第9話 似たもの親子


 応接間には、父のアザムス、母のアメリア、兄のユナイが待っていた。父とユナイは顔を青白くさせ、母は満面の笑みを浮かべている。


(表情の高低差がすごい。風邪ひきそうだわ)


 緊迫した空気の中に、今にも鼻歌を歌い出しそうな人を入れるものではない。混ぜるな、危険! そんな言葉がエルマの頭を過っていく。

 

「えっと……どういう状況?」

 

 そう言うアディルに向けて、父のアザムスは一通の手紙を差し出した。手が震えているおかげで、アディルは何回か手紙を掴みそこねたが、どうにか受け取れた。

 

「どういうことだい?」

 

 手紙の中身を確認する間もなく、問いかけられた。だが、アディルには差出人がすぐに分かった。押されている封蝋印ふうろういんは、アディルにとって世界一愛しい人のもの。

 

「んきゃぁぁぁあ!! カイザー様のお手紙!! 見るのがもったいない!! でも、見たいなぁ。なんて書いてあるんだろ? 婚約のことなら、早すぎだよね。でもでも、会ってたんだから、お父様に用事があれば一言教えてくれたよね? うわぁー! エルマ、どうしよう? どうしたらいいと思う?」

「開ければいいんじゃないかしら」


 ある意味いつも通りのアディルに、エルマはさらりと言った。だが、頭の中ではクエスチョンマークが大行進しており、一言話す間に何倍もの速さで思考が駆け抜けていく。


(記憶違いじゃなきゃ、今日、婚約の話になったのよね? 別れてすぐにアディルとフラスティア家に向かったのよ? 途中、寄り道だってしてないし……。もしかして、用意していた……とか? それでも、私たちの到着よりも先に書簡しょかんが届くなんておかしいわ。それ以外の用件って可能性もあるけれど、アディルを慌てて呼び出すくらいだもの、婚約の件としか思えない……)


 平静を装いつつ、思考がぐるぐると駆け回るエルマの隣で、アディルは世界で一番尊いものを扱うかのように、そっと手紙を出して開いた。


「───っっ!!!!」


 アディルの若草色の瞳から、ぽろぽろとしずくが落ちていく。濡らさないよう、腕を高く上げ、潤んでよく見えなくなった視界でも手紙を見続ける。


「家宝にするわっっ!!」


 涙声で叫び、そうっと手紙を封へと戻す。そして、いそいそと出掛けた時に持っていた鞄へしまおうとした。


「待ちなさい」


 いつも穏やかなアザムスから厳しい声が飛ぶ。表情も険しい。


「何?」


 そう答えるアディルもまた、ただならぬ様子で、まさに一触即発といった雰囲気だ。


(ど、どうしよう……)


 幾度となく遊びに来たフラスティア家は、いつでも笑顔が溢れていた。だが、今は少しの刺激で争いに発展してしまいそうだ。

 エルマは狼狽うろたえ、無駄に手を上げては下ろし、下ろしは上げてを繰り返す。


「あ、あの──」


「その手紙は私のだ」

「嫌よ! 私のものよ」


 カイザーからの手紙の奪い合い。予想もしなかった事態に、エルマは目を見開いたまま固まった。


「待って待って!! 貰えるんなら、僕も欲しいんだけど」

「それなら、私だって欲しいわ」


 父と娘の争いに、兄と母まで加わって、大騒ぎ。


(何が起こっているの?)


 貴族としての体裁を気にする両親とあまりにも違い過ぎて、エルマは目の前の光景にただポカリと口を開けたまま眺めていた。

 そこに、ゴホンという咳払いが一つ。家令が争いの元となっている手紙をヒョイと取り上げた。


「「「「シュベロ!!」」」」

「返してよ。カイザー様からのお手紙」

「私のコレクションだぞ」

「父上ばかりズルいです。僕だって欲しい!」

「そうよ。私だって、額に入れて部屋に飾りたいわ」


 シュベロと呼ばれた家令は、手紙を持った方の手を上げる。その周りを皆がピョンピョンと跳ねている。この屋敷で一番背の高いシュベロが手を上げて手紙を持ってしまえば、誰も届かないのだ。


「落ち着いてください。まずは、婚約の打診をどうするかが問題です」


 冷静に告げられ、皆はピタリと動きを止めた。そして──。


「「断るに決まっているだろ」」

「「お受けするに決まってるでしょう」」


 意見は見事に真っ二つに割れた。


「第三騎士団長が誰かのものになるなんて、認められるものか」

「そうだよ。みんなのカイザー様でいて欲しい」


「……へ?」


 小さな小さなエルマの声は、騒ぐフラスティア家一同にかき消された。既にキャパシティを超えていたにも関わらず、新たな展開。何故? どうして? と思うことすら面倒になっていた。


