第21話 「余韻と別れ」
2023年11月15日(水)――
友郎との、水族館デートから3日が経った。愛那は今もまだ余韻に浸っていた。中学生の頃、あの四人で行った水族館。また行けるとは思っていなかった。お揃いで買ったペンギンのストラップは筆箱につけていた。幸せな時間だった。
もちろん愛那の記憶は消えていない。昨日までの二日間、彼女はいつもの車両に乗る事ができなかった。夜通しで泣いた目が腫れてしまったからだ。また友郎を見ると泣いてしまいそうで、遠くから様子を伺う程度だった。やっぱり彼は、記憶を失くしているようだった。陽子には寝坊で乗り遅れたことにして別々で登校していた。
でも今日からまた、同じ車両に乗ることにした。さすがに陽子に悪いのと、やっぱり彼の近くにいたいのが理由だった。電車がホームに差し掛かり、いつもの扉の前に並んだ。
三人のサラリーマンの後ろに続き乗り込むと、早速友郎と目が合った。が、すぐに逸らし、イヤホンを取り出してドアわきの壁に寄りかかった。やっぱり直視することは難しかった。切ない気持ちが溢れ出そうになった。ただ、彼が自分をずっと見ている事がわかった。願わくは、彼の記憶が蘇ってくれればいいと愛那は思った。
――あぁ……また、友郎くんとデートがしたい……。あの楽しかった時間を、愛おしい時間をもう一度、あと一度だけでいいから……。
愛那は決意をした。もう自分でも、制御する事ができなくなっていた。
次の「黄水仙駅」で陽子が乗ってきて挨拶を交わすと、早速小声で相談を持ちかけた。
「陽子、あのね……。向かいに座ってる男の子……。愛那、ちょっと声かけようと思ってて……」
「――えっ……あ、そうなの……?」
陽子は少し動揺しているような返事だった。愛那は気にする事なく続けた。
「うん。だから先行っててもらえる? 多分北高の人だから、愛那このまま乗っていって声かけて見る……」
陽子は一瞬驚いた顔をしたが、愛那にはその理由は特にわかっていなかった。
二駅先、秀桜西高校の最寄り駅で陽子は降りて行った。愛那は気づかなかったが、陽子は少し哀しそうな瞳で電車に残る二人を見つめていた。
愛那は一人、呼吸を落ち着かせていた。
――しばらく我慢してきたけど、もう一度、あともう一度だけ……。
恥ずかしくなり顔が赤くなっているのがわかった。
北高の最寄り駅に到着し、友郎の後に降りた。ホームの階段を降りる手前でその背中に声をかけた。
「あの……」
「あ、はい」
彼はわかっていたように振り返り返事をした。心臓の高鳴りが止まらない――。緊張でどうにかなりそうだったが、勇気を出して再び彼を見上げる。
「私、秀桜西高校の一葉愛那といいます……。あの……よ、よろしければ私とデートしてくれませんか……?」
緊張と恥ずかしさと、大好きな人が目の前にいることが相まって泣きそうになる。
「突然ですみません……」
間が空いたことを心配し、言葉を重ねる。
「あ……いや、え? ぼ、僕でよければ……」
その言葉に愛那は安心し、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ……。実はね、観たい映画があるんだけど……」
愛那は「Good fallen heaven 2」という映画のチケットを 二枚取り出した。
「あ、これ気になってたやつ! めっちゃ嬉しい!」
「ほんと? 嬉しい!」
この映画の前作を、友郎と陽子が観ていたことは、愛那は知っていた。
「
「十二時半ね! そうだね、お昼も一緒に食べよう!」
丘止々岐駅といえば学校とは逆方向の電車になる。本当なら友郎の住む香澄町駅から一緒に行きたかったのだが、その日も午前中に定期検査があり、最寄り駅が丘止々岐駅だった。
「それじゃあ――」
再び友郎を見上げる。
「うん、また……――明日?」
「そうだね! 明日だね!」
そう言って嬉しそうな表情を見せた。愛那は思わずにやけた。
愛那が電車に乗るのを友郎が見送ってくれた。少しの罪悪感を感じつつも、再び訪れたデートのチャンスに、愛那は素直に喜んだ。
――嬉しい、嬉しい、嬉しい……。でも……きっと、これで最後にしよう……。
