第16話 噂の少女は地雷です


「アンデちゃん、おかわり」

「はい!」

 

 渡されたお椀にアディルはスープを盛る。それを笑顔で手渡せば、相手もにっこりだ。

 

「アンデちゃんって、マジ天使だよな」

「分かる。いつも笑顔でお疲れ様ですって言ってくれるんだぜ」

「小さいのにエライよな。家族が騎士団にいるんかな?」

「婚約者がいるって聞いたぞ」

「えっ!? うちって成人してない奴いたか?」


 四日前に後方支援という名の炊き出しや、擦り傷や切り傷といった比較的簡単な手当に加わったアディルは、今や第三騎士団の注目の的である。


「なぁ、俺チラッと見えたんだけどさ……」

「何を?」

「団長と同じアームレットしてた」


 その瞬間、にぎやかだったそこに静寂せいじゃくが訪れた。


「……見間違いじゃないか?」

「だよな」

「そうそう。婚約するって言っても、相手は別人だろ」


 乾いた笑いが飛んだ。だが、皆の頭をある噂が駆け抜けた。カイザー・オルフェノスが少女と親密に出掛けている。それは、ほんの一時、話題になっただけですぐに消えた噂だ。

 

「団長ってロリ──」

 

 思わず誰かが言いかけた言葉は、口をふさがれたことで最後まで発せられることはなかった。

 

「まだそうと決まった訳じゃないだろ。アンデちゃん!! アンデちゃんの婚約者って、どんな人?」

「えっ!? えっと……世界一かっこよくて、いつも優しくって、強くて、包容力のある完璧な方です」

「そ、そうなんだ」

 

(((((今、ナチュラルに惚気のろけられたよな)))))

 

 聞かなきゃ良かった。皆の心は一致した。だが、カイザーとは別人だと言うことが分かり、ホッと安堵の息を吐く。

 

「アンデちゃんの婚約者が団長なんじゃないかってなってさ……」

「えっ!! 何で分かったんですか?」

 

(アームレットは上着で隠したし、名前も変えたのに……)

(((((嘘だろ。団長がロリ……じゃなくて、このこと知ってんのか!?)))))


 騎士たちは目で会話をすると、一人はカイザーの元へ、一人はアディルの警護へ、一人は配膳の仕事を代わる。会話を聞いていた他の騎士たちも、いそいそと動き出す。


「えっ? えっ!?」


 状況に追いつけず、キョロキョロとするアディルに護衛についた騎士が話しかける。


「このこと、団長はご存知ですか?」

「いえ。私の自己判断ですけど……」


(でしょうね!!)


 騎士は思った。可愛い見た目をしているが、天使じゃない。団長の地雷だと。


(団長が婚約者を溺愛しているという副団長の話が本当だったら、ヤバいんじゃないか?)


 魔物と対峙たいじするより、団長の方が怖い。それは第三騎士団の総意である。サァっと騎士の顔から血の気が引いた。


(頼む。早く団長に報告してきてくれ)


 後方支援は近隣の村など比較的安全な位置に置かれる。今回も森に近い村に配置された。だが、絶対に安全というわけではない。それを承知で支援してくれる人々で形成されているのだ。そのほとんどは騎士の家族や、騎士に助けられた人々、魔物発生地域の住人だ。


 今回も無事に終わってくれ……、この場にいる騎士たちは強く思った。けれど、急に空は暗くなり、周りを見回せば無数の目が赤く光っている。


「囲まれたか!?」


 慌てた声がそこかしこから聞こえてくる。


「アンデちゃん、絶対に傍から離れないで!!」


 そう言った騎士の声は少し震えていた。それでも守ろうとしてくれている。その心にアディルは笑みを浮かべた。


「ナナトさん、私より有志で来てくださった地元の皆さんを優先してください。私は大丈夫ですから」


 そう言われても、ナナトはアディルの傍を離れようとしなかった。アディルの細い腕は剣を握ったことなどなさそうで、戦えるようには見えなかった。それに──。


「たとえ、あなたが戦えたとしても、お傍にいます。やっと団長にできた大切な方なので」


 アディルは瞬きを繰り返し、ナナトに頭を下げた。


「私を守るために他の誰かを守れないことが嫌で言いました。ごめんなさい。私がどう動くと戦いやすい等あれば、教えてください」


(私が間違ってた。戦えないんだから、指示に従うべきだよね。一人の身勝手な行動が全滅を呼ぶことだってある。離れたとしても、私のことを心配してしまうだろうし……)


 アディルは護身用のナイフを取り出した。扱い方は愛する人が「万が一の時に身を守る術は必要だ」と言って教えてくれた。彼の優しく細められた金の瞳を思い出す。たとえ隣にいなくても、いつだってアディルに勇気をくれる。


