第3話
「どうして警察がこんな場所にいるんだ?俺はもう自由の身なんだ」
古川信綱には二人の中年の男が警察関係者だと直感した。背が低い方の男は眼を逸らさずに睨んで来ていた。そして、もう一人は時々気味が悪い笑みを浮かべて、微かに口を歪めて、信綱を睨み続けていた。
もちろん、古川信綱は二人の男に面識はなかった。信綱は鈍感ではなく多分に神経質な所があり、しばらく収監されたことで警察関係者の人となりを敏感に感じ取っていたのである。つまり、推測であり、憶測であった。その推測、憶測は外れていなかった。
(まさか・・・観光に来ているわけではあるまい・・・事件か!)
そうも考えたが、信綱には何一つ思い浮かばなかった。ここは一旦引き下がろうかと考えたが、信綱はそういうことに対して意外と精神がしぶとく、けっして後には引かない気性があった。しばらく、館内を見ながら二人を観察するつもりのようだ。彼の目的は島根藩主から里崎長右衛門の何代か前の主に送られた短刀を見定めことであった。
小原警視正と三俣安五郎警部は九鬼龍作が狙っている縄文土器の前にいたのだが、
「警視正、ちょっと失礼します」
と言って、すすっと藩主の短刀の前にいる男に近付いて行った。その動作が機敏で男は逃げる機会を与えなかった。
「失礼。以前何処かでお会いしていません?」
「えっ、いや!)
この後、二人の間にそれ以上の会話はなかった。
「そうですか・・・」
といい、三俣安五郎警部は警視正の元に戻った。
「どうしたんだ?」
「いや、何でもありません。以前何処かで会ったような気がしましたもので・・・」
記念館の中は緩やかな空気清浄がされていた。土器などは湿度に過敏だから、充分に気を使わなければならないのだろう。
三俣安五郎警部はまた男を見つめ、呟いた。
「やはり・・・あいつか」
弓ヶ浜海岸の防波堤での遊びを早めに終えると。里崎登美子は愛用のスケボーをかかえ、祖父長右衛門の仕事場というより道楽を楽しんでいる納屋に入り込んだ。長右衛門は砂鉄の精製の知識と技術に長けていたのだが、その他いろいろなことにも手を出していた。その血を受け継いだのかも知れないが、孫娘の登美子も何かと工夫を凝らし、いろいろなもの・・・中には奇妙な発明品も作り出していた。もっとも、そのほとんどが実用に値しない代物だった。
「こんどこそ・・・」
と、決意をし、スケボーにある工夫を施していた。
「これなら・・・」
と、自信を深めるのであった。もちろん登美子の知識は未熟だった。それは、彼女自身も認めていたので、だから祖父のアドバイスを求めることもあった。そこへ、
「どうだ・・・」
といい、長右衛門が顔を出した。
「うん。うまく行ってるよ」
登美子は入って来た祖父を見て、笑みを浮かべた。
「そうか。だいじょうぶだな」
「うん。あしたにでも、試してみるよ。列車の来ない時間帯に・・・、」
「気を付けろよ。じぃーにはそんなものの・・・スケボーなんだな、何処がいいのかさっぱり分からないんだがな」
「じいちゃん、わからなくてもいいんだよ」
長右衛門は苦笑した。
登美子は祖父の様子を奇異な眼で睨んだ。少し前涙を流していた長右衛門を思い浮かべたのである。そんな孫娘に気付き、
「何だ・・・どうした?」
と、ちょっと怖い顔で睨んで来た。
「何でもない。じゃ、行くね」
登美子は納屋から出て行った。
その老人は里崎長右衛門の家とは三軒西に離れていて、長右衛門も良く知っていた。
今・・・というより、この日の朝、老人の家の前にはパトカーが二台とワンボックスカーが一台、他にももう二台の車が止まっていた。人の出入りが激しい。何かがあったようだ。
「何だ?何かがあったな・・・」
小原警視正はそちらに向かっていこうとした。
「待って下さい。警視正、今何があったか、署に聞きますから・・・」
三俣安五郎警部は携帯を取り出し、小原との距離を取り、彼は背を向けた。
老人に名は、石田直人という。里崎長右衛門より二つほど若く、その直人は長右衛門を兄の様に慕っていたのだが、長右衛門はそういう親密な気持ちは全くなかった。むしろ、その表情には出さなかったが、毛嫌いしていたようだ。これは、事件の担当の刑事が近所への聞き込みによって明らかになったことでもある。その刑事は里崎長右衛門にも聞いたようだ。長右衛門は、はっきりと、そうですね、そういう所がありました、と答えた。
ところで、事件だが、奇怪でむごたらしいものであった。
石田直人は自宅で殺されていたのだが、直人には家族がいなかった。直人が実直なのは長右衛門も知っていた。彼はよく北九州のボートレース場に行き、帰って来る時には賭けるのに持って行った金を使い切って帰路についた。
「止めろ」
とは、長右衛門は言わなかった。その代わり、嫁を世話してやろう、としつっこく言っていた。