気がつけば、雲間から光が差し込んでいた――。
愛那は揺れる髪の毛を耳にかけ、話を続けた。
「――それで愛那と友郎くんは、デート当日また前と同じカフェに行ってランチをしたの。もちろん友郎くんは初めてきたと思ってて、少し緊張してた感じだったな……。その後映画を見て……。プリクラを撮ろうって言ってくれたんだけど、『掟』が怖くなっちゃって断っちゃったの……ごめんね、って覚えてないか……」
愛那は哀しい瞳で友郎に微笑みかける。白葉種公園の時計が十九時を回っていた。
「――ううん……。なんとなく、時々デジャヴみたいな感じで……聞いたことあるような、その光景が浮かんでくるような感覚があるよ」
「そっか……。それがね、愛那と友郎くんとの最後のデート。一昨日の話だよ。その日の夜、友郎くんは凌くんと二人で憂樹の家に行ったのね。そこで、愛那から憂樹への手紙や、『Mana』って書かれたイルカのキーホルダーを見ちゃったみたいで……。それで、愛那と陽子が写った写真をそのまま持って帰っちゃったみたいなの」
「――あぁ、それで……」
「うん、多分、友郎くんの頭の中で完全には消えきってなかった記憶が蘇ってきたんじゃないかなぁ」
「そうかもしれない……。ここ数日も片頭痛酷かったのは、チケットが原因だったんだ。そして俺も……そのチケットを使ってたんだ……」
愛那はおもむろに立ち上がると、軽い足取りで友郎の前に少し離れて立った。友郎は彼女を見上げた。
「青木友郎くん。チケットを使ったこと、お互い様だけど、本当にごめんなさい。憂樹との関係も危うくしてしまったこと、ごめんなさい」
彼女は二度、深く頭を下げた。友郎は少し驚いて、背筋を伸ばした。
「でも……、すごく楽しくて幸せな時間でした。本当にありがとう。友郎くんからデートに誘ってくれたこと、本当に嬉しかったよ」
思わず友郎も立ち上がった。
「今日で本当に終わりにするね。また明日から愛那のことは覚えていないと思うから、もう本当に会わないようにするね」
「――えっ……デートしないと、記憶って消えないんじゃないの……?」
「うん。だから、今朝君をデートに
「誘った……?」
「そう。それで君はこの公園に来てくれたの。この時間こそが『
「そんな……。それじゃもう――」
「――そう、だからもうこれで本当におしまいっ」
彼女は精一杯の笑顔を見せた。友郎は胸が締め付けられた。ベンチに座っていた陽子はそんな愛那を見て涙を流していた。
「陽子……――ごめんね。改めて、謝らせて。陽子の記憶は失くなっていなかったのに、失くなっていると思い込んで友郎くんと関わってしまったこと。本当にごめんなさい」
「――そんなっ、だって私が嘘をついたからっ……、私が『いいよ』って言っちゃったから……だから愛那ちゃんは悪くないよ……」
愛那はまた笑ってみせた。
「ありがとう。陽子がそう言ってくれて少し気が楽になったよ……。これからも、ずっと友達でいて……くれるかなぁ……?」
「うん、もちろんだよ。こちらこそ……最後まで友達でいてね……」
二人は涙で濡れた笑顔で手を握り合った。そして、愛那は再び友郎に顔を向けた。
「友郎くん、これで本当にさようならです。たくさん、ありがとうね」
友郎は立ち上がり、彼女と改めて顔を見合わせた。
「こちらこそ、本当にありがとう。正直うろ覚えというか、ほとんど記憶がないけれど、俺も幸せな時間が過ごせたんだと思う。ありがとうね……」
彼女は嬉しそうな表情を見せて、友郎と陽子を残し公園を出て住宅街へと歩いていった。振り返ることはなかった。
理由がわからなかったが、友郎の頬に涙が流れていた。
「トモくん……大丈夫……?」
後ろから陽子のやわらかい声が聞こえ、慌てて涙を袖で拭い振り向く。
「――ごめん、大丈夫」
友郎は少し笑ってみせ、陽子の隣に少し間を空けて再び腰を下ろした。
二人きりの公園で、彼女のシャンプーの香りが秋風に乗って友郎の鼻をくすぐった。
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