第6話

 それは突然訪れた。

 これまで見えていた霊が突然見えなくなった。昨日まで見えていた者たちが突然、消えてしまったのだ。そのなかには、別れ難い者もいたのに、急に周囲が静かになってしまった。怖いくらいに。

 何度呼び掛けたかわからない。何度も何度も…。そして僕は何も喋らなくなった。


 霊が見えなくなった生活にも、慣れてきた。しかし、何故か部屋から一歩も出ることが出来なくなった。そのことで両親が騒ぎ始め、父が怒鳴り散らし母が泣く、そんな毎日が続いたあげく、ついに母が病んでしまった。その結果、僕は、一人暮らしをしている兄の元で暮らすことになった。

 兄とは子供の頃は仲が良かった記憶もあるが、兄が中学生になった頃からまったく話さなくなった。兄は僕を引き取ることにかなり抵抗していたが、父が兄のためにマンションを購入してやると、どうやら手のひらを返したようだった。僕が条件に含まれていることなど、もはや眼中にはなかった。

 まぁ、部屋は10階だが、腐ってもタワーマンションだ。僕を秤にかけてもこの話しには乗るだろう。そのうち僕は出ていくとたかをくくっていただろうから。しかし、僕は出ていく気など微塵もない。兄だけが得をすることにひどい抵抗があるし、兄が僕の面倒を見る訳ではないのだから。


 僕の生活費は、もちろん父から出ている。引き篭もりだからといって甘やかされているわけではない。もし高校に行かないのなら、高卒認定試験を受けることが条件だと提示されているのだけど、僕は返事を先延ばしにしていた。母が病に臥せっていることで、父は僕に並々ならぬ怒りを抱いていることが分かる。だから父には会えない。そして、兄も僕を避けている。

 だからって、僕はどうすることもできない。


 そんな僕は毎日ゲームに明け暮れていた。こんな生活…。だからって僕は何をしたいのか分からないまま、身体の力が抜けてしまったかのように空っぽだった。空っぽの器のなかにゲーム攻略法だけが真水のように注ぎ込まれ、ただただ夢中になっていった。

 

 そんなある日、僕は背後に人の気配を感じた。懐かしい、覚えのある感覚だった。誰かいる。間違いなく誰かいる。しかし、僕はそれを口に出して言えない。そうなんだ。話しかけたところで、そこに誰がいようと僕は確かめる術を知らないのだ。でも、この感覚だけでも、僕の中に残っていることがわずかではあるけれど嬉しかった。そのうちこんな感覚さえも無くなってしまうのだろう。

 僕は、ゲームをやめて、暫くこの感覚に集中してみた。背中で人の動きを感じた。かすかに震える感覚?何か喋ったのだろうか?それとも手を動かした?今はじっとしているのかな?僕を見ている?あゝ多分見ている。

 僕は勇気を出して声を掛けてみた。

 「誰かいる?」

 気配を窺う。確かに感じていた圧が少し動いた。僕の言葉に反応したのだろうか?

 「もし、誰かいるのなら何か動かしてみて」

 うん。感じる。感じる範囲が広くなった。何かを探している?もしかして動かせる物を…?通じ合っている?何か方法はないのか?

 しかし、暫くたったが、期待したことは何も起こらなかった。急に霊が見えなくなったことへの絶望から起こる、錯覚なのか?思い込みか?

 「いないのかなぁ?」

 僕は思いの外、落胆した。

 「音が出せないのか?それともいないのか?」

 いるよね。こんなに存在感があるのに、いないなんて。


 僕には他の人には見えない友人がいた。毎日現れるわけではないが、その存在を毎日感じていた。霊ではないかもしれない。妖怪の類いかもしれない。それはすごく小さい獣のようでいて、何だか憎めない形態をしていた。これまでに見たことのない生き物だったので、僕は他人にそれを説明出来ない。まぁ、説明する相手もいないのだが。

 小さな獣は喋れなかった。しかし、擬音をよく発していた。そこには豊かな表情があったから雄弁に語っているようにも見えた。僕は通じ合っていたと思った。言葉を語らないからこそ生まれた想像力が僕を満たしてくれていたに違いない。これは見えなくなったから分かることなのだ。見えなくなるなんて、そんなこと予想できるわけもない。