「数ヶ月しか練習はしていません。それでも、可能な限り自分の身は自分で守ります」


 魔物に囲まれた状況でも、アディルの声は震えなかった。自身がここにいることをカイザーは知らない。それでも、必ず助けに来てくれるとアディルは信じている。


「カイザー様が来るまで、持ちこたえればいいんですよね?」

「はい。俺の後ろから離れないでください。できる限り、背後にも気を配ってくれると助かります」


 赤く光る目は無数にあり、恐怖で駆け出した人の悲鳴が聞こえた。その一瞬の悲鳴でアディルは悟った。その人の命は既にないことを。

 恐怖というものは伝染し、時には人の行動を制限し、時には平時では絶対にしないであろうことをさせる。

 しゃがみ込んだり、泣き出したり、逃げるように走り出したりと、パニック状態だった。


「落ち着いて」

「大丈夫です。我々が守ります。離れないで」


 騎士たちは声をかけるが、パニックになった人たちは誰も聞いていない。


「ナナトさん、大きな音を出すと魔物に襲われますか?」

「標的になる可能性があります」

「そうですか……」


 アディルは考えた。頭の中の天秤はぐらぐらと揺れている。その間にも、魔物はゆっくりと獲物を追い詰めるのを楽しんでいるかのように近付いてきている。


「大きな音を出して注目を集めれば、もしかしたら皆さんが話を聞いてくれるかもしれませんよね」


 このままでは、後方支援として来てくれた人たちの多くが死んでしまう。騎士たちも守ろうとして怪我をしたり、最悪の場合は命を落とすだろう。混乱は最悪の結果しか呼ばない。


「狙われやすくなりますよ」

「承知の上です」


 ナナトは渋い顔をした。彼も分かっているのだ。このままでは、助けが来る前に最悪の場合は全滅すると。


「なら、それは俺が──」

「いえ。その間、手が塞がるので私がやります」


 カン……カンカンカンカンカンカンッ。


 アディルはわずかに残っていたスープを気にすることなく落ちていた鍋をひっくり返すと、お玉で全力で叩いた。音は鳴り響き、叩き終わった瞬間にほんの少しの静寂が訪れた。


「落ち着いて行動してください。あなたたちは我々が必ず守ります。こちらに集まってください」


 ナナトは叫んだ。その声に釣られるかのように一人が動き出すと、他の人も動き出す。だが、動いたのは人だけではなかった。魔物も次々とこちらに向かってくる。


「私も皆さんといた方が……」

「そうすると、俺が心配で戦えないんで後ろにいてください」


 そうナナトが言った瞬間、狼のような魔物の爪がナナトを襲った。どうにか剣で受け止めたが、次々と攻撃を受けてしまう。あまりの勢いにじりじりと後ろに押されていく。


(このままだと、やられちゃう)


 アディルは護身用のナイフを握りしめ、ナナトの後ろから抜け出すと、ナナトの剣と魔物の牙が小競り合いしている隙に魔物の脇腹を刺した。血が噴き出し、アディルの視界を赤が染める。


(殺しちゃった……)


 命を取るか、取られるかの状況だというのに、生まれた罪悪感。初めて命を奪ったことにアディルは恐怖を覚え、戸惑った。自分が置かれている状況など頭からすっぽりと抜け落ちたのだ。


「アンデちゃん!!」


 焦ったナナトの声が聞こえ、振り向けば、よだれを垂らし、赤い目を光らせた一匹の魔物がアディルに迫っていた。


「あっ──」


 アディルはナイフを魔物から抜こうとした。今から逃げたところで間に合わず、ナナトは別の魔物と対峙している。アディルに残された選択肢は戦うか、戦わずして食べられるか。この二択しかなかった。

 だが、焦りからなのか引っ張ってもナイフは抜けてくれない。


(な、何で!?)


 半泣きどころか、涙も鼻水も垂らしながら必死にナイフを抜こうと引っ張った。そして、スポンとナイフが抜けた勢いでアディルは尻もちをついた。


「良かった。抜け──」


 安心したのも束の間、ポタリと頭の上から生温かい液体が落ちてきた。そして、黄ばんで不衛生そうな、鋭く尖った歯が歪んで見えるほど近くにあった。

 アディルはこの瞬間、死を覚悟した。自分の肩めがけて裂けるほどの大きな口が開き、あとは閉じるだけという状態。まるで時が止まったかのように、恐ろしくゆっくりと死が近づいているように感じられた。


「カイザー様……」


 そう呟いた瞬間、魔物の顔は飛んでいき、アディルの目の前には血が噴き出した魔物の首から下だけが残されていた。

 

 

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