第12話

 父が忙しくなったせいか、あまり怪君は訪れなくなった。だから私は怪君のことも、怪君の話しのことも忘れてしまっていた。

 それに、カクテルバーのカウンターで隣に座った涼子ちゃんとお友達になったことで、涼子ちゃんの友達の智夫君と知り合った。

 私は、智夫君のことが気になって、怪君のことも怪君の話しにもすっかり興味を失っていた。


 カクテルバーは、ずっと以前から馴染みの店だった。一人で飲める、すごく落ち着ける店だった。そこで何度か涼子ちゃんを見かけていた。最初は涼子ちゃんから話しかけてきた。


 「よく見かけるんだけど、いつも一人ですよね?何かすごく様になっていて…」

 その時、カウンターはすごく空いていたのに、涼子ちゃんは私の横に座ってきた。

 「だけど、私は一人苦手なんです。待ち合わせしているのだけど、その人遅くなるみたいで、それまで隣に座っててもいいですか?」

 いや、もう隣に座ってるし、と思いながらも、私はちょっと不思議な感じがしていた。突然話しかけられるのは、勿論全然慣れていないし、しかも相手は女だ。不自然としか思えない。

 「いや、構いませんが、でも、私すごく人見知りなので…?」隣に座ってくる意味が分からないので、私はその意図をはかっていた。

 「あぁ、ごめんなさい。いつもお見かけしていたので、つい喋り掛けてしまったのだけど、考えてみたら、そうですよね、何話していいか分かりませんよね」と、涼子ちゃんは、すごく人の良い喋り方をするので、私はおどおどしながらも、話す体制にはなっていた。

 「何かカクテルすごく詳しそうですよね。私はいつもジントニック一択なんですよ」と、涼子ちゃんが笑う。

 「いいえ、詳しくないですよ。本当言うと、すごく詳しそうな顔をしているけれど、いつもお任せなんです。だからここに来ているんですけど」と、私も笑った。

 「そうなんですね。いつも静かに飲んでいらっしゃいますよね。ここ女の人少ないし、たまに見掛けるけど、何か初心者なのかよく喋る人多いし、中には…あの人…バーテンダー目当てで来ている人も多いし、その中で貴女はなんだかすごく異質な感じがして、一度喋ってみたいなぁ、なんて思っていたんです」

 えぇぇ、どうしよう。そんなこと言われたの初めてだし、話すの得意ではないし…。私は正直おどおどしていたが、恐らくそれを隠すことには成功していたと思う。

 初めての会話は涼子ちゃんがリードしてくれたので、わりと弾んだ。涼子ちゃんは話しが上手くて、あっという間に時間が過ぎていった。やがて、遅れているという友人がやって来た。それが智夫君だった。

 それから私は、その店で度々涼子ちゃんと会うようになった。その時は必ず智夫君も呼んで、いつも三人で会うのが普通となった。


 私はいつしか、智夫君に惹かれている自分に気がついていた。智夫君の話しは面白いし、それに初めて見た時に、その顔がタイプだと思っていたのだが、男は顔だけでは判断できないことは、これまでの経験でいやと言うほど知っていた。

 人の顔とは不思議だった。内面を反映された人もいれば、お面のようにまったく内面を遮断した人もいる。後者もまた、内面を遮断されたことにより、その顔がやけに浅く感じられる人もいれば、内面そのものが浅い人もいる。でも喋っていればそのうち本性が、その顔に現れる。逆に内面が遮断されることで、不思議な魅力を醸し出す人もいる。その不思議な魅力が何処から来るのか、それが分からない。智夫は不思議な魅力を醸し出していた。

 智夫君は、話しが上手くて引き込まれてしまうのだが、だからと言ってお喋りではなかった。時々無口になる。私はどちらかと言うとお喋りは苦手なほうだけど、沈黙やちょっと長いは苦手だった。その無言の空間につまらない言葉をつい埋めてしまい、いつも後悔した。そんなことを考えると、智夫君は沈黙を支配しているように思える。沈黙の中でおどおどしている私を見て面白がっているのではないかと思うことさえある。


 いつの間にか…三人ではなく、智夫君と二人の時間が多くなった。いつもいた涼子ちゃんが忙しくなったと智夫君が言う。

 もともと智夫君と涼子ちゃんは単なる友達だと最初に聞かされていたのだが、いつも二人でカクテルバーに来ることを私は、何故か疑問には思わなかった。

 しかし、そのうち智夫君があっさり打ち明けてくれた。

 「実は、涼子とここに来た時、君を見かけて、何と言うか、うーん、一目惚れかな?それで涼子に打ち明けたんだよ。そしたら涼子が人肌脱いでくれたんだ。ごめんね。なんか騙したみたいで」

 そう言うことか。しかし、勿論私は悪い気はしない。むしろ、いつのまにか私も惚れていたので、涼子ちゃんには感謝しかなかった。


 暫く私の幸せな日常が続いた。日常の中に好きな人がいることでこんなにも周りの風景が変わるものなのかと、しみじみ噛み締めていた。しかし、その反面、この幸せが壊れやしないかと不安も感じていた。智夫君のことを何も知らないからだと何となく分かっていた。だからいつも不安だったのだ。

 智夫君は、自分のことはあまり語らない。聞いたとしてもはぐらかしてばかりだった。私も時期が早いとか、そんなことで納得して、それ以上は聞かなかった。

 私は、後悔した。何も知らないことが猜疑を生み出すことに繋がっていく。少しずつだったが、智夫君と連絡が難しくなっていった。

 そして、遂に智夫君と連絡が取れなくなった。暫く智夫君から連絡がくるのを待っていたのだが、四六時中スマホを見てばかりで、何も手につかない。私にしては結構長い時間だったと思うが、とうとう我慢できずに涼子ちゃんに連絡した。


 涼子ちゃんは、まるで人違いなのかと思うほど、冷たい口調で、私にこう言い放った。

 「智夫…?知らないわよ。あんな人。あんな気持ち悪い人!関わっちゃいないわよ。何…?まだ会っていたの。悪いこと言わないから、関わらない方がいいわよ。本当気持ち悪いんだから。女には片っ端から手を出すし、平気で人の物は盗むし、あのクソが…。あんまり酷いものだから皆で懲らしめてやったら、何と言ったと思う?俺は霊に取り憑かれている…だと。時々身体も乗っ取られるんだと。憑依されるんだってさ。しかも霊の名前まで言うんだよ。なんて名前だと思う?蔵間風士だって。何処からそんな名前持ってきたかって話しだよ。まったく胸糞悪っ。だからさ、もう連絡してこないでよ。もともと友達でもなんでもないわけだから。貴方と私はまったく関係ないでしょう。もう掛けてこないでね」

 な…なんだ…この豹変は?

 こいつ…まとも…な…人間では…ないな。 

 それにしても…蔵間風士…!何処かで…聞いたぞ。その名前…?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る