第17話 悪い子には


「何故、ここに来た」


 冷たい感情の乗らない声がアディルへと降り注ぐ。アディルに視線を向けながらも、カイザーは無数の魔物を倒していた。


「会いたくなったのか?」


 そう言いながら、カイザーはアディルを片手で抱えた。


「騎士団長としての姿を見学に来たのか?」


 先程までの恐怖で答えられないアディルへの質問は続く。聞いているが、答えなど求めていない声に、アディルはカイザーに見限られてしまったのだと直感した。


(お役に立ちたかった。けど、私がしたことはご迷惑でしかない)


 抱きかかえられたまま、アディルは俯いた。その瞳には涙さえなく、映っているのは絶望だけだ。

 魔物に食べられていたら、幸せなまま死ねたかもしれない。そんな感情に飲み込まれそうになりながらも、アディルは深く息を吐く。


(カイザー様はお優しいもの。私がここで死んでしまったら、きっと気に病む。たとえ見限られてしまったとしても、私は──)


「カイザー様……。あの……」

「アディルは悪い子だな」


 こんな状況だが、助けてくれたお礼と謝罪、それと自身の気持ちを話さなければと口を開きかけたが、カイザーの言葉に固まった。


「悪い子にはお仕置きが必要だ」

「……へ?」

「トラウマになれば、家から出られなくなるか。そうだな。それがいい。最初からそうすれば良かったんだ。俺だけが可愛がれるように閉じ込めてしまえばいい」

「カイザー様?」

 

 周囲が暗いからだろうか。カイザーの瞳にいつもの光はなく、暗く歪んだ感情が顔を出したようにアディルには見えた。

 

「アディル、お仕置きの時間だ。倒され、命が尽きていく魔物から目を逸らすな。怪我をし、命をかける騎士を見ろ。お前が来た場所は、そういうところだ」


 見たこともない仄暗い笑み。ときめいて良いタイミングではない。それなのに、アディルはカイザーに見惚れた。


(かっこいい……)


 だが、走り出した小さな揺れと魔物の断末魔、目の前に飛び散る赤、次々と飛ばされる魔物の首、それらによってアディルは現実へとすぐに戻された。

 あんなにたくさんいた魔物はものの数分でカイザーによって倒された。

 

「怖かっただろ?」

 

 アディルは小さく頷いた。目の前で起きたことは、どこか別の世界のことのようだった。けれど、飛び散る血も、殺意を持って襲いかかってくる魔物も、消えていく命も、すべてが怖かった。

 それでも、カイザーの腕の中は安全で、怖いのに怖くなかった。守られているのだと安心できた。

 

(最低だ)

 

 アディルは自嘲しながら、カイザーを見上げた。そして、いつもの笑みを浮かべた。

 

「牙を向けられるのは怖いです。何もしなければ殺される。そのことがわかっていても、命を奪うことも怖いんです。さっき魔物を刺した時も怖かった。でも、倒さなければ、私かナナトさんは死んでいたかもしれません」


 アディルの声は静かだった。普通であれば、冷静ではいられない内容を淡々と話していく。


「頭ではわかっていたけど、本当の意味でわかっていませんでした。魔物を討伐しなければ、誰かの大切な人が殺されてしまう。ご迷惑はかけたけど、来たことに後悔はありません」

「後悔がない?」

「はい。軽率な私の行動でカイザー様に心配をかけてました。どんなに謝罪をしても足りないです。それでも、あなたが命を守るだけではなく、多くの人の幸せを守っているのだと──」

「死ぬところだったんだぞ!!!!」

 

 大きな声にアディルは肩を揺らした。金の瞳は先程の仄暗さはないけれど、ゆらゆらと揺れている。

 

「頼むから、危険なことはしないでくれ」

 

 小さく掠れた声。どんなにカイザーを不安にさせたのか、アディルはやっと気がついた。

 

「ごめんなさい」

 

 ギュッとカイザーの首に抱きつく。けれど、アディルは決めていた。

 

