する事を宣言する!」天女が続ける。
「鬼どもよ!我が分身よ!亡霊と共に人を滅ぼせ!鬼界山(きかいさん)より出(いで)、全ての海道を焦土と化せ!
亡霊どもよ!人の骸(むくろ)よ!人に取り憑け!体を乗っ取れ!鬼どもと鬼界山より出、全ての海道の人を憑(と)り殺せ!
人どもよ!東嶽大帝の分身よ!お前らは加護を受けておる。
よって。
鬼界山より出た鬼と亡霊を纏(まと)めて迎え撃て!
そして鬼と亡霊を滅ぼせ!
この鼎獄の覇者になり、神への拝謁が許されるのは鬼か、亡霊か、人か。
その方法を教えてやろう!」
天女は掌を正面に、右手の肘を折り親指と人差し指、中指を立て上へ、左手も掌を正面に下におろし親指と人差し指、中指を立てた。
「小野永子の御首級(みしるし)を持って参れ!その者が鼎獄の覇者となり極楽浄土を再興させるのだ!」
全ての口上が終わり、始まりの合図だけとなった。
「それでは皆の衆、
獄の変、
は〜じまぁるよ〜!」
天女が言い終えると空に暗雲が突如立ち込め、雷が一閃した。
「ドーン!」大地が震撼し、鬼、亡者、人が空を見上げると、すでに天女の姿は無かった。
小野祇邑も消えていた。
「ゴゴゴゴゴ!」すると大地が揺れ始めた。家屋が崩れ落ち。地面に立っていられない。
髑髏原の井戸から黒い煙が生き物のように這って出て来た。それは鬼と亡者を捕まえに来たのだった。
我に帰り頼煌武士団と鬼、亡者の両者が身構えた。
大地震の中、斬り合いが再開になる瞬間、髑髏原の井戸から這い出てきた黒い煙が鬼と亡者にまとわりつく。
1匹、1匹と髑髏原の井戸の中へ引きずるこまれる。牛鬼、鵺、鬼四天王も次々と黒煙に攫われていく。
鬼一法眼は抵抗する事なく、黒煙に身を任せ消えていった。
最後の最後まで黒煙に抵抗していた朱顛童子も力尽き攫(さら)われていく。
「ぐぬぬ。おのれ〜!この屈辱、西海道(さいかいどう)ではらす!」朱顛童子が言い残すと黒煙に引きづられていく。
鬼と亡者達がいなくなり、辺りは大地震の影響で家屋が倒壊し瓦礫と化していた。
その中に立ち尽くす頼煌武士団と陰陽師達がいた。
大激戦のすぐ後で誰も声を発せられなかった。
その中で発せられた獄の変の口上。家屋の崩れる音だけ響いていた。
源頼煌が振り返る。
頼煌武士団と陰陽師達が取り囲む。
源頼煌は武士団、陰陽師達の目を一人一人見回す。
「あいわかった。」漢たちの意志を汲み取った。
「皆の者!聞いての通りじゃ!これより西海道へ向け出立(しゅったつ)する。
我らの同胞!女子(おなご)の首を差し出せとは、どこまでも見くびられたものじゃ。
此処に臆病者はおるまいぞ!
儂の身命(しんみょう)に賭けて小野永子様をお救いたす!」
源頼煌が拳を突き上げる。
「オォー!」頼煌武士団と陰陽師達が声を上げる。
そこへ坂上大宿禰が現れた。
「大将軍!」武者と陰陽師達は坂上大宿禰を取り囲み片膝をつき頭を垂れた。
「皆の者!人は鼎獄を乗り越え、極楽浄土へ辿り着くことが東嶽大帝のご意志じゃ。
この獄の変を封じねばならん。
方法は分かっておる。悲しい事じゃが。
まずは鬼と亡霊を迎え撃つ。全軍を太宰府に集結させる…。」
坂上大宿禰が武者と陰陽師達に檄(げき)を飛ばす。
「我らはこの為に東嶽大帝から遣わされたのかもしれん。」
この後の悲しい結末に心を痛めていた。
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