第6話 合わせた手の先に
「じゃあ月次郎のところも再婚なんだ」
放課後の教室。
部活と帰り支度で生徒がいっせいに動き出すなか、月次郎にそう話しかけたのは前の席に座る女子生徒だった。
太く黒い眉毛が凛々しく印象的な彼女は、学期始めに転校してきた
転校初日、マニラから引っ越してきたと担任から教壇で紹介されていた。
クラス恒例の席替えで今回前後の並びとなったわけだが、そういえばマニラってどの辺り?と月次郎が訊ねたのが会話のきっかけだった。
「香港の隣。父親の転勤と再婚が重なって日本に帰ってきたんだよね。もともと幼稚園まではこっちにいたんだ」
あけっぴろげに話す彼女の笑顔は溌剌としていて、そんな明るい雰囲気に誘われて月次郎は口を開いていた。「そうなんだ、うちもそうだよ」と。
「日本は再婚や養子が珍しいって聞いたけど……実際そうなの?」
「だと思う。あんまり人前では話さないかな」
「あ、やっぱそうなんだ。って言っても、そのうち珍しくもなくなるでしょ。まぁこれは私の予想だけど」
そう言って大人びた笑い方をしたかと思えば、ふいに汐里は尋ねてきた。
「ところでさ、兄弟っている?」
「いるよ。上に兄が四人」
「四人!」
汐里は後ろにのけぞるようにして驚きのリアクションを取った。
「再婚したあとに僕が生まれたって聞いてる」
現在の父親と血のつながりがあるのは月次郎ただ一人だけである。
「そっかあ。……お兄さんたち、月次郎にやさしい?」
どこか
「皆やさしいよ。僕が生まれたときから一緒にいるし、父親が違うことを特に意識したことはないかな」
「ああ、そりゃそうだよね」
汐里はそこで初めて、へにゃりと相好を崩した。
「実は私にも妹がいてさ。今回父親の再婚で新しく出来たっていうか。すっごく可愛いの。今まで私、上も下もいなかったからよけいに嬉しくって。今日も帰ったら一緒に遊ぶんだ」
「仲良しでいいね」
「でしょ」
そこで立ち上がった汐里は、いそいそとリュックを肩にかけると「それじゃあまた明日!」と疾風のごとく教室を出て行った。
「あら月次郎さん、おかえりなさい」
帰宅した月次郎を玄関で迎えたのは、和服姿に身を包んだ初老の女性だった。
「ただいま、
靴を脱ごうとしていた月次郎はその女性を見るなり笑顔になった。
「ちょうど何もかも終えたところでしたの。月次郎さんのお顔が見れて良かったわ」
丁寧な口調に程よく親しみが混ざる。
益恵と呼ばれたこの女性は一文字家の祖母とは親しい間柄で、月次郎も幼い頃から何度も顔をあわせていた。この家の母親が他界し、さらには祖母も亡くなった今では週に何度か訪れて、月次郎たちの食事を作ってくれる。
作りおきがほとんどだが、食べ盛りの兄弟たちのために量も内容も工夫してこしらえてくれる。
心配性の父親が息子たちを家に残して単身赴任できているのも、近所に住むこの益恵の存在が大きかった。
「今、朔乃さんも帰ってきたところなのよ。でもね……」
上品な笑顔の中に、どこか困った色を浮かべて益恵が首をかしげた。
「顔を合わせたとたんに風夜さんの機嫌が悪いみたい。どうしたのかしら」
心配ねえ、と頬に手を当ててそう言いつつも「じゃあ私は失礼しますね」と、実にあっさりと益恵は帰っていった。
そんなふうに余計な詮索をしてこないことが、一文字家の人間が彼女に信頼を寄せる理由のひとつだった。
台所に向かった月次郎は食卓の下に寝そべる黒い犬を見つけた。
「ただいま」
腰をかがめてそっと声をかける。
そんな月次郎に鼻先を向けて尻尾をひと振りしたかと思えば、すぐにあごを床に付けて目をつぶってしまった。
天井を通して、二階からは何やら声が聞こえてくる。
風夜の機嫌が悪い、と益恵は言っていたが、どうせ朔乃が無自覚に怒らせるようなことをしたのだろう。あの二人は昔からそうだ。
冷蔵庫の扉を開けた月次郎は、いくつも並んだ密閉容器を見つけた。
メインのおかずと総菜にいくつか分かれていて、これこそ益恵が先ほどまで作ってくれていたものだろう。
中身を見るのは今夜の楽しみに取っておこうと月次郎はそのまま扉を閉める。
ふと気付けば、いつの間にかリードをくわえた黒い犬が足下に寄り添っていた。言わずもがな、散歩の催促に違いなかった。
ふふ、と笑みをこぼした月次郎は「ちょっと待ってて」と襖を開けて隣室へと入った。
部屋の隅にある仏前に腰を下ろした月次郎は、手を合わせてそっと目を閉じる。
学校から帰ってきてそうすることは、もはや日常となっていた。
しばらくして目を開けると、月次郎は仏前に並ぶ三つの遺影を見つめた。
母親と祖母、それに若い青年の写真。
おだやかな笑顔でいつでもそこにいる。
この家の長男、彼こそが葉羅だった。
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