第4話 ピピンとアットマーク
「ゴホッゴホッ…」
「大丈夫ですか? ギルドマスター」
「あ、ああ。僕は大丈夫だよアスタ。ハハハ…やはり寄る年波にはかなわないね? 四百にもなるとハッキリと身体に衰えを感じてしまうよ」
「「…………」」
すっかり夜も更けた午後10時を過ぎた城塞都市プルトのギルド。
基本的にギルドの平時の営業時間は午前5時から午後8時までであり、職員陣も早朝・昼・夜勤の交代制で回している。
朝昼夕と開放されていたギルドの正面扉も既に閉ざされ、入ってすぐの酒場に入りびったているような飲んだくれ達も酒場のマスターとフィジカル強めの女給達によって追い出されている。
現在は既に夜勤担当の職員が到着し、昼の職員達はとうに清掃と引き継ぎ、終業のミーティングを終えて帰路へとついているのだが…。
何故か、カウンター内には未だ数名の職員が残っていた。
「アスタ。今日も僕の甥が君に不快な思いをさせてしまって悪かったね。…ラモン?」
「も、申し訳ありませんでした伯父上…いえ、ギルドマスター。私も軽率でした」
「僕に謝ってどうするんだ? 頭を下げる相手ならアスタにだろう」
未だギルドの女子寮に帰れず、椅子に座らされて困った顔しているのはギルドの美人ハーフエルフ受付嬢のアスタ・スターストームである。
因みに、何故かその場にやや離れて聞き耳を立てる夜勤職員達とちゃっかり居座るオークよりもオークらいし巨漢ハーフオークの姿もある。
彼女が困った顔をするのは無理もないことで、昼にそんな彼女に粗相を働いたエルフの事務課長であるラモンを説教する同じくエルフの人物が自身の傍らに居る為だった。
プルトのギルドマスター、名はガノン。
…どこぞの魔盗賊のような名に似合わず、その姿は実に線の細い美青年である。
寧ろ、そんな人物の実の甥であるというラモンの方が全体的に骨格が横に広く、容姿的にも年上に見えてしまうくらいである。
もしかすると、ラモンはエルフという種族においては“老け顔”に分類されるのやもしれない。
わざとらしく杖を突いているそんなガノンであるが、彼は正にプルトの英傑であった。
彼は元迷宮探索者であり、制覇した迷宮は百に迫るという。
かのプルトの王城の地下宝物庫に突如として現れた迷宮から溢れ出した魔物を打ち倒し、これを封印することに成功した武人にして偉人。
三代前のプルト王から“名誉伯爵”の位をも授かっているので、本来ならば単なるギルドの長だけにおさまっているだけでは済まないとんでもない人物なのである。
それに加えて他種族に対して排他的または下に見ている節のあるエルフ達とはまるで違い、温和で紳士的、他種族に対して何の偏見も持たずに接してきた。
故に、このプルトでも数少ない
恐らく、中央の名誉伯爵という肩書きがなければ彼を良く思わない同族からの恰好の攻撃対象にされていたことであろう。
そんな理由から、南方名家の末娘であるアスタが未だ委縮するのは仕方なかった。
「時にラモン。君、幾つになった?」
「……今年で、ひゃ…128歳になりました」
それに比べて所詮は短命たる他の職員は、これはエルフ同士のやり取りだからと解っていながらも呆れるばかりである。
「うん。君も百を超えたエルフならば、僕としてもいつまでも子供扱いはしてあげられはしないよ?」
「…………」
「それにだ。僕が一番懸念してるのは、君の探索者への接し方だ。迷宮からの物資を供給するのには必要不可欠である彼らを蔑ろにする態度はギルドに連なる者としては致命的な欠陥だよ。……それに、種族的なことで優劣を語ると言うならば。――君もスヴェンと
それまで俯いて立たされていたラモンだが、その一言にカッと目を見開き自慢気であるその整った容姿を歪めて怒りを露わにする。
「伯父上っ! 私があの男と同じだと!? 撤回なさって下さいっ! 母と兄姉にあのような仕打ちをした…私は決してあの男のようになぞ……っ」
普段、単なる高慢と偏見に溢れたキザエルフからは想像もしえない、その感情の爆発振りにガノン以外の面々が口を開いてポカンと呆けてしまった。