「どうして? 家族になるのよ? あんなに逞しくてかっこいい義息子ができたら、夢のようじゃない。アザムスもユナイも嬉しくないの?」

「そ、そんなことはないが……」

「それに、アディルに縁談の申込みをしてくる方って、一癖も二癖もあるような方ばかりよ? こんな良縁を逃して、アディルが幸せになれなかったら、どうするつもりなの?」


 しゃべろうとするアディルの口を手で塞ぎながら、アメリアは着々と反対派を追い詰めていく。


(アディルに話させるよりも、自身が話した方が有利に事を運べると判断されたのね。流石だわ)


 考えることを放棄し、目の前で繰り広げられるアメリアからの説得に、さて、どうするのかな? とエルマは男性二人に目を向ける。


(あっ……。あとちょっとで、押し切れるやつだ)


 そう直感すると、再び思考を回転させるまでもなく、ただの思いつきを口にした。


「アディルとオルフェノス様が結婚したら、お義父さん、お義兄さんって、呼ばれるんですね……」


 その瞬間、フラスティア家の心は一つになった。


「そうよね。私はお義母さんって、呼ばれるのよね!」

「お義父さん……」

「お義兄さんもいいけど、名前で呼んでもらうのもいいなぁ」

「ひゃー! 私は婚約者って紹介してもらえるようになるんだぁ。ゆくゆくは、妻かぁ……」


 婚約しようとなった時点で分かっていたはずだが、カイザーが婚約してくれることが嬉しすぎて、そこまで妄想が追いついていなかったアディルまで大はしゃぎ。


(アディル様の扱いに長けていらっしゃるだけのことはある。流石です)


 シュベロは、エルマの言葉に感心し、心の中で拍手を送った。


「では、お受けするということで、お返事を書いてしまいましょうか。ね、旦那様」

「そうだな。お相手の気持ちが変わるといけないからな。早急に書くことにしよう」


 準備の良いシュベロに促され、アザムスはインクを走らせた。


「ふふふ……、これで私は第三騎士団長のお義父さん……」


 楽しそうに笑いながら、返事を書き終え、そこで始めてエルマの存在に彼等は気がついた。


「エルマ嬢、来てたのか……。見苦しいところを見せてすまなかったね。ゆっくりしていくといい」

「あらー、エルマちゃん。ついにアディルの婚約者が決まるのよ」


「おめでとうございます。勝手に上がってしまい申し訳ありません。おじゃましております」


 まさか、気付かれていなかったとは……。そのことに驚きつつ、エルマはペコリと頭を下げた。いつもは大騒ぎのユナイが静かなことが不思議で、視線を向ければ何故か顔を真っ赤に染めている。


「エルマ、僕と結婚してください!!」


 突然の告白。パチパチと何回か目を瞬かせた後、エルマははっきりと言った。


「ごめんなさい」


 ユナイは崩れ落ち、アザムスは息子の突発的な行動を慌ててエルマに謝罪した。アメリアはというと、「ムードの欠片もないなんて信じられない」と言いながら、ユナイの頭を扇で叩いた。そして、アディルはというと小さな声でエルマに話しかける。


「エルマって、好きな人はいるの?」


(目標があるのは知ってるけど、こういう話って聞いたことないんだよね)


「いないわよ。私は結婚よりも国の発展に力を注ぎたいの。このまま貫けば勘当されるでしょうけど、そうなっても仕方がないと思っているわ」

「エルマは、かっこいいね」


 エルマは、自分の未来を否定せず肯定してくれたことが嬉しくて、笑みを浮かべた。その笑ったエルマがあまりにも綺麗で、アディルは瞳を細めた。


(きっと悩みに悩んだ結果、覚悟したんだろうな。これから先、何があっても私はエルマの味方だよ。がんばって……)


 アディルがエルマのために直接できることは少ない。それでも、そばにいればできることはきっとある。


(やっぱり、ユナイには高嶺の花だよ。人を見る目があるからなのか、いつも高嶺の花を好きになるんだよなぁ)


 アディルは、ユナイの肩を叩く。


「諦めも肝心だよ」


 この一言で兄妹喧嘩が勃発ぼっぱつし、その隙にカイザーからの手紙をちゃっかりとアザムスが自分のものにしたため、あとで親子喧嘩も起こるのであった。



 

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