第8話 自覚
珍しくカツカツとブーツの
その音の速さに何事かと振り向いた人々は、瞬時に避けた。その速さは、
(俺が、アディルのことが好き……?)
眉間に深いシワを寄せ、無意識に第三騎士団長用の執務室へと向かいながら、カイザーは頭を悩ませていた。
(確かに好ましいとは思っていた。俺のことを怖がらず、
執務室の扉を乱暴に開け放ち、ドカリと革張りのダークブラウンの椅子に座る。ギシリと鳴った椅子の悲鳴を無視し、カイザーは黙々とインクを走らせた。インクは
丁寧な言葉で綴られた方を幾度となく目を通し、封に入れると
「何をやっているんだ、俺は……」
頭を抱え、執務机に突っ伏した。もしも誰かがその姿を見れば、さぞや驚いたことだろう。だが、幸いにも部屋には一人。いつもヘラヘラと長居をするアスラムもいない。
「今いれば、八つ当たりができたのにな」
アスラムが聞けば、ギャーギャーと騒ぐであろうことを呟きながら、二つの封筒を見る。
「いつからだ?」
気が付けば、
(もし同じようなことがもう一度あっても、初対面の令嬢の保護者として街には出ないだろうな……)
そう考えると、はじめから特別だった気さえしてくる。
実際、特別なのは間違いなかった。出掛けた時は、柄にもなくエスコートをしたし、自身と噂にならないようにありとあらゆる手を使った。アディルが不利にならないよう、カイザーは細心の注意を払い続けていた。
「可哀想だな……」
(愛人になりたいと言い出さなければ、婚約することもなかった。俺が気持ちに気付くこともなかっただろうに……)
気が付いてしまった。駄目だと思ったにも関わらず、囲い込むための行動をしてしまっている。
「諦めて、囲われてくれ……」
一度、目を
コツコツと執務机を二回指先で叩けば、「お呼びでしょうか」と天井裏から声がする。王城であろうが関係ない。カイザーは、常に影の者を有している。面と向かっての交渉はアスラムに任せているが、裏での情報操作や収集はカイザーの得意とするところだ。
「これを届けてくれ」
「畏まりました」
影は楽しそうに笑う。幼い頃から仕えてくれた相手の笑顔の意味も、どう思っているのかも分かってしまうカイザーは、小さく息を吐いた。
「そんなに嬉しいか?」
「当たり前じゃないですか。
「その相手は気の毒だがな」
「それ、本気で言ってます?」
珍しく驚いた影の表情に、カイザーは何も答えない。
「用件は、それだけだ。兄には、明日にでも寄ると伝えてくれ」
カイザーがシッシッと手を振れば、影は姿を消した。
(特別が本当の特別になる……か)
「アディルに好きな男ができたら、殺してしまうだろうな……」
好きな男の死を悲しみ、憎しみを瞳に宿し、自身を見る姿をカイザーは想像した。
(アディルが誰にも恋をしなければいい。そうすれば、いつまでもアディルにとって、優しい男でいられる)
保護者気取りは、もうできない。本人にバレないように囲い、彼女に近付く男を排除する。今まで気付きもしなかったくせに、気付いた途端に湧き上がる執着心に、カイザーは
「まさか、こんな日が来るとはな……」
その声は誰にの耳にも届くことなく、静寂に吸い込まれていった。
一方、その頃。馬車に揺られながら、アディルはニヤける顔を隠すことなくエルマに
「あのね、愛人にして欲しいって言ったら、婚約者はどうか? って言ってくれたの!! 愛人を作るつもりはないっておっしゃっていたから、浮気や不倫の心配もないわよね!! カイザー様の唯一になれるのよ!! あんなにお優しくて、かっこよくて、天に何物も与えられた神の化身のようなカイザー様の婚約者だよ!? あれ? 私、死ぬのかな? 幸せを使い果たしたから、残るは死しかない?」
「幸せで死ぬことはないから、安心なさい」
惚気を通り越し、急に自分の身を案じ始めたアディルに、エルマは至って冷静にツッコんだ。
「そんなことより、家族にはどう説明するの?」
「カイザー様が婚約してくれることになったって言うよ」
へらりと笑うアディルに、エルマはついて来て良かったと心から思う。
「アディルもオルフェノス様の噂は知っているでしょう? そんなにすんなりと受け入れてくれるかしら……」
「大丈夫だよ。直接話したこともあるし、何度か文のやり取りもしてるから」
さらりと言われた言葉に、エルマはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
(あれ? 反対された時のためについて来たけど、不要だったのかしら。反対されないに越したことはないし
それならば、フラスティア家への来訪を楽しもうとエルマは切り替える。学生の頃はよく遊びに行っていたが、アディルが王女の話し相手になってからは王城で会うことも多く、エルマ自身も忙しくなったため、久しぶりだ。
「アディルから話は聞いていたけれど、直接お会いするのは久しぶりね」
「そうだね。みんな喜ぶよ。エルマのこと、よく聞かれるもん。元気か? とか、遊びに来ないの? とか。この間なんか、エルマは私の友だちなのに、私がいない時でもいいから、遊びに来てくれないかな……って言ってたんだよ」
「えぇ? 本当に?」
クスクスとエルマが笑う。その姿を見ながら、アディルは二つ上の兄を思い出す。
(ユナイにエルマは高嶺の花だよなぁ)
アディルとは別の意味でエルマは目立つ。
スラッとした細い手足、高く細いウエスト、豊かな胸、誰もが
クールビューティという言葉が似合う大人っぽい顔立ちで、学園を優秀な成績で卒業しており、今は将来有望な若手の研究者として王城に勤めている。そんなエルマに憧れている令息も令嬢も少なくない。
(エルマとカイザー様、お似合いだったな……)
いくら
好きな人と婚約し、ずっと隣にいられる。誰にも譲るつもりはない。幸せだと思う。けれど……。
(どうしたら、自分に自信が持てるようになるんだろう……)
人より低い一五〇センチに満たない身長も、幼い顔つきも、更に幼く見せるふわふわの癖っ毛も、ささやかな胸も、小さな手足も、みんなアディルのコンプレックスだ。
「どうしたの? 幸せすぎてため息が出ちゃった?」
「まーね。そんなとこかな!」
そう言って笑うアディルにエルマは違和感を覚え、口を開こうとした時、馬車は伯爵家へ到着した。
「ねぇ、アディ──」
「お嬢さまのお帰りです!!」
「すぐに旦那様と奥様にお知らせしてっ!」
馬車の扉が開く前から、ずいぶんと慌ただしい声がする。
「おっかしいなぁ。サプライズにしようと思って、エルマも一緒だって早馬を出さなかったのに……」
「私が来たくらいじゃ、こんなに騒ぎにはならないわよ」
(ユナイなら、騒ぐと思うけど……)
思わず口から出そうになった心の声を、慌ててアディルはのみ込んだ。
「降りてみれば、何だかわかるでしょ」
そうアディルが言い切る前に、勢いよく扉は開かれた。
「えっと……ただいま?」
「すぐに応接間に向かわれてください。皆様、お待ちです!!」
家令の目は血走っていた。
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