第7話 奇妙な訪問者①

「お前、予定変えたならカレンダーにそう書いとけ」

帰宅して自分の部屋に入った直後だった。

おざなりなノックと共に入ってきた風夜にそう言われて、朔乃は目をしばたかせた。

「え?俺なんか間違えてた?」

「昨日家にいなかっただろ。そのくせ何も書いていなかった」

「あー……そういやバイト入ったんだった。悪い」

思い返して素直に謝った朔乃だったが、すぐ上の兄が部屋を立ち去る気配はない。

「風兄?」


「──お前、この間の夜どこ行ってた」


こっちが本題だったか。

急に空気がピリついたのが分かって、朔乃は一瞬動きを止めた。

「この間って?」

しらばっくれてみたが、それが通用する風夜ではない。

「一週間ぐらい前。真夜中だってのにコソコソ出ていきやがって」

間違いなく、友人である林のアパートに突撃した晩のことを指しているのが分かった。


「あれは友達のところ行ってた。嘘じゃねえって」

「嘘でも本当でもどっちでもいい。葉羅さんまで連れていっただろ」


風夜は上の兄ふたりのことをさん付けで呼ぶ。が、この際そんなことはどうでもよかった。

そこまでバレているなら仕方がない、と朔乃は腹をくくることにした。

腰掛けていた自身のベッドから立ち上がり、風夜と正面から向き合う。


「そうだよ。黙ってたのは悪かった。けどそのうち話すつもりだったんだ」

「何をだ?その晩何があったか知らねえけど、葉羅さんが犬の姿で喋るの見られました、とか言う気じゃねえだろうな?ああ?」


口調がどんどん荒くなっていく。普段はテンションが平坦なくせに、怒ったときは兄弟の誰よりも柄が悪くなるのが風夜だった。

「……そうだよ」

口元をひきつらせつつ朔乃は肯定した。

この一週間、どう切り出そうか迷っていたのは事実だった。

けれどそんなこと、この兄にはとっくにお見通しだったとは。

「林の奴なら大丈夫だと思うぜ」

「お前なあ」

眉を寄せた風夜の声が一段と低くなった。

「葉羅さんのことを外の人間には喋らない。そう決めただろうがよ。お前の脳みそはポンコツ以下か」

毒舌を繰り出してからの舌打ちでフィニッシュ。

反論しようにも手持ちがない。それでも朔乃がなんとか口を開こうとした時だった。


「それさ、心配ないと思うよ」


開いていたドアから顔を覗かせたのは月次郎だった。

「何がだ」

首を巡らせた風夜が怪訝そうに訊ねる。

「僕もその日、一緒にいたから知ってる。葉羅さんは自分から林さんの前に出てきてた」

「月……」

朔乃が思わずといった風に呟きをもらす。

「自分からって、なんで」

続けようとした風夜が言葉を見失う。


月次郎のそばにいつの間にか黒い犬が寄り添っていた。

ただ、何も分からないといった様子でリードをくわえたまま兄弟たちを見比べている。


「葉羅さん」

確かめるように風夜が名前を呼んだ。

反応は無かった。数秒後、犬は持ち上げた前足で空中を引っかくと、月次郎の背中を急かすように鼻で押した。早く散歩に行きたいらしい。

「……ここのところ不在だな」

風夜の呟きに、月次郎がさり気なく言葉を添えた。

「葉兄もたまには誰かと話したくなったんじゃない」

ずっと家にいてもつまらないよね。

そう言って鼻先をなでた手のひらに甘えるように、ぐいぐいと犬が額を押し付けるのを見ながら風夜がふんと鼻を鳴らした。


「朔乃。お前の友達の反応は?」

「え?あ、林のこと?なんか結構すんなり受け入れてたけど」

「マジかよ……」


先程までの怒りはどこへやら。

肩を落として脱力した風夜は「大したタマだな。つーか意味わかんねえわ」と言い捨て、がりがりと後ろ頭をかいた。


確かに言われてみれば、犬が喋って、それが友達の兄って、理解の範疇を超えてないか?さては林の奴すごいな?と朔乃が思っていると、


遥正はるまささんが知ったらなんて言うか……」

二番目の兄の名前を引き出して風夜はため息をついた。

遥兄はるにいなら『まあいいんじゃない?』って言う気もするけど」

そんな月次郎に口を開きかけて、そのまま何も言わずに風夜は唇を引き結んだ。

きっと朔乃と同じことを思ったはずだ。

あの次男ならそんな気がする、と。

無言で部屋を出て行く風夜に続こうとした弟に対して、朔乃は声を掛けた。

「月、ありがとな」

「え?何が?」

立ち止まって振り返った月次郎は怪訝そうに首を傾げた。

「フォローしてくれただろ」

おかげで風兄にあれ以上怒られずに済んだ、とまでは兄の矜持がガタガタになりそうなので言わないでおく。

「別にフォローしてないし。二人の声、下の階まで聞こえてきたし」

「照れなくていいって。ハグしようぜ」

そう言って腕を広げた朔乃にドン引きした表情で月次郎は後ずさると、そのまま何も言わずに廊下へと消えていった。そのあとに続く犬の足音。

とっくに自室に引っ込んだと思われた風夜が、開いたドアから顔を出す。

「……お前、月次郎が今いくつだと思ってんだよ。可愛がるのも度が過ぎると嫌われるぞ」

もう遅いかもしれないけどな。

そう続いた言葉に、「そんなことねえって!」と朔乃の叫びが廊下に響き渡った。




「風夜が気付いていたとは知らなかった」

家を出たとたんにそんな声が聞こえてきて、月次郎は手にしたリードを取り落としそうになった。

「妙に鋭いところがあるんだ、あいつは」

そう言って犬の口から葉羅の言葉が漏れ出てくる。

「びっくりした……、葉兄、さっき出てくればよかったのに」と月次郎は思わずこぼした。

「風夜、怒ってたろ。あの場合は俺だって巻き込まれたくないさ」

くふんと鼻を鳴らしたのは果たして笑ったのかどうか。


「俺も朔乃も別に、風夜に内緒にしてた訳じゃない。林くんにバレたことは頃合いを見てそのうち伝えようと思ってた」


どこか言い訳するような響きがあったが、月次郎は何も言わずに寄り添って歩いた。

「後で俺からも風夜に話しておくさ、──?」

そこで不自然に言葉を切った葉羅が唐突に足を止める。

「どうしたの?」

背後を振り返ってじっと見つめた葉羅は、かぶりを振った。

「誰かに見られていた気がした。気のせいかな」

何事もなかったかのように再び歩き出す。

月次郎も歩きながら後ろに視線をやったが、そこには誰もいなかった。



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