「俺には無理です。女は嫌いです。女を不幸にするだけです」
直人は激しく拒否していた。その点、彼も馬鹿ではなく自分というものを分かっていたのかも知れない。
直人の額には島根藩主堀尾吉晴のあの短刀が深く突き刺さっていて、ほぼ即死の状態だったという。このことは三俣警部からすぐに警視正に伝えられた。発見されたのは午前七時過ぎで、まだ日が完全に登り切っていなかった。
「やっかいですね、警視正」
「そうだな。それにしても残酷な殺人だな、東京のような場所なら想像できないこともないが、ここでな・・・」
警視正は首をひねった。というのは、彼がここにいるのは、あくまで九鬼龍作に呼び出されたからである。安来の朝の心地よい空気が、この二人の鼻孔に忍び込んで来た。
一方、里崎砂鉄記念館でも可笑しな事件が起こっていた。それは、九鬼龍作が狙っている縄文土器が何者かによって破壊されたのである。
「警視正、弱りましたね。九鬼が狙っている縄文土器が、こんな状態では全く話になりません。九鬼は本当にあらわれますかね」
小原警視正は唸ってしまった。
「来る・・・」
と小原は言い切った。
「あいつは、このことは知らんだろうから・・・」
確かに、そうである。
「でも、縄文土器は誰がこんな風に破損させたのでしょうか?」
三俣警部は土器の破片を手に取り、調べている。小さく微塵になっているのではなく、土器の口の部分を破損しているだけのように見えた。
(おや・・・!)
三俣警部は怒気の底に何か異様な形跡を見つけたようだ。
「警視正・・・」
「どうした?」
「見て下さい。ここです。ここに奇妙な傷がついていますよ」
確かに・・・小原は三俣警部が指さす所を見ると、
「なるほど・・・だが、それが・・・どうした?」
と、訊かれても、三俣警部にも今は分からない。
「館長は、今いるな?」
三俣警部に館長を呼び出すように言った。
里崎長右衛門は砂鉄記念館の事務所にいた。
「おじいちゃん。誰か来たよ」
長右衛門の返事はなかった。何かをかんがえているような虚ろな眼をしていた。
長右衛門は縄文土器が破損されたのは残念だと言ったが、土器の底部の傷については、知らない、と説明をした。
小原は里崎長右衛門を睨み付けながら、興味を持ちながらじっくりと観察した。なるほど・・・と、小原は納得した。
「この記念館は自前だそうですね」
小原は訊いた。砂鉄に興味があったのではなく、観光客が入る見込みもなく、またこの頃の人が砂鉄に引かれることはないという現実を理解出来るのに、なぜ多大な費用を使い築いたのか、その心理を知りたかったのである。だが、予想に反して、館主は至って無口だった。砂鉄の生産には百人以上の人が必要で、彼らをまとめるのにはそれ相当の人望が必要なのだろう。
小原警視正はあえて無口になった。傍にいる三俣警部はそんな二人を見て、笑いをこらえるのに我慢できず、唇を何度も噛んでいた。ただ、殺人事件については差し障りなく、長右衛門にしつっこく訊いていた。
孫娘の登美子は年寄りたちのやり取りに聞き入っていた。
この後、
小原警視正は私用で島根県警まで出向いて行った。その間、三俣安五郎警部は砂鉄記念館の周りを警備に当たっていた。もう何度も見て回っていたから、何処に何があるのかよく知り抜いていた。
「あの子は・・・?」
砂鉄記念館の前の道路を、スケートボードを器用に乗りこなしている少女に気付いた。これまでも何度も見かけていたのだが、声を掛けたことはなかった。気にはなっていた。記念館の事務所にいたということは、里崎の家族なんだろう。今は、警視正は島根県警に行っていなかったから、いい機会だと思い、
「こんにちは。君は・・・それがうまいね。それって、何て言うの?」」
「こんにちは。おじさん、警察の人だね。これ・・・スケートボード・・・スケボーって言うんだよ。見たことないんだ?」
「ああ、そんなことには疎いんだよ。ははっ」
三俣安五郎警部は笑ったが、この子と近付きになるのにはこの方法が一番だと思ったのだ。
「この家の人だね」
「そうだよ。登美子、里崎登美子。十五歳だよ。小父さん、警察の人?」
登美子はスケボーに乗りながら、三俣安五郎警部の周りを回っている。
「そうだよ。良く分かったね」
「そりゃ
「分かるわよ。だって、小父さんの眼・・・すっごく怖いもの・・・」
「そうか。怖いか」
そう指摘されると、彼は笑うしかなかった。
「事件?」
「ああ、事件だよ。しかも、二つね」
「そうなんだ・・・」
しばらく無言だったが、しばらくして少女は、
「一つの事件は、直人小父さんだね・・・殺されたのは?」
と、いとも平然といった。
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