第13話 甘い時間
オルフェノス家への挨拶が済んだ翌週、フラスティア家への挨拶も無事に済ませたアディルとカイザーは馬車で王都の中心地へと向かっていた。
「呼ばなくて良かったのか?」
「はい。一緒にお出かけしたいです」
頬を染めながら答えるアディルは、今日もカイザーの膝の上に乗せられている。いつの間にやら、カイザーにとってのアディルの定位置はそこに決定していた。何度降りても戻されるうち、アディルもすっかり慣れてしまったのである。
そんな二人の今日の目的は、アームレットの注文だ。
公爵家ともなれば、お店や商人を呼んでの買い物や注文が主流だが、アディルが街へ行きたいと言うのであれば、カイザーはそれに従うのみ。呼ぼうが向かおうが、アディルが喜ぶのであれば、どちらでも良いのだ。
「素敵なものができるといいですね」
うっとりとアディルは言った。今日の目的品のアームレットは、ただのアームレットではない。婚約の証だ。
「デザインの希望はあるか?」
「
両手をグッと握り、嬉しそうに言うアディルに、カイザーの眉間にはシワが寄った。
(何故、鷹なんだ? 花とか可愛らしいものがいいんじゃないのか?)
「鷹は縁起物ですから。かっこいいですし。それに……」
「それに?」
「オルフェノス公爵家の家紋のモチーフですよね? 鷹のデザインを身に着けたら、おそばにいられない時も、カイザー様と繋がっていられる気がして……」
「……そうか」
カイザーの返事にアディルは笑う。ぶっきらぼうな返事だが、カイザーの目は優しい。それに、よくよく見れば耳が少し赤い。
「見るな」
そう言われて、大きな手で目元を
(カイザー様の笑うお顔!!)
口角が少し上がることも、目元が優しくゆるむこともある。けれど、声を出しているのはレア中のレア。激レアだ。めったに拝むことはできない。
アディルは必死にカイザーの手を外そうとした。優しい力で覆われているはずなのに、何故か全く動かない。
(何で!?)
「ふぎぎぎぎぎ……」
「……ふっ。はははははは……」
耐えきれないように上がった笑い声。何が何でも見たい!! そんな欲求がアディルの中で膨らんでいく。
(こうなったら……)
「こちょこちょこちょこちょー……」
アディルは全力でくすぐった。カイザーの脇のあたりを思いっきり。だが、反応はない。
(この世にくすぐりが効かない人が存在するの!?)
「くすぐるということは、やり返されても文句はないよな?」
その言葉と共に再び明るくなった視界。そこにいたのは、悪い顔をしたカイザーであった。
「えっ? でも、カイザー様には効いてないですし、そもそもカイザー様が目を
「うん?」
(んぁぁぁああ!! うん? の一言ですべてを語られるとか……。尊っっ!! 悪い顔とイタズラ顔の共存、良いぃぃぃい!! カイザー様からのくすぐり? ご褒美です!! よろこんでぇぇええ!!!!)
