第10話 部室会議

 草壁先輩には野球部を壊した自覚がないらしい。

 信じがたいことだが、四股が悪いことだとは思っていなかったようだ。

 そして、自分はまだ野球部員だと考えている。


「高浜先生に会ってくる」と僕は言った。

「ワタシも行くよ」

「あたしもだ!」

「う、う、ウチも連れていってください。な、仲間はずれにしないで~」

 僕たちはこぞって職員室へ向かった。

 ドアの前で「ちょっと待ってて。話し合いは部室で行った方がいいと思うんだ」と僕は言い、ひとりで職員室の中に入った。


 高浜先生の机のそばに行き、話しかける。 

「先生、相談があるのですが」

「時根か。どうした?」

 僕は職員室のドアに視線を向ける。そこにはきみと志賀さんと草壁先輩が、折り重なって立っている。

 先生の顔が歪んだ。用件を察したようだ。

「ここで話すのはやめた方がよさそうだな」

「はい。部室ではいかがでしょう?」

「先に行ってろ。やりかけの仕事をかたづけてから行く」

「ありがとうこざいます」

 僕は頭を下げた。顧問をやっかいごとに巻き込むことになる。

 ドアに戻り、「行こう」とみんなに声をかけて、部室へ向かう。

 草壁先輩の表情は暗い。ようやく自分の罪深さに気づいたのだろうか。それともわけがわからないとでも思っているのだろうか。


 部室のベンチに座って、高浜先生の到着を待つ。

「なあ、つきあってくれというのは、なにか重要な申し込みなのか?」と先輩が僕の方を向いて言う。

「男女交際をしてくださいというきわめて重大な申し込みです」

「彼氏というのは、恋人と同義なんだよな。それって同時にひとりじゃなきゃだめなのか?」

「ふたり以上いたら、道義にもとります。人としてだめです。簡単に言うと、浮気です」

「浮気っていけないことだったのか」


 僕は草壁先輩の正気を疑った。

 きみは深刻そうに腕を組み、志賀さんは「あわわ……」と声を洩らした。

 10分ほど待っていたら、高浜先生は来てくれた。

 僕は草壁静さんの事情をかいつまんで説明した。


「おまえ、まだ野球部員のつもりだったのか?」

 先生は先輩を見つめて唖然とし、ワイシャツのポケットから煙草を取り出そうとした。

「先生、校内は禁煙ですよ」

「吸わなきゃこんな相談に乗ってられるかよ」

 ジッポーで煙草に火をつけ、ゆっくりと吸い込み、ため息のように紫煙を吐き出す高浜先生。


「草壁の件をどうすべきか、おまえらで話し合って結論を出せ。俺はその議論を聞きながら考える」

「僕たちが結論を出すんですか?」

「とりあえずはな。俺はその判断を尊重したいが、受け入れるかどうかは、なんとも言えん」

 僕たちは顔を見合わせた。

「じゃあ、話し合ってみよう」と僕は言った。


 草壁先輩が先手を打った。

「ごめん! なにが悪かったのかいまだによくわからないが、とにかく悪かった。もう四股はしないから、野球部で活動させてくれ!」

「ふ、ふ、二股でもだめなんですよ……」と志賀さんが言う。

「二股もしない! つきあってと言われたら、断ればいいのか? これからはそうするから!」

「先輩、なにが悪かったのかわかっていないなら、また同じ問題を繰り返してしまう可能性があるんです」

「悪いのは、不純異性交遊とかだろ? しないよ!」

「意味わかって言ってます?」

「えっと、高校生として正しくない異性とのおつきあい?」

「不純異性交遊は、不健全性的行為とも言われます。二股、四股とはなんとなく関係はあるけれど、また別の行為です」

「あたしは誓う! 高校在学中はけっして男女交際はしない。これでもだめか?」

「先輩の倫理観が不安です。反省してないのに、誓いを立ててませんか?」

「わからないんだ。あたしにはなにが悪かったのか、根本のところでよくわからないんだよ。あたしの行動がなにかまちがっていたら教えてくれ。これからはおまえら部員の言うとおりに行動を正していく」

「草壁先輩……」


 この人はだめだ、と僕は思った。

 人間として大切ななにかを持っていない。新生野球部をきちんと立ち上げるためには、排除した方がいい。

 僕は先輩を切り捨てようとした。しかし、

「かわいそうだよ」ときみはつぶやいた。

「本当の意味での反省はしていないのかもしれない。四股が悪いことだと、いまはまだ理解していないのかもしれない。それなら、ワタシたちが教えてあげようよ。更生の機会もないなら、この世界は真っ暗闇だよ。ワタシは草壁先輩と野球をしてもいい!」

「きみ……」

「凜奈さん……」


 きみに反論をしなければならない。僕は必死に考えながら叫んだ。

「きみはなにを言っているかわかっているのか? 草壁先輩がいなければ、2、3年生の先輩方が戻ってきてくれるかもしれない。将来妙な問題が起こる危険性もあらかじめ排除できる。はっきりと言おう。いない方がいいんだよ、草壁先輩は!」

 きみはまったく動じず、その目は澄んでいた。

「時根ならわかってくれると信じてる。人がやり直そうとする決意を摘み取るのは、真っ当なことじゃない。いつだって挽回できるんだ、人生は!」

「わ、わ、わかります。よ、四股は悪いことですが、ひ、人を殺したわけじゃない。か、身体を傷つけたわけでもありません」

「人の心を傷つけたんだよ、先輩は! 野球部の秩序を乱したんだ!」

「あやまちは誰にでもあるよ」


 きみがやさしすぎて、僕は言葉を失った。

 高浜先生が僕を見る。おまえが結論を出せ、と言われているような気がした。

 僕は観念した。きみには逆らえない。


「空尾が野球をしているから、僕もやっているんです。こいつの意見は、僕の意見です。僕は草壁先輩を受け入れます。一緒に野球をしてもいい」

「う、ウチも凜奈さんと同意見です」

「こ、後輩ぃ。あたしと野球をやってくれるのか?」

 先輩は顔をくしゃくしゃにして泣いた。

 なにがこの人の琴線に触れたのかわからない。野球か? 野球ができるのがそんなに嬉しいのか? それともきみの言葉が心に響いたのか?

「おまえら、本当にそれでいいのか?」

 煙草の灰が、ぽとりと部室の床に落ちた。

「おまえらがいいなら、俺はもうなにも言わん。確かに、草壁から退部届は受け取っていないからな」

 高浜先生が立ち上がり、部室から出ていく。

 僕は正しい判断をしたのか、まったく自信が持てなかった。

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