第16話
高蔵蒼子が古文書に封印された忍者の霊を解いたと言う情報はあまりにも曖昧だ。
十年前に、まだ子供だった君子が、再び古文書に消えていく、少し前に忍者の幽霊から聞いた。と、言うのだが、わたしは実際、霊からそんな言葉は聞いていない。君子は聞いたと言いはる。頭の中で声が聞こえてきた…と。そこには、君子の言葉以外、何の確証もない。
わたしは、特に否定も肯定もしなかった。結論付けられないものに結論を出す意味もなかった。
君子は、高蔵蒼子が古文書に封じられた忍者の霊を解き放つ場面を再現し、動画にした。それにはまず、古文書の現代語訳から始めていた。古文書の訳は親父が得意だったから、暫くわたしの自宅に通い真面目に学んでいた。しかし、親父が何かと理由付けて、やけに消極的だったので、なかなか進まないことに苛立っていた。
わたしは、親父からも下らないことを君子にさせるなと、散々愚痴をこぼされた。だが、君子を止めることは、もう出来ない。
そして、そもそも化粧っ気のなかった君子だったが、化粧のやり方も雑誌や動画を見て、覚えていた。最初は目も当てられない、へちゃむくれが出来上がって、何度もわたしを笑わせたものだが、幾日も経たないうちに様になってきた。そして、高蔵蒼子に似せた顔が出来上がったのには驚いた。
もともと輪郭が似ていたのだ。と、改めて気付かされた。
そうして、幾日もかけて、動画は完成した。わたしが見ても、それは高いクオリティーだった。仕上げに、どうやったのか、花瓶に反射して写り込んだ、タワーマンション1002号室から見える窓の景色までも再現していた。君子の細かさには驚かされた。
動画をネットにアップした。と、同時期にわたしは、古文書を持って葵社長の自宅を訪ねたのだ。そして、葵社長に動画の存在を教えた。しかし、期待した反応は得られなかった。
それから暫くして、君子が動画の反応を聞いてきたのだ。
「いやいや、どうだったって、再生回数14だぜ。動画の再生14って、どういう意味だ?」
「いや、意味って何だよ?」
「14…。なんかさぁ…わたしはこれを見るのが辛い。辛いけど、見てしまう。今日は20くらいになっているだろうって期待している自分が情け無い。13から14になった時、すごく嬉しかった自分が恥ずかしい!」
「何を期待しているの?そんなの当たり前でしょう。…って言うか。AOIエステートの葵社長には観せたんでしょう。それを聞いているんじゃない?」
「あれは多分観ていないな。何の興味も示さなかったよ。高蔵蒼子の名前出しても、何の反応もしなかった。もしかしたら、この動画意味なかったのかもね」
「えー?おっさんが餌だって、言ったんじゃない?」
「まぁ、あんまり期待するなよ。何も起こらなかったら、それまでの話しだ。14だし」
「分かっているよ…むしろ…14…も…観てる人がいるのに驚きだ」
それから1、2ヶ月くらい経ったころだろうか、突然、葵の娘が訪ねてきた。
暫く葵の娘とは気づかなかった。
何度か葵の自宅を訪ねたが、娘はいつもダイニングテーブルで背中を見せて、じっとしている。あれくらいの年頃の女の子は、父親の知人が訪ねて来たら、一緒の部屋に居たくないものだと思うが、娘は部屋を出ようとはしなかった。背中を見せたままだったが、わたしたちの話しを聞いているのは分かっていた。物好きの娘だ。
娘は、わたしの顔を暫く見ていたが、やがてわたしを「怪君」と、そう呼んだ。
わたしは何故か、葵社長からカイくんと呼ばれていた。
実際カイくんとは、我が家の猫の名前だ。カイくんは、全てを理解しているのではないかというくらい頭がいい。この店と、自宅を自由に行ったり来たりしている。そんなある日、葵社長が店に遊びに来ていた時、親父がカイくんの名前を呼びながら、店に入って来たのだ。わたしはその時、つい「あぁぁ〜」と答えてしまったことで、葵社長はわたしのことをずっとカイくんと呼んでいる。わたしも面倒臭かったのでそのままにしている。
「誰だ」と、わたしは娘に言った。
「えっ?私です」
「だから、誰だ?」
「えっ?葵の娘です。えぇ、まさか知らない?…とでも?」
「えっ?葵の娘…?君、霊ではなかったの?」
「えっ?霊って、心霊とかの?」
「人間だったの?わたしはてっきり霊だと思ってた」
「何故、霊だと?」
「だって、そうでしょう。何も喋らんで、ただ、じとーぅっと座っているし、君の父親は君のこと全く無視しているし、わたしだけが見えているのだと思っていたよ」
「そんなふうに思われていたのですか?」
「ずっと霊が座っていると思ってたよ。葵社長に君のこと触れていいものか、ずっと考えていたが、そのうちどうでもよくなった」
「…って言うか、この話しまだ続きます?」
「…って言うか、この話ししているのは君の方だが?」
「でしたら、もうこの話しいいです」
「わたしもどうでもいいが、今日は何の用があるのかな?」
「えっ?骨董品を見に来たのですが。ダメですか?」
「どうぞ。ご自由に。何か聞きたいことがあったら声かけてくれる」
「黙って見てろ…と、言う意味ですか?」
「うーん、どうぞご自由に。と言ったつもりだったが、通じてなかったかな?」
「私のこと面倒臭いと思いました?」
「いや、特に。面倒臭いなどとは思わないよ。そこまで不精者ではないと思うよ」
「実は、怪君に聞きたいことがあって…」
「えーと、怪君はやめてもらっていいですか」
「何と呼んだらいいですか?」
「店長でいいですよ」
「あの。前、家に来た時、高蔵蒼子さんの話ししていましたよね。高蔵蒼子さんが降霊術で霊を召喚したとか…そんな話し?」
「えっ?」
なんと、意外にも娘が餌に引っかかった?
