第2話
とりあえず会社には連絡した。病院には行く。これはズル休みではない。吐き気は昨夜、すでに治っていた。熱はない。しかし、動悸は激しい。激しくはあるが、動けないわけではない。しかし、気分が優れない。優れないが、どうしたって、これは病気ではない。しかし、ベッドから出られない。起き上がれないのだ。怠けたいわけではない。決して…。
いつもだ。これは本当に病気ではないのだろうか?身体に重い石が乗っかっているように起き上がれないのだ。
「熱は?」と、上司は必ず聞く。
「ありません」と、私は答える。
「頭痛は?」
「頭痛します。すごく」
「でも、熱はないんだよね。だったら、鎮痛剤飲んで、少し眠ったら治るでしょう。それからでもいいから出勤しなさい」と、上司が言う。
熱がなければ病気ではないという発想。その根拠は何なのですか。この異様な倦怠感は病気ではないのでしょうか?
私は
最初の上司は、業界で知名度が高いディレクターだった。数々のテレビコマーシャルを手がけ、どの作品も大好評だ。ラッキーだった。本当にツイてると思った。ただ一つだけアンラッキーなことがあった。ディレクターはひどいパワハラだった。まったく見抜けなかった。
やがて私は身体を壊した。デザイナーや他のアシスタントは何故身体も壊さずディレクターに付いていけるのだろうか?私は、何度もそう言い聞かせ、逃げてはいけない。ここを辞めたら、もう二度とこんな大手の広告代理店には入れないだろう。と、ディレクターの罵倒に耐え、無茶振りに耐え、残業は当たり前、徹夜も当たり前という生活に耐え抜いて、そして身体を壊した。
十二指腸潰瘍だった。1週間入院した。会社はすごく遠回しに自主退職を薦めてきた。私ももう辞めたいと思ったが、でも、すごく当たり前のように会社は、私が退職願いを出すとたかをくくっている、その態度がどうしても許せなかったのだ。
私は、謙虚な態度で異動を願い出た。
次の異動先は美容食品のテレビショッピングとコールセンターの立ち上げのプロジェクトチームだった。立ち上げが終わったら解散する部署だ。
この聞こえがいい、この部署がもう最悪だった。
このプロジェクトリーダーがくせもので、一見穏やかで、優しそうな女性で、すごく物分かりがいい、感じのいい人だった。最初に彼女を見た時、やっと普通に仕事ができると安心したものだ。
しかし、すぐに彼女の本性を知ってしまった。仕事ができないのだ。穏やかな物言いで…すごく褒め讃え私を気持ちよくして、仕事を全振りしてくる。しかも、無理なコストパフォーマンス、無理なスケジュールで私を翻弄するのだ。更に、後二人の若い社員はお飾り。平気で仕事を投げ出し、普通にミスをする。そして、彼女は彼らを注意しない。彼らの尻拭いと彼女の無茶振りにまた身体を壊してしまった。
どうやらそれが私の定着した存在意義らしい。彼らは仕事を投げ出しても、私が投げ出すことは許されないのだ。
プロジェクトリーダーが満面の笑みを浮かべて、口を挟むことさえ許さず、長々と諭すのだ。
「あの子たちは鳥居さんみたいに仕事出来ないでしょう。そこはほら鳥居さんからしっかり指導してもらわないと。中途半端な仕事しかしてこないのよ。その点鳥居さんは一言えば十分かってくれるし。すごい助かっているのよ。だから鳥居さんがサポートしてあげてね。あの子たち説明しても理解しないでしょう。だから全ての仕事は鳥居さんを通したいの。私も忙しいからそうしてもらわないと仕事が回らないのよ。宜しく頼みますね」
私はあなたが仕事をしている姿をあまり見たことがないんですけど…。それにあの子たちとか言っているけど、私と歳も変わらないし、入社も変わらない。あの二人にはにこにこ笑って、仕事が溜まっていても平気で定時に帰すくせに、私が定時に帰ろうとすると、進捗を確認してきて、すごく丁寧にスケジュールと照合する。そして、順調に進んでいる仕事さえも、これ間に合わないわね。前倒しでお願い。とか言ってくる。そして私よりも早く帰るのだ。
私は、穏やかで優しい口調の、このリーダーが嫌いだ。仕事をしていないくせにすごく仕事をしているアピールがうざすぎる。私が何日も残業して作った事業計画書も概算収支表、商品のネーミング、パッケージデザイン。全てリーダーの実績となり、私は存在しているのかすら分からない。
リーダーの実績になるのは、当たり前、私はスタッフとして存在していれば、それでいい。しかし、リーダーは事業計画書の作り方ひとつ知らない、ただの馬鹿だった。そんな馬鹿のために、そんな馬鹿を持ち上げる為だけの仕事をすることに疲れてしまったのだ。
一ヶ月、謎の病気に掛かった。熱が37度5分から下がらない。ひどい倦怠感が身体にまとわりついた。そして、治らないまま、遂に退職届を出した。
身体が完治したのはそれから一年経っていた。
私は貯金を切り崩しながら、なんとかその一年を乗り切った。そして、今は以前のプロジェクトチームに参加していた、コールセンターで働いている。嫌いだったリーダーが誘ってくれたのだ。背に腹はかえられなかった。しかし、収入は以前の二分の一以下だった。もう家賃を払えなかった。
そして、事故物件に引っ越した。
一年契約だ。一年くらい我慢できるとたかをくくっていた。エンゼルタワー1002号。家賃は相場の十分の一だ。タワーマンションだ。すごくラッキーと思った。しかし、聞くと、見るとでは大違いだ。遂に霊が出たのだ。
昨夜、パソコンが勝手に起動して、真っ白なモニターに…、
地獄界
無限地獄
…。と、入力された。
いつのまにか染みついた倦怠感が、私の身体に再びまとわりついてきた。
病院には行く。
しかし、その前に不動産へ行こう。
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