「し、失礼っ」
顔を赤くしたラモンがすまし顔のガノンとただ困惑するアスタに軽く頭を下げた後、逃げる様にしてギルドの私室へと足早に去って行ってしまった。
「おいおい、いつもクールな事務課長様がどうしたってんだあ?」
「あの嫌味なエルフのお兄さん、あんなおっきい声出せたんですねぇ~ビックリ!」
そこへ野次馬根性丸出しで酒場の方から帰り支度を終えた酒場のマスターとその酒場の看板女給である馬の下半身を持つスキュラの少女がやってくる。
集まってきた面々に顔を覗かれた自称老エルフがやれやれと破顔する。
「少し、言い過ぎてしまったかな」
「いやあ、もうちょいと普段から厳しく躾けておいてくだせえよガノン様」
「ハハハ! ミンサーは僕の甥御に随分と厳しいなあ。まあ、僕が甘いのも確かなんだけど…ラモンも色々あって森を飛び出してきたくちでね? まあ、三百年も前に出奔した僕なんてその最たるものだけど。ラモンは幼い頃からスヴェンの…僕の弟の悪い部分ばかり見て来たから。でも、根はとても正義感が強くて優しい子なんだよ? せめて、この街では…できれば、ギルドの皆とは仲良くしてやって欲しいんだけどなあ」
その物憂げなガノンの表情を見て、ここぞとばかりにラモンへの不満をぶつけようとしたミンサーとその他職員は口元をモゴモゴとさせるばかりである。
その空気に耐えられなかったかのようにアスタがガノンに尋ねた。
「森…というのは、西方のエルフ合衆国ですよね?」
「ああ、そうだよ。僕もラモンも23ある州の中で3番目に大きいイチイ州で力を持つエルフ勢力、そのドルフ家の出なのさ。僕は迷宮探索者になった時に絶縁してるけどね」
英傑という肩書きと武勇伝以外は余りにも情報に乏しい偉大なエルフ。
こんな機会もそうないとアスタが続けて質問をしようとしたタイミングであった。
――突如として、ギルドの正面扉が乱暴に蹴り開けられ
「マークさん!? 本日のギルドの業務はもう終了してますよ?」
アスタが驚いて椅子を倒しながら立ち上がって告げるも、件のフード男は鬼気迫る表情でズンズンと中へと進む。
そして、彼らの前にドサリと袋を放り投げた。
「おいおい、大将。まさかもう次の獲物を捌けってか? 今度は何の魔物だあ? いや、流石に明日まで待てよ…」
「違う。――…賊だ」
フード男の言葉に一瞬で皆の表情は切り替わる。
ギルドに夜勤が必要な理由は緊急性のある依頼や事象に対応する為である。
その中には賊…つまり、迷宮内外問わずに犯罪者や賞金首の捕縛・受取・精査が含まれる。
仮にフード男が差し出した袋の中に死体があれば、それが本当に賊の類であるのか、もしくはそれに類する事件性の有無をギルド側は確認し、必要であれば王城に急使を出す必要もある。
アスタが若干その袋の中身を想像して震えたが、直ぐに夜勤担当である二人の獣人職員が慣れた感じで奥からカウンターの外へと出る。
その際に、その女性職員から肩を軽く叩かれたことでアスタの震えは何とか収まったのであった。
「賊が出たのは? 迷宮ですか?」
「ああ。シーフの塒、だ」
「おん? あそこにゃ入ってすぐにモルダのジジイ共がいるだろう? よく入り込んだなあ」
「多分、普段は第4階層の暗闇に潜んでたんだと思う」
男の獣人職員の質問とそれに割って入るミンサーにフード男がそう答える。
その間に女性職員がその袋の紐をゴソゴソと緩め始めた。
「にしても随分と
女性職員が袋の紐を解くと、随分と窮屈な思いをしていたのであろうか。
それなりに勢いよく
それを目撃した者達がビクリと動きを固める最中、多少の好奇心に釣られてアスタが見やる。
するとそこには、後頭部に矢を受けて白眼を向いて舌をダラリと垂らす獣人の少女の姿があった。
――夜のギルドとその周辺に絹を裂くような悲鳴が上がった。
@
「なっ、なんだぁ!?」
「まだ小さい獣人の女の子じゃない!? しかも裸とか!? なに、アンタ身包み剥いだわけ!?」
「違う。コイツは最初から何も装備してなかった」
「はあ?
