第9話 奇妙な訪問者③
仏壇の前に正座をした女は、ゆっくりと唇を開いた。
「わたくし
台詞の後半は二人分のグラスを手にした月次郎の動作に向けたものだった。
月次郎は迷ったのちにグラスを台所に置くと、矢吹と名乗った女に向き合うかたちで畳に座った。
「このたびはお悔やみ申し上げます」
「ご丁寧にありがとうございます。僕はヒサコおばあちゃんの孫で、月次郎といいます。おばあちゃんとはどこで知り合ったのか、訊いてもいいですか」
年上の人間からここまで丁寧に話しかけられる機会もそうそうない。月次郎は戸惑いながらも気になっていたことを訊ねた。
「実はわたし自身、ヒサコさまと面識はないのです。ただ昔、弟がとてもお世話になって」
「弟さん?」
「はい。実は──」
そこで矢吹が不自然に言葉を切った。視線が月次郎の背後に向けられる。
違和感を覚えた月次郎が振り向くと、いつの間に帰宅していたのかそこには風夜が立っていた。
「おかえり。今、お客さんが……」
言いながら月次郎が腰を浮かした時だった。
「そいつから離れろ」
鋭い言葉が風夜の口から飛び出した。
「え?」
きょとんとしている月次郎の腕をつかんで立ち上がらせると、風夜は有無を言わさず自分の背後へと押しやった。
「風兄」
「いいから」
矢吹から視線を離さないまま風夜が言い捨てる。
「お前、人間じゃないだろ」
月次郎が思わず兄の顔を見上げると、険しい横顔がそこにはあった。
「なぜうちに入ってきた」
矢吹は無言のまま風夜を見つめていたが、やがて息を吐いた。
「……おっしゃる通りです。ただ、危害を加えるつもりで来たのではありません。むしろその逆です」
「何だと?」
言葉の意味が分からず、風夜が眉根を寄せる。
外が途端に騒がしくなったのはその時だった。
「だから!お前は何なんだよ!」
「分からん奴だなぁ。いいから、ひとまず中に入れろ」
「そう言われてハイと答えるやつがどこにいる!」
家の玄関先で声を上げていたのは朔乃だった。
それに対峙する形で一人の男が立っている。
上下ジャージ姿、足下はサンダルである。両手をポケットにつっこんだ男は、首を傾げてからりと笑った。
「警戒心が強いのはおおいに結構。だがこのまま埒が明かぬと実力行使になるぞ」
なにやら尊大な物言いをする男に、朔乃が、あっと声を上げた。
「林に声を掛けた不審者ってお前だな?何の用だ。つーか誰だよ」
「どうした朔乃」
ふいに割って入った声に会話が中断する。
家の中から出てきた風夜が怪訝そうに朔乃と男を眺め、「今度はいったい何なんだ」と呟いた。
「帰ってきたらコイツが家の前に居て!中に入れろって、それしか言わねえんだよ」
「だから入れてくれたら説明すると、さっきから言っておる」
風夜とそう変わらない年に見えるが、口調がやたら古臭い男は面倒そうに首を左右に揺らした。
「とりあえず二人とも中に入れ。家の前で騒いでいたら近所迷惑だ」
「これはこれは。お招き感謝する」
ニイと目を細めた男が、とたんに軽い足取りで家の中へと引っ込んだ風夜を追う。
「風兄、こんな怪しいやつをウチに入れんのかよ……」
嫌そうに顔をしかめた朔乃があとに続き、ぶつぶつ言いながら靴を脱ぐ。
そのまま居間へと入ったところで動きを止めた。
風夜と月次郎──ではなく、さらにその奥にいる矢吹を見て「誰?」と、もっともな疑問を投げかける。
「おお、姉上、先におったのか」
親し気に近づいていく男とは対照的に、それまで無表情だった矢吹が顔をゆがめた。
「こっ、この……」
押し殺したような声と共にぶるぶると身を震わせたかと思うと、
「この大馬鹿ものがッ!」
そう叫ぶと同時に、ぐわっと開いた口が耳まで裂けた。
とっさに首をすくめた月次郎は、隣に立つ朔乃の服の端を掴んでいた。
強張った声で、
「姉上っ、噛むのは勘弁、ひっ」
ギャン!と獣じみた悲鳴が響いた。男の姿がかき消えたかと思うと、畳の上に何かがぼとりと落ちる音がした。
「え?」
呆気に取られた声は果たして誰のものだったか。
その場で起き上がったのは胴体の長い動物だった。丸く小さい耳に、つぶらな黒い瞳が顔の中心に宿っている。
「イタチ……?」
困惑した声を押し出したのは月次郎だった。
「恩人の縁者になんて態度を取っている!身の程をわきまえろ、この馬鹿者っ」
「ただの挨拶にすぎぬ。相変わらず姉上は頭がかたくてかなわん」
「なんだと」
居間を四方八方走り回る茶色の獣と女が言い争っている姿は滑稽だった。
「おい、お前ら」
いい加減にしろ、と朔乃が一歩踏み出した時だった。
「……うるせえ」
地を這うような低い声。その場がしんと静まり返る。
「そこに座れ。それとも説明する気がないなら今すぐ外へ叩き出す」
有無を言わさぬ口調で畳の上を指差した風夜に、もはや反論できる者などいなかった。
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