第10話 奇妙な訪問者④

この家の祖母、一文字ヒサコは珍しい力を持っていた。

探し物を見つけるのが得意で、近所の人から相談事を引き受けることがしばしばあった。

その人が失くしたものがまるで見えているかのように「あそこにある」と告げるのである。

言い当てたその場所が祖母にとって全く無関係の場所や時期であっても、祖母は必ず言い当てた。そして時には少し先の未来を言い当てることもあった。

それは規模の大きな話ではなく、あくまで身のまわりで困ったことを相談すれば解決する、といったものであった。

ただし身内であってもその力をひけらかすことはせず、助言程度にぽつぽつとこぼすだけだった。

果たしてどこまで見えていたのかは本人以外、誰も知らない。

そんな祖母が亡くなったのは半年前のことだった。



「ヒサコどのに出会ったのは、もうずいぶん前のことになりますねぇ」

畳の上であぐらをかいた男はそう口火を切った。

先程まで尊大な話し方をしていたくせに、いつのまにか妙に改まっている。

腕組みした風夜と目が合うと、へらっと笑って「こっちが地ですよ」とうそぶいた。隣では正座をした矢吹が目を伏せている。

「そうそう、挨拶が遅れて申し訳ない。矢助やすけと申します。恥ずかしい話ですが、山で獣用の罠にかかっていたところをヒサコどのに助けてもらったんです。あの頃のヒサコどのは幼かった。可憐な少女でした」

「少女って……こいつら今いくつなんだ」とたまらず朔乃がつっこんだ。風夜が「それで?」と気にせず本題をうながす。


「ふだんそんなヘマはしないんですがね。あのときは腹が減っていたもんで、つまらん罠にかかっちまった。さあどうしようと絶望していたときに檻から出してもらって、本当に助かったんですよ」


いったん言葉を切った男は、そこで目の前に座る兄弟を順に眺めた。

「この中では末っ子殿がいちばん似てますな。ヒサコどのの面影がある」

そう言われて、月次郎はどんな顔をしていいか分からなかった。とりあえず「そうなんだ」と無難な相槌を打ってみせる。

「それで、ですね。助けてもらったからには恩を返したい。我々はそこんところを大事にする一族でしてね……だが、ヒサコどのはそんなものいらないという。あの時はまた別の意味で困ったもんです。なんとか粘った結果、ヒサコどのはこう言った。『私が死んだら恩を返しにくるといい』って」

