第33話 千佳2 ヒットの快感
天上共栄との練習試合で、ウチはヒットを1本放った。
練習とはいえ、試合で初めて打ったヒット。
気持ちよかった。
一生忘れない。
4回裏、4番の方舟先輩が四球で出塁した。
2アウト1塁で、5番のウチに打順が回ってきた。
高浜監督から打撃を褒められたことはあったけれど、クリーンナップの一角をつとめるなんて、ウチには荷が重かった。
でも、野球は素敵だ。
怖くて震えながらも、ウチはプレイを楽しんでいた。
左打席で、これが武者震いというやつか、と思っていた。
天上共栄の2年生投手、葛西さんが左のオーバースローで投げ込んでくる。
外角低めのストレートを見送った。ストライク。
速いけれど、凛奈さんと比べると、遅い。
草壁先輩と同じくらいのスピードだけど、1打席目で見た限り、変化球のキレはうちの先輩ほどでもない。
つまり凛奈さん、草壁先輩よりも打ちやすいということだ。
打ってやる。
2球目はカーブだった。内角高めから真ん中に入ってくる甘い球。
私はバットを振った。芯でとらえた心地良い感覚。カンという打撃音。
1塁へ向かって走りながら、速い打球が1、2塁間を抜けていくのを見た。ボールはあっという間にライトへ。
1塁ベースを駆け抜ける。
ヒットだ。初ヒット!
「やった……!」
「ナイスバッティング、千佳ちゃん!」と凛奈さん。
「初ヒットおめでとう!」と時根くん。
2塁ベースから方舟先輩が「見事なクリーンヒットだわ!」と称えてくれた。
ウチは快感と感動が入り混じったこのときの気持ちを絶対に忘れない。
生きてて良かった!
大袈裟でなく、そう思った。
方言をからかわれ、吃音が癖になってくすぶっていたウチが、友達と野球を得て、生まれ変わることができた。凜奈さんと時根くんには感謝しかない。
6番の胡蝶さんが三振して、ウチはホームベースに還ることはできなかった。
7回から登板した相手ピッチャー潜水さんの投球は、驚異的だった。
凜奈さんに匹敵するような投手は県内にはいないだろうと思っていたが、天上共栄にいた。
アンダースローから放たれるホップする速球。
ウチはかすることもできずに三振した。打てる気がしない。
前に飛ばすことができたのは、時根くんだけだった。
次は打ってやる、なんて強気なことは考えられなかったけれど、潜水さんの球に当てられるように練習しようと思う。
打撃は時根くん任せなんてつまらない。
ウチはもっと野球を楽しみたい。
もっともっと。
家に帰り、初ヒットの感動をお父さんに伝えた。
「カーブを弾き返して、ライト前ヒットを打ったんや。生まれて初めてのヒット。気持ちよかった!」
「それは最高やったな」
「凜奈さんと時根くんはすごかった。春の選抜出場校相手に凜奈さんは3回をパーフェクトピッチング。ひとりも走者を出さなかったんよ。時根くんは2本もホームランを打った。あのふたりは天才や」
「そうか」
「相手チームにも怪物みたいなピッチャーがいたんよ。1年なのに天上共栄のエース。アンダースローでとてつもない球を投げてきたわ。ウチはあっさり三振してしもうた。でも、次に戦うときは、打ち返したい」
お父さんはしばらく黙った。
「千佳、あんまり目立たん方がええ」
「ウチなんか目立たへんよ。今日もやっとヒットを1本打っただけや」
「おまえには変身生物の血が流れとる。その能力が発現してるかもしれへん」
「たいして活躍してへんって」
「野球を始めて2か月でレギュラーとしてチームに貢献し、ヒットを打ったんやろ? ものすごい活躍やないか」
「レギュラーになれたんは、部員が9人しかいないからやよ」
「外野フライは捕ったか?」
「捕ったよ」
「それがたいしたもんやと思うんやけど、ちがうか?」
「普通やろ」
「どうかな。千佳、おまえは野球にのめり込みすぎん方がええんとちゃうか。凜奈さんと時根くんもあんまり目立ちすぎん方がええ。ふたりとも変身生物かもしれん」
父の言葉に衝撃を受けた。
確かに彼らは変身生物かもしれないが、ふたりが野球に力を注がないなんてあり得ない。
ウチにも野球に打ち込まないなんて選択肢はない。
やっと生きている甲斐を見つけられたのだ。
変身生物でも、一生懸命に生きていいはずだ。
もう死んでるように生きるのは嫌だ。
命を爆発的に使いたい。
野球をしたい。
ヒットを打ちたい。
あの快感なしでは生きられない。
「いやや! ウチは野球をする。半端にはせえへん」
「千佳……」
もしかしたら、ウチらは研究所に入れられてしまうのかもしれない。
かまわない。
そのときまで、命を最大限に燃焼させてやる。
やっぱりウチは、潜水さんの球を打つ。
彼女からヒットを打てたら、死んでもかまわない。
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