第14話

 私は刑事だった。

 定時で帰宅して家業の手伝いをしているところを見られるのは、非常にまずい。

 突然、父が営む店にやって来たこの刑事の顔は見知っていたが、名前が出てこない。頭がキレ、検挙率が高いと噂されているのは知っている。そして誰とも連まない。一緒に組んで捜査をしている相棒とさえ喋らないと聞いたことがある。そんな刑事が何故父の店にやって来た?

 

 その刑事は、ほんの僅かな時間、店を見回した後、ただ茫然と私を見ていた。私も、その刑事を見た。たいして驚きもせずに見ていたが、私の中では凄まじいほどの情報量が行き交っていた。

 「見知った顔だ」と、刑事が言う。

 そうだ、思い出した。確か家なんとかと言う名だった。家…?なんだっけかな?

 「君はここで何している?」と、家…?が言った。

 私は答えなかった。私は病的なほど人見知り…で通っている。

 「君のこと知っているぞ。確か、刑事でいながらほとんど定時で帰宅するとかなんとか?そうだそうだ、私は君の上司を知っている。事件を担当させられない刑事の愚痴を一度聞いたことがある。捜査3課か?捜査2.5課とか言われているところだな。1課と2課が捜査しないようなくそ面倒臭い事件をくそ面倒臭く捜査を行っているくそ面倒臭い連中が集まっているところか?」

 くそ、くそとうるさいやつだな。と思いながら、私は、愛想笑いを浮かべたつもりだったが、多分口元が緩んだくらいにしか、この男には映らなかっただろう。笑う苦痛の方が勝った。捜査3課のディスり方も、まぁ稚拙だ。どうでもいいが。

 「ここの店員は何処だ?今ここには君しかいない。もし間違っていたのなら、申し訳ないが、もしかして、その店員とは君のことか?」

 私はこくりと頷いた。

 「ええ?僕の聞き間違いだろうか?君は、君の上司が言う事件を担当させられない、困った刑事なんですよね。まさかここの店員な訳ないですよね?まさかダブルワーク?」と、家…?が言う。それにしても声が大きい。

 「何か?」極力少なめの言葉で、私は答えた。

 「何か?とはどう言う意味かな?」

 面倒臭いやつだな。気が長い私も少し苛立った。

 「ここは実家の店ですが、何か問題でも?」

 「ああ、なるほど。君の家でしたか?」

 「そうですが、何か用ですか?」

 「おお有りです。君は事件を担当させられない、ダメ刑事だから、タワーマンションの飛び降り自殺のことを知らないのだろうけど。僕は、飛び降り自殺などとは考えていないのですよ。あれは自殺なんかではない。どう考えてもおかしすぎるのですよ…って言うか、君にそんな話しをする必要もありませんね」

 「そうですか…。あんた、葵社長の跡をつけてここに来たんでしょう。店を覗いたら、見知った顔がいたから、今ここにいる。葵社長の跡をつけていることも忘れてしまって…そんなところかな」

 「君に話すつもりはないが、葵社長とはどんな関係なんですかね?」

 「普通に店の客です。見れば分かると思いますが」

 「と、言うことは、君は刑事でいながら、定時で帰り、店の客と仲良くなるまで店番しているわけか?まるで刑事の自覚ないな」

 「刑事の自覚とは何ですか?具体的にお願いします」

 「逆に聞くよ。刑事とは何だ?と、僕の方が聞きたいね」

 その時私は、この、つまらないことをベラベラ喋る刑事の後ろに、いつのまに入ってきたのか、男の姿を捉えた。そして、その男に違和感を覚えた。


 男の姿は、何から何まで不思議だった。着古した和服に膝までの袴の裾が縛られ、長足袋姿、そうだ忍者みたいだ。長髪で、ポニーテールのように高い位置で括られていて、艶がない。何より、男の周囲を包む空間に歪みを感じるのは、私が疲れているせいなのか?