いや、獣人なら地上でも全裸でいいんかい。
ベテランっぽい職員の癖に随分な慌て振りだな?
「……一応、確認なんだが」
「何だ?」
「賊、と言ったが…この子は、その何を…?」
「――飯泥棒、だ」
「は?」
「俺の飯を盗んだ。それと、迷宮の住人の物資もな。ギルドからは厳しい処罰があることを期待する」
「処罰って…アンタの?」
心外な!?
ギルドはこの盗賊の味方をするつもりなのか?
「いや、マークさん落ち着いて下さい! 処罰と言ってもこの子はもう…」
何故か涙目で俺に自首を奨めるような雰囲気で両手で俺の手を掴むアスタ嬢。
いやいやいや、コイツが悪いんだぞ?
「ん? ちょっと待って!」
「ぐぴぃ~…ぐぴぃ~…」
「…………。信じらんない。この子、生きてる…いや、爆睡してるわよ?」
そうなんだよ。
何でか知らんが、平然と寝てるだけなんだよコイツ。
突いても蹴ってもまるで起きる気配がないからこーして仕方なくギルドまで連れてきたってわけよ。
……あの時の殺意の有無があったかは、一応ノーコメント。
気付いた時には、俺は無意識に矢を装填して放っていたんだ。
だが、どうにもギルドは俺のドネルケバブの仇を討ってくれそうにない。
ガッカリだぜ…。
「あ~と…どうしましょうか? ギルドマスター。……アレ? あの~ギルドマスター?」
「…………」
あらら、ギルドマスターのガノン様まで居たのか?
相変わらず、御年四百には見えもしないな。
何か、凄い顔でコイツのこと睨んでっけど…?
「微かに虹を帯びた銀色の毛皮……いや、まさかね。はあ、これは思ったよりに大事になるかもしれないね。取り敢えず、先にこの矢をどうにかしてしまおうか。…厚い毛皮と頭蓋骨のおかげでギリギリ脳まで達していないかな? これなら僕の治癒魔法だけでもどうにかできそうだ。君、手伝ってくれるかい?」
「はっ、はい!」
どうやらコイツを治療して事情を聴くつもりらしい。
ふむ、先ずは事情聴取か。
そんなことを考えると俺の隣にいつの間にかオークが寄ってきていやがった。
「おい。アレ…お前が魔物にトドメ刺す時に使う毒矢だろ?」
ちっ。
目敏いオークめ…流石は伊達にこの3年、俺が持ってきた魔物を解体してないな。
「……麻酔効果も、ある」
「ほんとかねぇ~? ま、獣人相手にゃそう効かんだろうぜ」
正確には迷宮植物の根から試行錯誤して精製した毒だ。
1年前にうっかり舐めてしまって、数週間舌が痺れてしまったことがあったのできっと麻酔効果的なものもあるはずだ。
そんなやり取りを交わす間に、ガノン様の治癒魔法を併用しながら俺が放った小型矢がソイツの後頭部がらズッポリと抜き取られた。
だが、相変わらず死んだように軽く痙攣しなから爆睡し続けている。
もうどうしたらいいんだコイツ?
そんな事を考えていると腹が盛大に鳴った。
足元がふらつく…おのれ、糖分が不足していやがるんだぜ…!
ふと、ニヤケ面の酒場のマスターと目が合ってしまった。
「うはは! そういやそこのガキに飯を盗まれたんだってなあ? なら、俺のパイでも喰うか? 特別価格で10スピネル…いや…」
「買った」
俺は食い気味に銀のコインに赤色立方体が嵌った通貨を酒場のマスターに渡すと、見せびらかしていたホールのミートパイを引っ手繰る。
「飯にケチなお前さんが、随分と今日は奮発するねえ」
失敬だな。
俺ほどこの城塞都市で食に拘る迷宮探索者がいるかってんだ!
今日だって鉄串買う為にここ数日の稼ぎをまるっと散財してるんだぞ?