 僕は、そんなことを思い出していた。

 誰もいなくてもいい。僕はパソコンの横にあったスマホを差し出した。

 「いるよね。すごく感じるもの。ねえ、スマホに手を置いてみて。」

 馬鹿みたいだが、もう一度試してみた。滑稽だ。でも止められない。差し出したスマホを下ろせない。

 「置いた?置いたら、念じてみて…」

 うん?なんか暖かい空気を感じた。人肌みたいな温もりだ。

 「置いたね。今感じたよ。なんだか暖かい。なんか気色わる!」と、多分僕は嬉しさのあまり笑っていたと思う。

 これが、自分は忍びと言い張るハットリ君との初めての出会いだった。


 それからハットリ君は幾度となく僕の部屋を訪ねてくれた。今ではハットリ君が来ると、すぐに分かった。ハットリ君がいつでも操作できるようにスマホは机の隅に置いている。

 そして、今日もやっぱりハットリ君はやって来た。

 「あれっ?今日も来たの?最近よく来るよね。なんか悩み事でもあるのかな?」

 暫くハットリ君は黙っていた。…と言うか、スマホが反応しない可能性もある。

 『そうなんだ。ちょっと釈然としないことがあるのだけど、それをどう伝えていいのか分からない。』と、ハットリ君は、すっかり慣れたように、僕のスマホを開き、パスワードを打ち込むと、メモを開いた。メモアプリは教えた訳ではないのに、ハットリ君と初めて出会った時に開いていたのがメモだったので、気がついたら自分からさっさと開いている。ハットリ君はじつに頭がいい。

 「へぇ、忍びの悩み?」

 『わたしは、よくよく考えているのだけど、もしかして、人の顔を上手く認識できていないのではないかと、最近考えるのだよ。』

 「うわっ。すごい悩みだね。と言うか今更…?」と、僕が言うとハットリ君は素早く反応し、キーボードをタップする。

 すっかり慣れたね。と、僕はほくそ笑む。

 『わたしの部屋には、時折、女が訪れるのだけど、昨夜も女が来たんだよ。女は、斛芥とかいのようにわたしが見えていないようには思えないんだ。ちゃんとわたしを見て話してくれるし。』

 そう入力すると、ハットリ君の手が止まった。

 「あれっ、止まった。」

 『わたしが見えてると思う証を全部ここに示すのがいささか疲れるなぁ、と思って。斛芥の漢字見つけるのも大変だしね。』

 「なるほど。それは分かる。だったらその女はハットリ君が見えているってことで話し進めてみて。って、言うか女の話し初めて聞いたよ。まず、そこから聞きたい。その女誰だよ?なんで知り合ったんだよ。うーん、でも、いささか疲れるんだろう。いいよ話したいように話せば。」

 『かたじけない。』


 ハットリ君の話しを要約すると、その女はハットリ君の部屋にやって来ては、いろいろ自分の悩みを話すらしい。だからハットリ君は的確な指示を与えているつもりだった。でも何か話しが噛み合わないし、釈然としない、そんな日々を送っていた。しかし、僕に出会ってスマホのフリック入力を教えてもらってから、自分の部屋にあるパソコンで同じことを試してみた。すると文字の入力に成功し、女に見せたら、始めて会話ができたとすごく喜ぶんだ。女にはハットリ君の声は聞こえていなかったのだ。ただ、何かを話している様子が分かったので、決してハットリ君の話しを遮ったりしなかった。そして、ハットリ君と、女はよく語り合ったそうだ。しかし、昨日は、女の様子がまったく違った。ひとりで長々とベラベラくだらない話しをするし、ハットリ君が話しかけても遮ってくるし、仕方なく的確な答えをパソコンに入力したら、突然、黙って部屋を出て行って、戻って来なかった。

 そして、今夜、ハットリ君の部屋で女がぶつぶつ呪文を唱えている。ハットリ君は恐ろしくなって僕の部屋に逃げてきたらしい。


 ハットリ君、僕は君になんて言ってあげたらいいか分からないよ。

 

 

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