 男は、ショーウィンドウの中の日本刀を、ガラスに張り付いて食い入るように、ただ無心で見ていた。

 「あれはなんていうのだろう。袴の裾が縛られて…」

 私が男を見ている間、刑事はただただ一方的に喋っている。

 「…被疑者の高蔵……過去…たら…父親も…自殺…怪しい…よね。更に…葵不動産……あれは自殺では…と思う。おい……のか?それは野良着だ!」

 私ははっとして、家…?を見た。

 「ああ、家…えーっと?何か言いました?」

 「家入だ!だから膝までの袴の裾が縛られているのは野良着だ。一般的に忍者がそんな格好をしていたとは限らない!」

 「えっ?何の話しですか?」と、私は聞き返した。

 「いや、だから君が日本刀をまじまじ見ながら、忍者の格好を私に聞いたから…って、言うか、僕のの話し聞いていないのか?」と、家入刑事が怒鳴る。

 「えっ?私が忍者の格好を?日本刀を見ながら…?」声に出てたのか?って言うか、日本刀を見ながら?あの忍者はこの人には見えていないのか?

 「何なんだ、君は?それじゃない!葵の話しだ」と、家入刑事が言う。

 「葵の話し?えっ、すみませんが、聞いてませんね」と、答えてはいたが、私は相変わらず、ガラスの前に立ちすくむ男を見ていた。つられるように何度か家入刑事も振り返って見ていたが、首を傾げるばかりだ。

 「えーと。あれは忍者の格好ではないのですか?」と、試しに私は聞いてみた。

 「だから、何の話しをしている。あれはとは何だ?日本刀の話しなのか?」と、家入が苛立たしく言う。

 やはり見えていないようだ。あの違和感しかない異様な出立の男は、どうやら人ではないようだ。

 「ところで家入刑事、こんなところで油を売っていないで、引き続きさっさと葵社長の跡をつけたらどうです?今夜はちょっと酔っていたから、後は帰るだけだと思いますが…」

 「大きなお世話だ。本当は知っているんだぞ。いつも定時で帰るお前が、嫌味も言われず堂々と3課にいられる理由を…」

 「えっ、今から何か話しが始まるんですか?やめてもらっていいですか。早く葵社長のところへ行って下さい」

 「君がそんな横柄な態度が取れるのも全て1課長のお陰だと僕は知っているのだぞ」

 そう言うと、家入刑事は振り返り振り返り出て行った。


 うるさいのはいなくなったが、さて、この男どうしたものかと、私は考えあぐねた。

 「おい…おい!お前」

 男は、振り返ることもなく、まだ日本刀を見ている。

 こいつは霊なのか?ガラスに張り付いているように見えるが、霊は物質と干渉できるのか?

 「お前、私の声が聞こえないのか?なのにガラスは触れるのか?なんだお前は?」

 男はまったく反応しない。

 「それは、さっき日本刀の話しをしていたおやじに憑いていたのを見た」

 君子の声?

 振り返ると、そこには君子がいた。

 君子は、わたしの従兄弟、父の弟の娘だ。叔父は歳の離れた若い女性と結ばれて君子を儲けたのだが、叔父夫婦はもう亡くなっている。君子は父が引き取っていた。しかし店の近所にある我が家には住まずに、どうしても店のバックヤードにある六畳の部屋に住むと言って聞かなかった。仕方なく父は、バックヤードの六畳の部屋を住めるように整えて、住まわせていた。あの頃君子はまだ、六歳とか七歳くらいだと記憶しているが、本当に変わった子供だった。わたしは、なるべく関わらないようにしていた。

 「いたのか?」と、わたしは、君子に言った。

 「じじぃが昨日、これを持って来た。現代語に訳してみようと、持って帰ったらしいけど、結局何もしないまま家に置いていたのを忘れていたと。カイくんが何処からか引っ張り出してきて、やっと返しにきた。じじい適当すぎるだろう」