「不安にさせて、心配かけて、ごめんなさい。それでも、私はまた後方支援としてカイザー様と共に戦いたい。魔物を倒すことはできないし、私にできることはほんの少しだけど、あなたの隣に立ちたい。守られているだけではダメなの」

 

 若草色の瞳は強い意志を帯びていた。決して譲らないと語っている。たとえ婚約を解消したとしても、アディルは何度でも共に戦おうとするだろう。

 

(アディルは、こういう人だったな)

 

 だから、惹かれた。泣くほど辛くても、苦しくても、前を向こうとする姿に焦がれた。

 

(影をつければいい。いざとなったら、身をていして守らせる)

 

 命をかけさせることに罪悪感がないわけじゃない。それでも、アディルを守るためなら犠牲をいとわない。アディルの好きにはさせるが、本当の意味での自由を与える気はなかった。

 

「分かった」

「……えっ!?」

 

 あまりにもあっさりと頷いたため、アディルの方が狼狽うろえた。

 

(えっ……と、本当にいいのかな? 私も譲る気はなかったけど、そんなに簡単に了承してもらえるものなの?)

 

 オロオロとしているうちに、カイザーはアディルを抱えたまま歩き出した。

 

「俺はまだやることがある。大人しく待ってろ」

 

 そう言うと、ナナトの前にアディルを降ろす。

 

「アディルを守ってくれたこと、感謝する。お前がいなかったら、アディルは死んでいたかもしれない」

「そんなこと。俺の方こそ、アンデちゃんの機転に助けられました」

「……アンデちゃん?」

 

 ぐっと空気が重くなった。カイザーの鋭い金の瞳と低くなった声にナナトは半泣きだ。

 

(アンデは愛称か? 何故、こいつがアディルの愛称を呼ぶ?)

 

「カイザー様。アンデは偽名です。苗字もない、ただのアンデとして参加したんです」

「……俺の婚約者だと周知されるのが嫌か?」

 

 その問いにアディルは首が取れるのではないかと思うほど、ぶんぶんと首を横に振った。

 

「私が来たと知ったら、カイザー様の足を引っ張ることになると思ったんです。カイザー様は私のことを心配してくれるから。だから、偽名を使いました」


 アディルが後方支援に来たと知ったら、今回のように討伐の指揮をアスラムに任せて、アディルのもとに走っただろう。アディルの言っていることは正しく、カイザーは何も言えなかった。

 アディルはカイザーが思っている以上にカイザーのことを理解していたのだ。元公認ストーカーは、伊達だてじゃない。


「本当は、いつだってカイザー様の婚約者が私だと大声で言いたいです」


 キリッとした顔で言われ、カイザーは笑みをこぼす。


「ありがとな」


 優しく甘いそれは、アディルにしか向けられることのないもの。


「まだやることがある。待っててくれるか?」


 その問いに頷きながら、アディルは笑う。この場に残される寂しさも、カイザーが危険なところへ行ってしまう不安も、すべてをのみ込んで。


「いってらっしゃい」


 笑顔のまま言ったアディルに、カイザーは見惚れた。見た目もだが、言動も実年齢より幼く見えがちなアディルが大人の女性に見えた。


(幼く、庇護下にいて欲しいからと、子どものように扱っていたのかもな)


「いってくる」


 カイザーは再び森へと入っていった。

 すると、一頭の馬が彼を待っていた。アディルが後方支援に来たと知らせに来た騎士から拝借した馬である。この馬のおかげで、アディルのピンチに間に合ったのだ。


「お前のおかげだ。ありがとな。もう一仕事頼めるか?」


 馬は、たしりと地面を踏みしめた。まるで任せろと言うかのように。カイザーは馬に乗ると、走り出す前に誰もいない場所へと声をかけた。


「アディルの護衛を頼む」


 返事はない。だが、変わりに木々が揺れた。それと共に一羽の鷹が足にメモを縛り付け、カイザーの元へと降り立った。それを開き、中を確認するとカイザーは馬で走り出した。


 

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