第3話 さまよう視線と恋心


「……はぁ?」

 

 アディルの口から出た言葉に、地をうような低い声が響く。それと同時に、カイザーの眉間のシワが更に深いものとなった。

 

「あ、ごめんなさい。かっこいいだなんて、言われすぎて聞きたくもないですよね」

 

(いくらかっこいいからって、浴びるほど言われていたら不快になるかもしれないよね。絶対モテモテだもん。私みたいなちんちくりん、相手にされないんだろうなぁ。良くて、妹ポジションってところかぁ) 

(かっこいい? 泣かれるか、気絶されることはあっても、俺の顔を凝視できた女は家族以外にいたことがない。頭でも打ったか? いや、きちんと捕まえたし、怪我はしてないはずだ。あれか? よく追いかけられてるみたいだし、ストレスでおかしくなったか?)


 カイザーは小さく咳払いをすると、今聞いた言葉をなかったことにした。


「よく追いかけ回されるのか?」

「……他の方よりも多いのかもしれません。二年前くらいから知らない男の人に声をかけられたりすることが多くなって、外出をする時は護衛を必ず三人はつけなくちゃいけなくなったので……」

「二年前って、まだ十四歳じゃねーか」


 ため息混じりの声に、アディルは小さな身体をもっと小さくした。


(最近は変な手紙とか贈り物もたくさん届いているみたいだし、今日はデビュタントだっていうのに追いかけ回されるし、私の状況ってやっぱり普通じゃないんだ……)


 そうなんじゃないかと思っていた。それでも、その考えを必死に否定していた。けれど、現実が目を背けられないほどになってしまった。


(何でこんなことになっちゃったんだろう……)


 領地にいた頃、アディルの行動を阻害するものは何もなかった。ただっ広い野原を駆けずり回り、馬に乗って遠乗りをして、木に登って果実を取って食べた。

 屋敷に近い町では、みんなが話しかけてくれて、収穫時期になれば、街の子たちと一緒になって手伝いをした。

 屋敷から離れた村や集落に視察へとたまに連れて行ってもらった時も、誰もが親切だった。


 それなのに、十三歳で学園へと入学するために王都へ来てから、徐々に変なことが増えていった。持ち物がなくなったり、街を歩いていれば知らない人に何回も話しかけられたり、ぶつかられたりした。

 王都は人が多いし、そんなこともあるのかな? と最初は思っていたアディルだが、徐々におかしいことに気が付いた。けれど、どうすればいいのか分からずに困っている間に、誘拐されかけた。

 運良く通りすがりの人が助けてくれたが、脇を通り過ぎる馬車に引きずり込まれそうになった日のことを、アディルは今でも夢に見る。

 そして、その日から外出ができなくなった。護衛を三人つけるということで、どうにか学園でできた友人のお茶会には参加できているが、街には行けていない。


 アディル自身が、街という知らない人がたくさんいる場所に行くことを無意識に避けたことと、家族が非常に心配した結果である。


「また街に出たいな……」


 先程まで自分をじっと見ていた目が伏せられ、悲しげに紡がれた小さな望み。うつむき我慢するアディルの姿が、カイザーには、歳の離れた妹に重なって見えた。


(混同するな。リルハートとこいつでは置かれている状況が違う。第二騎士団がしっかりすれば、こいつは街中を自由に歩けるだろ)


 だが、その自由はいつ叶うのか……。

 カイザーは心のなかで盛大に舌打ちをした。


第二騎士団あいつらは何してやがる。ガキが安心して街中を歩けないなんておかしいだろーが)


「連れてってやろうか?」


 そう聞いたのは無意識だった。


「えっ!?」

「ん?」


 アディルは驚いた声をあげてカイザーを見上げ、カイザーは自身の言葉に首を捻った。


「デートですか!?」

「保護者だ」


(ほ、保護者……)


 アディルは心のなかで打ちひしがれたが、復活も早かった。


「是非、お願いします!!」


 カイザーの隊服を掴み、若草色の瞳をキラキラとさせながらアディルは言う。あまりにも嬉しそうな姿に、カイザーの口の端は小さく上がった。


(え、笑ってる。かっこいい……。この際、保護者でも何でもいい。一緒にお出かけできるチャンス。逃したくな……い……)


 嬉しいはずだった。それなのに、アディルは戸惑い、瞳は陰を帯びる。自然とカイザーの隊服を掴んでいた手に力がこもっていく。

 カイザーに助けてもらえて、ご褒美もらっちゃったと思ったことは嘘じゃない。けれど、それまでが怖くなかったわけじゃないのだ。自分よりも遥かに大きな大人の男性に追いかけ回されるのは、何度起きようとも怖くて、その恐怖を克服することはできない。


「どうした?」

「いえ。街に行くって二人でですか?」


(嬉しいよ。嬉しいけど、大丈夫かな。王都は怖い。変な男の人がいっぱいいるから……)


「心配するな。俺より強い人間はこの国にはいない」

「騎士様が一番強いんですか?」

「そうだ。だから安心しろ。何があっても守る」


(ぅあ……)


 アディルは自身の顔が熱くなっていくのを感じた。空気を求めるように口をハクハクと動かし、視線を動かすこともなく、ただただカイザーを見つめる。カイザーから目が離せなかった。


「行けるか?」

「あい……」


 間の抜けた返事をしたことにも気付けないほど、アディルはカイザーに夢中だった。


「あの、お名前を聞いてもいいですか?」


 どうにか絞り出した声は、かすれていた。それでも、隊服を握りしめられる距離にいたアディルの声は、しっかりとカイザーの耳に届いた。


「あぁ。名乗らせたのに悪かったな。第三騎士団のカイザーだ」

「……カイザー様? 騎士団長で、オルフェノス公爵家のカイザー様ですか?」

「もう家を出た身だから、あまり関係ないけどな」


 伯爵家と公爵家。家格としては二つだが、土地が広いだけの伯爵家と国の中枢を担う公爵家では、天と地ほどの差がある。カイザーは関係ないと言ってくれたが、アディルにとっては、そう簡単に話しかけていい相手ではなかった。


(一緒にお出かけしたい。けれど、私なんかが隣にいてもいい身分の方じゃない……)


 泣かないように、奥歯をぐっと噛み締め、そっと手を離す。鼻の奥がツンとしたが、涙はこぼれていない。


(断るのよ。元々、高望みだったんだから)


「何だ、怖くなったか?」

「違います‼」


 被せるように言い切ったアディルに、カイザーは視線のみで理由を尋ねた。一瞬だけ迷うように視線をさまよわせたあと、アディルは真っ直ぐにカイザーを見た。


「怖くなんて、ありません。でも、私の身分じゃ、カイ……オルフェノス騎士団長様の隣を──」

「カイザーでいい」

「へっ?」

かしこまらなくていい。さっきみたいにカイザーと呼べ。それと、俺の隣を歩くぐらい大したことじゃない。俺がいいと言ったんだから、堂々と歩けばいい」


 優しく頭に乗せられた手。大きな手だ。

 その手の重みを感じた瞬間、アディルの瞳から涙が滑り落ちた。


「ありがとうございます」


 泣きながら笑うアディルに、今度は困ったようにカイザーが視線をさまよわせた。


 

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