俺はその酒場のマスター自慢のミートパイを遠慮なくガブリとやる。
「どうだ?」
「モグモグ……ゴクン。……美味い」
「だるぉ~?」
…酒場のマスターのドヤ顔が無性に腹立つ。
だが、悔しいが美味い。
たっぷりと詰まった牛?の肉に香辛料の味がしっかりと馴染んでいる。
これなら冷めても十分に美味いだろう。
確かに、この城塞都市じゃこれほどしっかりとした味の飯を大衆に出せる店は少ないだろうな。
「……スンスン。…………。おにくぅ!?」
「うわあ!?」
突如としてゾンビのように復活したケダモノが床から跳び上がって俺に襲い掛かる。
この獣人畜生め!
……しまった! 両手がミートパイで塞がっちまってる!?
「ガブガブガブガブッ!!」
「アーッ!?」
咄嗟に首などの急所を防御した俺だが、ヤツの目的は俺ではなく――俺の手にあるミートパイだった!
まだ一切れしか食ってねぇのにぃー!?
「うまうまうまうまぁ」
「お? 俺のミートパイ、美味かっただろぉ~?」
ガシャコッ
「今度こそ眉間を射貫く…!」
「わぁー! 落ちついて下さいマークさんってば!?」
「そうよ! まだ子供なんだから…大目に見てやってよぉー可哀想じゃない!」
あんだぁ?
じゃあ俺は可哀想じゃあねえってのか!?
フン! 所詮、獣人は獣人の味方か…(疑心暗鬼)
「んぅ~…でも、さっきたべた
…………。
俺は手にしたライトクロスボウを下げた。
「なに? 俺のミートパイより、あいつの
スッ…
「お、おい! 冗談だ!? 真顔でコッチに矢先を向けんなってば! お前は普段から顔がマジ過ぎて怖ぇーんだよぉ!?」
「どうした! 先程の悲鳴はもしや……アスタ君、大丈夫か!」
「え、ええ。大丈夫ですよ」
そこへあのキザエルフが慌ててやってきてまた騒がしくなってきた。
そして、俺の手元には大枚叩いて買った久々の馳走はもう無い。
…泣きたい。
「すまない。君の名前を聞きたいんだけど、いいかな?」
「……な? なまえ?」
騒がしいエルフと泣きたい俺など半ばスルーしてギルドマスターが俺からミートパイまで簒奪しやがったケダモノに名を訪ねる。
ケッ! きっと公開処刑にされる時に読み上げられるんだろう…覚悟しろよ?
「なまえ…なまえ…ん~…ピ? ピー? ピー? ピー…?」
「もしかして、自分の名前が判らないのかい?」
「記憶喪失ってやつですかね?」
……あの、どうして被害者である俺を皆して見るんですか?
まさか、俺が放った矢のせいだとも?
おいおい、漫画や小説の読み過ぎだって。
小型矢に塗った毒にそんな効果は無い。
少なくとも、魔物に記憶を失っている
「そのままだと、ピーちゃん?」
「ピリカ、あ~…エトピリカとか!」
「ピッピ?」
「ピアソラとかどうだろ(照)」
「ピーナッツ」
「ピラニア」
「ピーピーバンド?」
囲んだ職員全員がそれぞれ候補名を挙げるが……後半適当過ぎんだろ!?
だが、飯泥棒は首を横に振るばかりだ。
本当に何も憶えていないのか?
…これ以上付き合ってられん。
てか、俺がここにいる意味もうなくないか?
ふと、気付けば連中がしかめっ面で俺を見ている。
え? 何? 俺の意見待ち? どういう流れなんだよ。
「……じゃあ、もう“ピピン”とかで、いいんじゃないか?」
「~っ!」
――ガバァッ!
「おうっ!? 今度は何だ!」
そう俺が口を開くと、弾かれたような動きで俺にしがみつくケダモノ。
その顔は興奮冷めやらぬといった感じだった。
ホントに単に人型の中型犬(にしちゃデカイか?)みたいだな…。
「ピピン! ピピン! なまえっ! ピピンはピピンっ! きょ~からピピン! ピピンだよっ! ピピン!ピピン!ピピン!ピピンっ!」
「いや、連呼し過ぎだろ! いい加減に離せコラ!? おい! 早くコイツを牢に入れてくれ!?」
一体、何がそこまで琴線に触れたのやら…俺が適当に言った名を随分と気に入ってくれたようだ。
――その時、まさかコイツと今後随分と長い付き合いになるなんて俺は思いもしなった。
判っていたなら、そんな
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