第30話 高浜2 勝算
怪我人が出なければ、本当に甲子園へ行けるんじゃないか、と思うようになってきた。
空尾と時根の能力はずば抜けている。
空尾はスプリットを完全にマスターし、低めにコントロールできるようになっている。
高速の球が打者の手前でクンと落ちる。
打席に立って確かめたが、一瞬ボールを見失う。消える魔球にも等しい。高校生に打てる球ではない。
ストレートだけでも打てそうにないのに、プロ顔負けのスプリットを会得した。
空尾はまちがいなく超一流のピッチャーだ。10年にひとりの逸材だ。
精神的に崩れず、スタミナさえ持てば、試合での完封が期待できる。
時根も怪物だ。
さして恵まれた体格を持っているわけではないのに、バットスイングが異様に速い。おそらく素晴らしく質の良い筋肉を持っているのだろう。
動体視力も良いにちがいない。
バットの芯で球をとらえる能力が並はずれて高い。時根が打ったボールは、約半数が外野の防球ネットまで届く。ホームラン。
空尾と時根がいれば、他の選手が平均以下でも勝てる。
少なくとも、地区予選くらいなら勝算は充分にある。
他の部員も順調に育っている。
外野を守らせることにした初心者たちはがんばりを見せ、イージーフライなら捕れるようになった。彼女たちに多くは期待していない。凡ミスをしなければ上等だ。空尾が崩れ、外野にガンガン打たれるようなら負け試合。そのときはあきらめるしかない。
志賀がバッティングセンスの良さを持っていたのは、嬉しい誤算だった。5月に入ってからバッティングマシン相手に快音を連発していたので、試しに空尾の本気のストレートを打たせてみたら、食らいついてフェアゾーンに弾き返した。驚くべき打力だ。パワーはないが、優れたアベレージヒッターになれる素質がある。
志賀には高い野球センスがあるのかもしれない。外野守備も毬藻や胡蝶より上手い。思わぬ拾い物をしたと言うしかない。
「おまえ、良いバッターになれるかもな」と誉めてやると、
「ほんまですか? めちゃくちゃ嬉しいです! がんばります!」と素直に喜んでいた。可愛いやつだ。
困っているのは1塁手。草壁の1塁守備はずさんだ。能力の問題ではない。やる気がない。正面に来た送球や打球は捕るが、ほとんどボールを追おうとしない。走らない。少しでも逸れた送球やちょっとむずかしい打球はエラーする。
明らかにだらけている。草壁には人間として大切ななにかが欠けているのかもしれない。以前は四股をかけ、野球部を全滅に追い込んだ。このまま放置したら、他の選手に悪影響が出そうだ。
「草壁、おまえは首だ!」と怒鳴った。
「あたしが辞めたら8人だよ。試合ができなくなるけど、いいんですか?」
「やる気がないやつを置いておくよりマシだ。部員なら探す」
「そうですか。じゃあ辞めます……」
草壁は暗い顔をして、グラウンドから去ろうとした。
「草壁先輩、待って! 野球を捨てていいんですか?」と時根が叫んだ。
足が止まる。草壁は時根に好意を持っている。それはなんとなくわかっていた。
「時根、あたしはマウンドで投げたいんだよ。投げられないのがつらいんだ」
「先輩は切り札です。空尾は優れたピッチャーですが、打たれるときも来る。そのとき相手チームを抑えられるのは、先輩しかいません」
「ワタシは打たれないよ」
「きみは黙ってて! きみだって万能というわけじゃない。草壁先輩、甲子園へ行くためには、あなたの力が必要なんです!」
「そうか……?」
「はい。辞めないでください!」
「わかった。先生、あたしにもう一度チャンスをください」
「練習態度を改めなければ、首だ。真面目にファーストを守れ」
「やりますよ! でもマウンドにも立たせてください」
「必要があればな。おまえは2番手だ。先発が崩れれば、登板させる」
「くそっ、くそっ、くそっ! もうそれでもいい! 完璧なリリーフになってやる!」
その後、草壁の態度は少しばかりマシになり、そこそこの1塁手になった。
2塁手の雨宮もほどほどの内野手だ。ずっと捕手をやっていたので、優れたセカンドというわけにはいかない。
雨宮を捕手にすることも考えたが、そうするとおそらく投手陣のモチベーションが下がる。空尾も草壁も時根が好きだ。雨宮には2塁を守ってもらうしかない。
バッティングは悪くない。
時根には遠く及ばないが、方舟と雨宮の打力は良い。ふたりとも3割バッターになれるかもしれない。それを上回る可能性を感じさせる打撃巧者が志賀。雨宮、方舟、志賀にクリーンナップを任せようかと考えている。
3塁手の能々はバランスの良い選手だ。足が速く、守備は無難にこなす。きらめくような打力はないが、選球眼が良く、バントも上手い。打順は2番が良さそうだ。
能々は投手を希望している。試しに投げさせてみたら、アンタースローで綺麗な投球をした。速さはないが、制球力がある。
「素質はあるかもな。だが、今年の夏には間に合わん。サードを守ってくれ」
「あのあの、秋からは投げさせてくださいね」
「考えておく」
青十字高の守備の要は、ショートの方舟だ。守備範囲が広く、ミスはきわめて少ない。
声もよく出している。「ナイスピッチング」「ドンマイ」「ナイスキャッチ」「惜しかったわよ!」などと叫ぶ。
方舟が野球部に戻ってくれて、本当に良かった。名目上の部長は空尾だが、実質的なキャプテンは方舟だ。少々口うるさいところがあるが、誠実でリーダーシップがあり、チームの精神的な支柱になっている。
このチームに勝算はある。たった9人しかいなくて、綱渡りのような勝算かもしれないが。
俺は思う。面白いやつらが集まってくれた。
部費を使って、全員のユニフォームをつくり、配った。
エースナンバー1番は空尾だ。
ファーストの背番号3を渡された草壁は、いつまでも恨めしそうに俺を睨んでいた。
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