 君子は、そう言うと古文書を差し出した。そして、カイくんとは我が家の猫ちゃんだ。だがその正体は、おそらく妖怪だ。とにかく可愛すぎて、心がとろける。そして、恐ろしく長生きで、多分寿命はとっくの昔に過ぎているはずなのに、その容姿はまったく変わらない。本物の妖怪だ。

 君子が古文書を差し出すとほぼ同時に、やっと男が振り返った。慌てたのか、ショーウィンドウのガラスの内側に身体半分入っていた。

 「あっ?」

 結局、ガラスには干渉していなかったのか。

 「君子くん、いつから店にいたんだ?」

 「あのおやじが来た時、カイくんがやけに騒ぎ初めて…何かなと思ったら、古文書を咥えようとしてた。で、私が古文書を持ってあげると、店の方へカイくんが行けと言った」

 「カイくん来ているのか?何処だ?何処にいるんだ?」

 「うるせー。カイくんはどうでもいい。あのおやじだ。あの日本刀ずきのおやじが来た時、こいつが現れた」と、君子が古文書で男を指した。

 「て、言うか、言い方!」君子は子供のくせにガラが悪い。

 すると、いつのまにそこにいたのか、男が古文書を両手で掴んだ。

 「つかめるんかーい」

 「おっさん、うるせーぞ。ちょっとは集中して、この霊のことを考えろ」

 「…って言うか、やっぱ君子くんも普通に見えるんだね。これまでよくもまぁ、黙っていたよな」

 「いやいや、それはこっちの台詞だ」

 「うちの家系はほぼ見えるんだ。親父も、君子くんのお父さんも。あっ、でもかーさんは見えない。そして、多分君子くんのかーちゃんも見えていなかっただろうね。まぁ、当たり前か」

 「いや、そんな話しどーでもいいから。この霊のことを考えろって」

 「いや、だってこの霊何も言わんし、私のこと見えているのかどうかも分からないし…」

 「この霊は、この古文書に封印されていたんだよ。ずっと。でも誰かが封印を解いた。きっとあの人だ。多分ずっとあの人に憑いていたんだよ。でも、あの人はいなくなってしまった。だから行き場を無くしてしまっんだ。この霊があのおやじに取り憑いているのには、何か、この霊なりの理由があるに違いない」

 「どういう意味だよ。あの人って誰だ。いなくなったって何だ?もっと分かりやすく話せよ」

 「おっさんなら分かるだろう。勘がいいんだろう?じじぃがいつも自慢げに言ってる。うざい」

 「いや、分かるか!親父のことじじぃって言うなよ。…ったく」と、私が怒鳴っている間に、君子は、男の霊と睨みあって何かしら意思の疎通を図っているような素ぶりを見せた。

 「何だよ?それ…?」

 「あっ、こいつやっぱりこの古文書に封印されてたみたいだ。ある日突然眠りから目覚めたら、傍に女がいたと。女が封印を解いたと。で、女に憑いていたそうだが、女が死んでしまったらしい。その傍にあのおやじがいたので、仕方なく取り憑いた。で、ここで古文書を感じたから留まったと、ざっくり言うと、そんな感じのことを言っている」

 「えぇ、何だよ、それ?何でお前に出来て、私に出来ないんだ?お前の方が能力が高いとか、まじ萎えるじゃないか?」

 「そっちか?だからこの霊に集中しろよ!」

 「いや、正直、どうだっていい」

 「なんか、昔から思っていたけど、おっさんって、訳分からんやつだよね?今、おっさんの同僚みたいな刑事来てたけど、この霊はそれと関係すること言ってたのではないのか?なんで刑事なんかになったんだよ?」

 「いや、君子くん、刑事は好き好んでなるものではないな。異動だ」

 「えぇ、異動って、試験とか受けたんではないの知らんけど!」

 その時、男の霊はぼぅーっと二人の顔を交互に見ながら、静かに古文書の中に消えていった。

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