第12話 こういうとこ、何だよな。


 アディルを閉じ込める。行動に移してしまえば、命の灯火が尽きるまで一緒にいられる。けれど、それでは周りの心まで照らすような明るい笑顔も、すぐに赤く染まる照れ屋な姿も、もう見られない。アディルを壊すことになる。


(閉じ込めてしまうのも、洗脳してしまうのも、簡単だ。だが、それでは俺が好きになったアディルじゃなくなる)


 嗚咽おえつを小さく漏らし、小さな体をもっと小さくして泣く背中をカイザーは撫でた。

 冷たくなった声とは違い、優しい手つきで何回か撫でた後、ぽんぽんと一定のリズムで背中を叩く。まるで子どもをあやすかの様に。


「泣くな。何でも望みは叶える。頼むから、泣かないでくれ……」


 情けない、懇願こんがんするような声。カイザー本人ですら聞いたことのない声が出た。


「わた……、ふさわ……くな…………です」


 ようやく絞り出したアディルの声は小さくて、震えていた。しかも、鼻声な上にしゃくりを上げているものだから、途切れ途切れとなっている。


「何でそう思ったんだ? 俺はアディルだから婚約する。相応しくないのは、俺の方だ」

「そ……なこと!!」


 カイザーの肩から勢いよく顔を上げ、アディルは声の方を見た。目の前にある顔にまたじわりと涙がこみ上げる。


(私のせいで、相応しくないって言わせちゃった。挨拶もちゃんとできない私が悪いのに……。涙だけでも早く止めないと。これ以上、迷惑をかけちゃだめ……)


「わた……、わたし……」

「うん」

「挨拶もきちんとできなくて……」

「うん」


 アディルは懸命に呼吸を整えながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。目は真っ赤で、化粧は涙で流れ落ちてしまい、ひどい顔だ。鼻をズビズビとすすり、瞬き一つでまた涙がこぼれてしまいそうなほどに瞳は潤んでいる。


(こういうとこ、何だよな……)


 アディルの顔を至近距離で眺めながら、カイザーは思う。懸命に話す姿も、決して人のことを悪く言わず自分に原因があると考えるところも、頑張って泣き止もうとするところも、そのすべてが愛おしかった。


「どうして挨拶をきちんとできていないと思ったんだ?」

「カイザー様のお膝にいた……し……、二回も挨拶……しちゃったから……」

「膝の上にいたのは、俺が降ろさなかったからだ。二回挨拶したのも、俺が原因だろ?」

「そんなこと──」

「そんなことある」


 カイザーはキッパリと言い切った。

 降ろしてと言われても膝の上から降ろさずで続けたことで、アディルがキャパオーバーになっていたことに、カイザーは気が付いていた。だが、照れる姿が可愛いのと、膝の上に乗せていたいという願望を優先させてしまった。


(婚約が確定事項とは言え、配慮が足りなかったな)


 アディルが奇声を上げようが、踊りだそうが、飲み物をひっくり返そうが、何をやらかしたとしても、オルフェノス家はアディルをカイザーの嫁として迎え入れることになっていた。

 それを知っていたのはオルフェノス家だけで、アディルからしたら家格が上の公爵家に挨拶に行くのだ。普段、王女の話し相手をしているとはいえ、緊張しないはずがない。実際、アディルはかつてないほどに緊張をしていた。


「降ろさなくて、悪かった。アディルが可愛すぎて、離れられなかった」

「……へっ?」


(アディルが可愛すぎて、離れられなかった?)


 アディルは何度も瞬きを繰り返した。瞬きをする度、瞳に残っていた涙があふれていく。


(カイザー様が、私を可愛いって……。えっ? 夢? カイザー様の婚約者になれるって話も、可愛いって言ってもらえたのも、現実じゃありえない……よね。そっか、そうだよね。私じゃ無理だもんね)


 夢だと思って思い返してみれば、カイザーの家族が何故か拍手をしたり、泣いていたりしたことも納得できた。一度頬をつねって夢じゃないか確認したつもりだったが、夢から覚めるほどの刺激ではなかったのだろう。

 アディルは長い夢を見ているのだと答えを出した。


「へへっ。良い夢ですね」

「夢?」

「はい。カイザー様に抱っこしてもらったり、撫でてもらったり、上手くできなかったけど、婚約するために挨拶にお邪魔したり。……可愛いって言ってもらえたり」


 可愛いのところで急に声が小さくなり、顔を赤く染めたアディルにカイザーは小さく笑う。


「可愛いって言われて、嬉しかったのか?」

「はい。他の人に言われるのは嫌なのに、カイザー様だと嬉しいです」


 はにかみながらも素直な気持ちを口にした。そして、夢だと分かっているから、普段よりも少しだけ大胆になった。


「もう一回、可愛いって言ってくれませんか?」


(本当は好きって言って欲しいけど、夢だとしても欲張りすぎだよね)


 真っ赤な顔、まだ潤んだ瞳、甘えた声。カイザーはゴクリと唾液をのみ込んだ。


「可愛いよ……」


 アディルの瞳からこぼれた涙を指で優しく拭う。いつもは鋭く光る金の目も、今は鋭さを失い、熱が帯びている。


「世界一、可愛い」


 相変わらず抑揚は少ないが、甘さを含んだ声は、アディルを溶かすのには十分だった。


「カイザー様……」

「何だ?」

「腰が抜けました」


 抱っこされたままだが、アディルは体に力が入らなかった。


「夢なのに、腰を抜かすことってあるんですね」

「まぁ、夢じゃないからな。腰を抜かすこともあるだろ」 


 カイザーの言葉に、アディルは固まった。


「夢じゃ……ない……?」


(そんなことってある? カイザー様はいつも優しかったけど、今はこんなにも甘い。まさか、婚約者仕様ってこと?)



「カイザー様……」

「ん?」

「きちんとご挨拶できなかったこと、謝りたいです。まだチャンスがあるなら、ずっとカイザー様と一緒にいたいんです」


 真剣な瞳がカイザーの瞳を見つめた。そこにはもう涙はなく、強い意志が宿っている。


「喜んでたよ。アディルが来てくれて、家族全員が喜んでた」

「えっ、でも……」

「嘘じゃない。俺がお前に嘘をついたことがあったか?」


 アディルは、ブンブンと首を横に振った。カイザーは、今まで一度もできないことを言ったことも、嘘をついたこともない。本当のことしか言わないのだ。


「きちんと挨拶ができなかったのに、私のことを受け入れてくれたんですか?」

「アディルには、喜んでるように見えなかったか?」

「……いえ。歓迎してくれてたように思います」

「だろ? アディルが俺と結婚してくれたら嬉しいって、俺たちは思ってるよ」


(俺たち? カイザー様も嬉しいって思ってくれてるの? 私がお願いしたから仕方がなくじゃなくて?)


「カイザー様……」


 小さくささやかれた己の名。名前を呼ばれることが、こんなにも嬉しいことだなんて、カイザーは知らなかった。


(既に婚約へ向かっているのに、今更かもしれない。だが、きちんと伝えたい。俺の気持ちを知って欲しい)


「アディル、俺と結婚してくれないか?」


 金の瞳の中には、若草色の瞳を大きく開き、これ以上赤くなれないほどに真っ赤に全身を染めたアディルが映っていた。


 


 

 

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