「その霊の名前。何でしたっけ?」
「ネットで観ればいいんじゃない?」そしたら再生回数が15だ。
「えっと、一応検索して、観たには観たんですけど…」
おぅ、あの14の中の一人か。と、思いつつ、気づかないうちにほくそ笑んでしまっていた。
「それがどうしたんだ?」
「不思議なことがあったんです」と、娘が言う。
「不思議なこと…とは?」
「はい。最近の話しなのですが。実は、あるカクテルバーで新しく知り合った人がいたんです。男と女。まず女と知り合いました。そして女から男を紹介されたのです。私はその男と結構仲良くなったんですが、そのうちその男と連絡が取れなくなったんですよ。私は心配になって女に男がどうしているのか連絡してみたんですよ…」
「仲良くなったって…?惚れた?」
「まぁ、そんなことはどうだっていいです」
「まぁ、そうだね」
「それで、女が言うんです。男は人が変わってしまったと。片っ端に女に声を掛けたり、盗みを働いたり、まるで別人になってしまった。あまりにも酷いから懲らしめたそうです。すると男がこう言った。俺は霊に取り憑かれている。憑依されることもある、と。まったく馬鹿げた話しなんですが…。しかし、男が言ったんです。霊の名は蔵間風士。私はこの名前を何処かで聞いたことがあると、そう思いました」
「あぁ、だからここに来たのか?男の名前は?」
「智夫…」
「苗字は?」
「苗字?あっ、知らない」
「えっ?知らない?君、それ騙されているんではないのか?」
「えっ?何のために…?」
「それはわたしにも分からない。が、聞いた限り、まともな話しではないな」
「ええ、冷静になってみると、まともではありませんでした」
「カクテルバーって何処?」
「あぁ、エンジェルタワーマンションが真正面に見える商店街の、いつも行列ができるカフェの斜向かいの地下にある『かのくに』という名のカクテルバーです」
「あぁ、わたしも行ったことあるな…君はいつもそこに行ってるの?」
「最近ですが」
「でも、どうしてわたしの所へ来ようと思ったの?」
「えっ、だって来るでしょう。怪君…店長が家に来て、高蔵蒼子さん、降霊術、蔵間風士の霊。その言葉、忘れるはずないでしょう」
「…って言うか、それ盗み聞きだよね。黙ってじとーぅと聞いてないで、会話にさ何故入らない?」
「いえいえ、あなたと父の間になど入れません。父があのように楽しそうに話しているのはあなたにだけなのですよ」
「そうなのか?分かったよ。少し調べてみるけど。君はどうしてほしいの?その男に仕返しとかしたいの?」
「まさか。ただ会って本当のこと知りたいの。とてもとても信じられる話しではないから。もしかしたら、何らかの理由があって、わざと私を怒らせのかな?とも考えた」
「何故君を怒らせる必要があったのかな?」
「分からないわよ」
「ところで、葵社長は、高蔵蒼子の動画は観たのかな?」
「さぁ、分かりません。観てないのではないのかな。仕事忙しそうだし。あんな話し、他の誰ともしないし、店長が帰ったら、いつもの父に戻っていましたし」
「いつもの父とは?」
「父は、何の感情もない、冷たい人間なのですよ」
「そうなのか?」
「だいたい、なんで父とあんなに仲がいいんですか?」
「だって、葵社長って、日本刀のこと異様に好きなんだろう。ほらっ、見てみろよ。うちの店の日本刀の品揃え。自然と常連になるでしょう?」
「えっ?そんなの知りませんでした。日本刀なんて、そんなはずないです。今も来るんですか?」
「そういえば来ないなぁ。来ないからわたしが葵社長の家に行くようになったかな」
そう言えば、葵社長がこの店に来なくなって10年。その間、日本刀の話しはあまりしていない。考えたら、あの忍者の霊が古文書に消えてからだ。日本刀が好きなのは、葵社長ではなく、忍者…?まぁ、どうだっていいが。
さて、カクテルバー『かのくに』は、わたしが刑事の頃からの行きつけの店だ。久しぶりだ。たまには顔を出してみるのもいかな。などと、考えながら、わたしは葵の娘を見送った。
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