第4話

 あぁ、疲れたわ。

 マジしんどいわー。

 疲れて帰って来ても、何もないんか。飯作ってくれるやつもいないからなぁ。あぁ、マジしんどいわー。こんなんなら、コンビニでなんか買ってくれば良かったな。

 くそっ、うどんか?ラーメンはないのかよ。キツネか。くそっ。ラーメンなら3分で済むのに、5分は長いよ。まぁ、こんなんでもないよりはましか。

 お湯を入れて、5分待つ間、そうだこんな時必ず奴が現れる。

 俺は、宝石強盗のあいつらが、何故突然仲間割れをしたのかとか、何故あいつは突然正義に目覚めたのか?正義に目覚めたがために殺されることになってしまったあいつの人生のことを考えて、虚しくなっている時、そんな時に限っていつも現れる。

 突然、壁をすり抜けて現れる。そして、ダイニングテーブルにいる俺を必ず見るのだ。俺も奴を見る。だから絶対目が合っているのだ。なのに奴は完全に俺をしかとして、弟の部屋のドアをすり抜けて姿を消す。


 普通、霊とは、存在を示したいものではないのか。俺が見えているのは分かっているはずだ。なのに何故俺に興味がないのだ。まあ、いい。俺だって、対して興味ないから。

 うーむ。そろそろ5分経つかな。て、言うか。今日は現れないのか?

 そんな日もあるだろう。毎日毎日霊が現れるタワーマンションなんて、意外とシャレになっていないしな。高い家賃払っているのだから、毎日毎日霊が出てきたら、さすがにクレームを入れなきゃならないからな。それはちょっと面倒だ。


 俺は子供の頃から霊が見えていた。そして、弟も見えていた。しかし、弟は中学を卒業したくらいから、どうやら見えなくなったようだ。顔には出さなかったがショックを受けていたのだろう。その頃からあまり口を聞かなくなってしまった。


 我が家は代々霊を見る者が多かった。祖父、その娘の母、そして俺と弟。

 祖父は、弟のように子供から成人になるにつれ、少しずつ見えなくなっていった。しかし、母は見えなくなることはなかった。

 俺は、こうして大人になっても見えている。


 弟は、高校入試と、入学まではなんとか普通に過ごしていたが、それから部屋に引き篭もってしまった。変化に耐えられなかったのだろうか?見えなくなってしまった事実を受け入れられなかったのかもしれない。弟と言っても、他人となんら変わらない。人の気持ちなど、とうてい理解できるはずもない。だから俺は口を出さない。

 面倒臭くて仕方ないからだ。


 しかし…何故、あの男の霊は、目が合った俺をまったく無視して、いそいそと弟の部屋に通う。弟は霊などまったく見えないのだ。お前の存在も何も分からないのに、何故、通う。

 分からないが、弟の部屋から声が聞こえてくる。あの男の霊が入った後には必ず。


 そして今、キツネうどんの蓋を剥がした瞬間、弟の部屋から声が聞こえた気がした。

 俺は、キツネうどんを片手に弟の部屋の前に立った。確かに聞こえる。弟の声だ。独り言?独り言にしては誰かと喋っているような口調だ。しかし弟を訪ねてくる者などいようはずもなく。弟の部屋に人がいるのは考えられない。


 だとしたら…。弟は、あの男の霊と会話を交わしているのか?

 馬鹿な。

 しかし、弟の声しか聞こえない。それも人と喋っているような口調。

 どういうことだ。

 見えないのなら、訪ねてきた霊にも気付かないだろう。

 見えなくなって心が病んだとでも。


 うどんが伸びてしまった。

 今更だ。今更弟の心配か?

 弟が引き篭もって、もう暫く経ってしまった。引き篭もった頃、俺は何もしなかった。いや、何も出来なかったのだ。こういう問題は苦手だ。

 聞かなかった事にしよう。


 その時だった。

 弟の部屋のドアをすり抜けて、ゆっくり奴が現れた。

 俺は、息が止まりかけるほど、驚いた。そして間違いなく奴も驚いていた。数秒間、俺たちは目が合っていた。やがて、奴は何もなかったように俺から目を外らし、何も見なかったように去ろうとした。


 「いや、待てよ」

 やはり、奴は俺を無視した。

 「いや、今、俺を見たよな」

 男の霊は一瞬、再び俺を見た。しかし、また見なかった事にしようとした。

 「なんでだ。何故俺を無視する。今、弟の部屋から出てきたよな。弟はお前の姿など見えないのだ。見えない弟の所へ何故お前は何度も通う?弟に何の用があるんだよ?弟を呪い殺すつもりなのか?おい、無視するな。無視するなよ。分かっているんだろう?俺が見えているって。俺はお前が存在していることが分かっているんだ。存在さえ分からない弟の所へ行く理由ってなんなんだよ?それって無意味なことではないのか?それとも何か目的があるのか?弟に取り憑こうとでも思っているのか?もしそうだとしたら容赦しないぞ」

 男の霊は、壁に消えた。俺の言葉などまったく無視して。

 「なんだよ。俺は刑事だ。お前の身元なんて調べれば分かるんだよ。調べんけど…」


 くそっ!最近の霊は何考えているのかまったく分からん。


 壁をすり抜けて消えたが、いったい何処へ消えたのだろうか?まさか隣の部屋からやって来たのか?隣の部屋は1002号室。

 あの霊は自由にいろいろな部屋を行ったり来たりしているのだろうか?一度聞き込みでもするか。


 いや、やめておこう。俺には関係ない。


 いったいいつから現れるようになったのだろうか?

 最初に見たのは…?そんなに前からでもない。

 1002号の住人といえば、あれっ、最近引越ししてなかったか?

 俺は何度か隣の住人とは会っている。女の一人暮らしだったか?俺は、刑事だからわりと毎日、帰りが遅い。そして隣の住人も遅いのか、エレベーターで出くわしたことがあった。エレベーターから降りた後、同じ方向だったから、お互い隣同士だということに気が付いて、軽く挨拶を交わした。その後、何度かエレベーターで会った時も挨拶を交わした。そして、最近の事だ。女が俺に話しかけてきたのは。

 「こんばんは。いつも遅いですね」

 「そうですね。お互い様ですかね」と、俺は随分愛想を振りまいた。

 「折角、ご挨拶できるようになりましたが、私来週にはここを出て行かなくてはなりませんの。海外へ転勤になったのです。でも一年で戻ってまいりますので、一年後、もしお会いすることがありましたらまたご挨拶いたしますね」と、女も愛想良く笑った。

 そうだ。あの霊を見かけるようになったのは、その頃だった。しかし、俺は帰りが遅いので、それが初めてとは言い切れない。隣の住人の引越しとなんか関係があるのだろうか?俺より随分年上の女だったように思う。


 くそっ!俺は何を考えているのだ。関係ないだろう。今度現れても全力で無視してやる。二度と目を合わせない。どんなに見てきても、俺の中から存在すら消してやる。

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