第5話 彷徨う
事件後、あまりに大きな事件の当事者ということで、私はしばらく休職扱いになった。
「・・・」
部屋にポツンと一人取り残された私はなぜか、今すぐ死のうと思った。それがなぜなのか、自分でもよく分からなかった。ただ、それはどうしてもしなければいけないほどに強く、焦りにも似た衝動だった。とにかく死ななければいけない気がした。みんな死んだのに私だけが生きていることの違和感と罪悪感が、私に生きていてはいけないのだと囁き続ける。私はあの時一緒に死ぬべきだった。こんな私が生きていることは許されないことなのだと、そんな確信がどうしようもなく私を突き上げた。
でも、色々試したけど死ねなかった。精神薬をたくさん飲んだり、手首を切ったり、首を吊ってみたり、電車に飛び込もうとしたり、樹海に行ったり――、でも、死ねなかった。
人間はそんなにかんたんに死ねるものではなかった。人がかんたんに死ねるもののならば、そもそも私はとっくの昔に死んでいたのだ。
私は死に場所を求めて、旅に出た。とにかく家にはいたくなかった。
死にたい――、死にたい――、私の頭の中にはそんなぶ厚い暗雲のような希死念慮がグルグルと絶えず回っていた。私は死ななければならなかった。私は死ななければならなかった。それは絶対だった。
私は、どこをどう歩いているのか、ただ、漠然と死を求め彷徨った。とにかく、何かの答えが欲しかった。なんでもいい。何か答えが欲しかった。それが何の答えで、何を私が求めているのかも分からなかったが、私は、それを求めただひたすら彷徨った。
―――
どこをどう歩いてきたのか、私は広大な草原を歩いていた。アジアの奥地、そこには見渡す限り空と山と草原以外何もなかった。私はその真ん中を歩いていた。
私はこの時、水も食料も持っていなかった。普通に死ぬ状況だった。しかし、恐怖はまったく感じなかった。多分、私はここで死ぬのだなと、漠然と感じた。それだけだった。やっと死ねる。不思議な安堵感が私を包んでいた。(後に思うに、私はこの時、この後のことをどこか予感していたのかもしれない)
ふと顔を上げると、草原の真ん中に一軒の小さなお寺がポツンとあった。それが、どこか奇妙でいて、でも、なぜか必然なのだと私に伝えていた。私は何かに導かれるようにそのお寺に向かって歩いて行った。
「・・・」
中には一人の年老いた僧侶が座っていた。部屋には何もなく、ただ一人、薄暗い中にその僧侶が座っていた。
私は引き寄せられるようにその人の前に行き、対座するように座った。
「・・・」
彼は静寂そのもだった。周囲を覆う穏やかな静寂の中に彼はいた。静寂の中にふわりと浮くように温かい微笑みだけがあった。
「・・・」
僧侶は私を見、そして、何も言わなかった。微笑みだけが私を見ていた。
ただ一緒に座っているだけなのに、あれほどに荒々しく燃えていた私の心が、静まっていくのを感じた。そして、得も言われぬ安心感が、心の底から私を包み込んでいく。生まれて初めて味わう感覚だった。
「・・・」
私の人生に、こんな穏やかな心が訪れることなど想像すらしたこともなかった。しかし、それがあり得るのだと――、私はこの時知った。
「あの・・、あの・・」
私の頭は、今自分に何が起こっているのか分からず、言葉が出てこなかった。そんな私に、その人はただにこやかにうなずいた。すべて分かっている。すべて任せなさい。彼はそう言っていた。
胡坐を組み目をつむる。そして、呼吸をする。私はゆっくりと闇に溶け込むように私の中に入っていった――
深く深く――、体――、呼吸――、感覚――、様々な記憶――、思い出――、そして――、心の奥底の――、
ただ座る。それだけ。
しかし、そんな日々を繰り返していくと、不思議と今まで堪らなく苦しかった私の心は静まっていった。あれほどはっきりと感じていた希死念慮までが静まっていく。
「・・・」
私はそれから毎日、朝から晩まで、師匠に教えられた通り瞑想をした。私は深く深く自分の中を見つめていく――
落ち着いていく心――
しかし、何か、まだ、何かが――、何かが、おかしかった。心――。私の心の奥深く――、その底の底の――。
「あの・・、何かが・・」
私は師匠に訊こうとした。
「ただ見るのです」
しかし、師匠はそれだけを言った。
「ただ見る・・」
「ただ見るのです」
「・・・」
「何かを探ろうとしてはいけません。ただ見るのです」
「・・・」
「あるがままをあるがままに」
「・・・」
「ただ見るのです」
師匠の言葉はそれだけだった。
私はお寺の薄暗い本堂の真ん中で座り続けた。そして、それは突然来た。
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