「どうぞっ!!」
アディルはくすぐりやすいように、両手を上げた。まだくすぐられてもいないのに、体はモゾモゾ、口元はふよふよと動いている。
(くすぐられる前から、くすぐったがってるな……)
冗談だと言うつもりが、膝の上では既に覚悟を決めている。
(どうしたものか……)
くすぐってしまってもいい。だが、馬車という狭い空間でくすぐり、壁などにアディルの腕や足がぶつかってしまっては大変だ。そんなことは絶対に起こさないつもりだが、万が一ということもある。
カイザーは悩んだ。強い魔物と
必死に妥協案を探し、それは頭の中に舞い降りた。
つんっ……。
「ふふっ……」
つんつんっ……。
「あはははは……」
つんつんつんっ……。
「きゃはははは……」
人差し指で脇腹をつつかれる度にピクリと体を跳ねさせながら、逃げるようにアディルは体をねじった。だが、アディルの今いる場所はカイザーの膝の上。逃げようにも逃げ場はなく、アディルはきゃはきゃはと笑い続けた。
「参ったか?」
「ま、参り……参りましたぁ……」
そう言って見上げれば、カイザーは楽しそうに笑っていた。
(うぁ……)
いつもはあんなにも絶叫する心も、ドクドクと全速力で動くのみ。アディルは瞬きも忘れ、カイザーを見つめた。
「アディル……」
ゆっくりと近づいて来る顔。アディルはそっと瞳を閉じた。
(私もついにカイザー様とキスを……)
もうこれ以上速くならないと思った心臓は、もっと速くなり、自分が心臓になってしまったのではないかと思うほど、ドキドキしている。だが、いくら待っても唇に何も触れない。そのことを不思議に思って薄目を開ければ、カイザーの視線はおでこに集中していた。
「いつ、怪我した?」
おでこと髪の生え際にある薄い薄い傷跡。よくよく見ないと分からないうえに、いつもは前髪で隠されている。それが、笑って動いたことで、おでこが全開になりカイザーの視線にさらされた。
「えっ……?」
(今、チューの流れだったよね? あれ? 気のせい? というか、結婚してって言ってもらったけど、好きとは言ってなかった。あのプロポーズって私のため? 嘘をつく方じゃないけど、可愛いも異性への可愛いじゃなくて……。もしかしなくても、私の勘違い?)
気付けばいなくなってしまった甘い雰囲気。アディルは、恥ずかしくて叫び出したかった。
(カイザー様はいつも優しかったけど、好きな人に対する好きっていうより、やっぱり妹とか小さい子を可愛がる感じだったよね。婚約することになってからは、甘さ増し増しだから勘違いしてた。知り合いから婚約者への対応に変わっただけで……)
「アディル?」
恋愛経験はカイザーにだけ。しかも、片思いが長かった。客観性など、カイザーに関することには持ち合わせていない。何より、自分に自信がなかった。人より小さい体も、幼い顔つきも、アディルにとってはコンプレックスでしかない。
勉強を頑張ったことでようやく生まれた少しの自信も、先日のオルフェノス家への挨拶で消え失せた。上手くできなかったからと、泣きじゃくるなんて子どものやることだと、あの日のことを後悔している。叶うなら、もう一度その日に戻ってやり直したい。そう願わずにはいられない。
「どうした? 嫌なことでも思い出したか?」
「いえ。傷は領地にいる時、枝に引っ掛けたものです」
(目が泳いでいるな。俺と出会ってから、顔への傷はないはず。ということは、その前か……)
「なかなかお
「馬で遠乗りしたり、領民と農作業したりしていました。こっちでは、信じられないことですよね」
「いいんじゃないか? 遠乗りでも、今度するか。愛馬はいるのか?」
「はい。でも、領地でお留守番してます。ここじゃ
寂しそうにアディルは笑った。どんな時でも感情を隠しきれない。それは貴族女性としては欠点とも言える。だが、カイザーはアディルのその素直さを好ましく思っている。
「一緒に暮らすようになったら呼ぼう。馬の名は?」
「ルディです」
「アディルからとったのか? 良い名だな」
頭を撫でられ、アディルは瞳を細めた。子ども扱いだと思うけれど、カイザーとの触れ合いは心が弾む。
(恋じゃなくてもいいじゃない。こんなに大切にしてもらっておいて、何が不満なの? そばにいることさえ、できなくなるような方なんだから)
アディルが嬉しそうに笑えば、カイザーの瞳も和らぐ。その瞬間がアディルはとても好きだ。
「そろそろ着くぞ」
カイザーの声とともに、馬車の速度はゆっくりなものへと変わる。
(帰ったら、傷について調べないとな。必要なら、排除だな。時間はかかっても、必ず潰す)
「楽しみですね」
「そうだな」
馬車は止まり、アディルとカイザーは宝飾店の扉を潜っていった。
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