「どういう意味だ?」

風夜の疑問に、矢助は両手をひらひら動かした。


「ヒサコどのはこうも言っていました。『そのとき孫たちが困っていたら、力になってやってくれ』って」


「………」

「ばあちゃん、そんな先のことまで見えてたのかな」

黙り込んだ風夜のそばで朔乃がぽつりと呟いた。そこに月次郎が素朴な疑問をはさんだ。

「ちょっと話の腰を折るかもしれないんだけど。ふたりともイタチなの?」

一瞬の間を置いたあと、「ハハハ!」と矢助がのけぞるようにして笑った。不規則に短い髪が肩の上で踊る。

矢吹がべしっとその膝を叩いて、「おっしゃる通りです。我々は人に化ける。人間が妖怪と呼ぶものです」そう言うと息を吐き出した。

「このお調子ものがお邪魔する前に、私から説明しようと思ったのですが……騒ぎを起こしてすみませんでした」

うつむく矢吹とは対照的に、矢助は朔乃の方を向くと笑顔になった。


「いや、無礼な物言いをして申し訳ありませんでしたな。生意気な小僧だと思ってつい。お許しください」

「いま何つった、生意気?小僧?」


立ち上がりかけた朔乃の前で、弟の後頭部をがっと掴んだ矢吹が「申し訳ありません」と頭を下げた。「姉上、痛い」と矢助がわめく。

「この通りどうしようもない奴ですが、これでも大事な弟です。そして弟が受けた恩は一族の恩です。何かお困りでしたら何なりと」

「何なりと、って……。つーかお前ら、顔が同じで見分けがつかないな」

朔乃が指摘した通り、二人は顔がそっくりだった。見分けるとしたらジャージと着物、長髪と短髪、といった服装と髪型で区別するしかなさそうだった。

「双子なもんで。似ることもありましょう。……ああそうだ。違いと言ったらこれ」

矢助はおもむろに左側の髪をかき上げると、自身の耳を指して言った。

「片耳がこの通り欠けているのが矢助です。それといつも無表情なのが姉上です」

ね、分かりやすいでしょう。

念を押すように矢助がそこまで喋った時だった。


「話は大体分かった」


台詞と同時に、廊下側から現れた黒い犬がのそりと居間に現れた。

「葉羅さん、どこにいたんだ」

それまで饒舌にしゃべっていた矢助がぽかりと口を開けたかと思うと、

「これはこれは」

「なんとまあ」

矢吹とそろって言葉を吐き出す。

「妙なこともあるものですな。犬憑きというのは聞いたことがありますが、その逆は初めて見ました。まさか獣に人が憑くとは」

そんなことを言って首を傾げる矢助をよそに、葉羅が口を開いた。

「そこのお前、矢吹と言ったか。このあいだ俺と月次郎を外で見ていたな。匂いが同じだ」

「訪問するタイミングを伺っておりました。ご不快にさせたのなら申し訳ありません。……ところで一体どなたなのか、訊いてもよろしいですか」

「俺らの兄貴だよ。この家の長男」

朔乃の言葉に、矢吹が仏壇を振り返った。遺影のひとつに目を止める。


「もしかしなくてもこの方でしょうか」

「そうそう。それが生きていた頃の俺」


葉羅が軽い相槌を打ちながらばりばりと後ろ足で身体を掻いた。

ははあ、と矢助が顎を引いた。

「しゃべるイタチを見てもさほど驚かれないご兄弟たちと思っていたら、こういうことでしたか。話す犬と一緒に暮らしていれば大抵のことは驚かれますまい。──失礼、今は犬ではなく、長男どのでしたな」

「別に細かいことは気にしない」

「にしても、どうしてこんな事になってるんで?」

「俺にも分からない。というか誰にも分からなくて困っている。そもそも俺が死んだのは五年も前のことだ」

「……五年前、ですか」

戸惑った声を出した矢吹に向かって、風夜が口を開いた。


「順立てて話すとこうなる。五年前に葉羅さんが亡くなって、ヒサコばあちゃんが亡くなったのが半年前。で、もともと飼ってたうちの犬に葉羅さんが憑いたのがわりと最近」


「さすが風夜。簡潔かつ分かりやすい」

「褒めるようなことでもないでしょ」

あっさりと応える風夜に、矢吹が訊ねる。

「皆さん、驚かなかったのですか」

「そりゃ驚いたに決まってるだろ!」

横から口をはさんだのは朔乃だった。


「葉兄が死んだのは事故だったけどさ。まさか何年も経って生き返るなんて誰も思わないだろ。いやこの場合、生き返ったっていうのか?まあいいや。でもさ、ちょっと予感はあったんだよ。ばあちゃんが亡くなる直前に言ってたから。『葉羅は帰って来る』って。だからタロウの姿で葉兄が喋り出した時、ああこういうことかって。あ、タロウは犬の名前な」


矢継ぎ早の説明をくらって呆気に取られた双子だったが、やがて「なるほどですねぇ」と言いながら矢助が顎をさすった。

「人間の世界にも不思議なことがあるもんですね」

「理由が分からないとはいえ、ずっとタロウの身体を借りてるのも悪いからな。乗っ取ってる気がして。ふだんは必要以上に表には出ないようにしている。……ところでお前たち、知らないか」

「何をです」

「その、いわゆる成仏できる方法を」

「分かりませんよ」「存じません」

「そうか」

残念だ、と葉羅がどかりと腰を下ろした。大きな身体を丸めて尻尾を沿わせる。

月次郎が近付いていってその背を撫でた。

そんな姿を眺めながら朔乃が言う。


「葉兄に会えなくなるのは嫌だけど、葉兄がそう言うなら、ちゃんと成仏して欲しい気持ちもあるんだよ。俺らに何ができるかわかんねえけど。今の葉兄みたいになってるケースも、もしかしたら探せば周りにあるかもしれないし。そしたら解決できんのかなって」


「だからって片っ端から厄介ごとに首を突っ込むの、俺は賛成してないからな」

風夜が眉を寄せながらぼやいた。

「なかなか大変なことになってますなぁ。よしきた」

唐突に膝を打った矢助に視線が集まる。

「よろしいか、姉上」

「異論はない」

伺いを立てた先で姉が頷くのを見て、矢助はニッと笑った。

「長男どのが成仏できる方法は分かりませんが、この矢助と矢吹が力になりますよ。そうすればヒサコどのとの約束も果たせましょう。というわけでお世話になります」

あまりに自然に言い切ったので思わず聞き流しそうになったが、すぐに風夜がこめかみを押さえた。

「いやいや待て。どうしてそうなる」

「別にいいんじゃね」そう朔乃が言い、

「俺はどっちでもいい。風夜が決めてくれ」と葉羅。

「僕も同意見。のど乾いたから、皆の分も取って来る」そんなことを言いながら月次郎が台所へ向かった。

「丸投げかよ……おい朔乃、何でお前はさっきから上機嫌なんだ」

「いやー、久しぶりに月から昔の呼び方で呼ばれたなって」

締まりのない顔で何やら思い返している朔乃を見て、のんびりと矢助が言い放つ。

「この家のご兄弟は仲が良いのですなぁ。きっとヒサコどのもあの世で安心されていることでしょう」

朔乃こいつと一緒にすんな。

風夜と葉羅がそう心の内で呟いたのは言うまでもない。

かくして、こんな妙な成り行きでこの日から一文字家には同居人が増えたのだった。




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