第19話 「『死んだ方がマシ』な理由」
2022年3月11日(金)――
チケットを購入して二日が経っていた。陽子はその効果に正直半信半疑だった。でも本気で信じてしまうような不思議な感覚に陥っていた。それほどにあの老婆の笑顔が不敵で、異質で、それでいて優しかった。それにチケットの効果を信じることで、少しだけ心が救われているのも確かだった。
放課後十六時半。杉ノ宮駅近くの線路沿いにあるカフェに、陽子、憂樹、そして愛那の三人の姿があった。友郎を除いたこの三人で、陽子は自分の内に秘めいていたモノを共有した。病気のこと、小藤町の駄菓子屋のこと、チケットのこと、そして、友郎にそのチケットを使うということ。
「――だめだよそんなこと……」
「陽子ちゃん何考えてんだよ……。そもそもそんなこと、友郎が許すわけないだろっ」
二人ともチケットに関し半信半疑ではあるものの、友郎との記憶を消すことに難色を示し、反対をした。
「いいの。トモくんには私と違って、未来があるの」
「だけどっ――」
「――そのトモくんの未来、限りある大切な時間を、悲しみや傷を抱えたまま生きていって欲しくないの。『私』がトモくんの未来の
「っ……――」
憂樹と愛那は言葉が出なかった。陽子は、「茉枝陽子」という一人の人間が、誰かの人生の負担になること自体を望んでいなかった。彼女の下した決断は、友郎に対する最大の思いやりであり、彼女にとってもまた最善の選択だったのだ。
「もし本当に私とトモくんの記憶が失くなったら、お互いの存在は伝えないでほしいの」
「そんな……」
「トモくん優しいから、罪悪感を感じちゃうかもしれない……。知らなくていいことは知らないままでいてほしいから」
「……でも……チケットのこと愛那たちに言っちゃってよかったの? 『掟』では他言はダメだって……」
「うん、二人には協力してもらわないといけないから、仕方ないの。それに私はもう先が短いから、『死んだほうがマシな状態』になってもかまわないの」
陽子は寂しそうに笑ってみせた。二人は納得はせずとも、協力はしてくれそうで陽子は安心した。
帰りの電車は上り方面のため比較的空いていて、陽子と愛那は並んで座る事ができた。
「新しいお家はどう? 愛那ん家はアパートになって、少し狭くなったなぁ」
「そうなんだね。うちはそんなに変わらないかな。一階になって、眺めが悪くなったくらいかな?」
二人はお互いの近況報告をし合った。しかし、お互いの病気のこと、チケットのこと、友郎とのことなど核心に触れる話題を口にすることはなかった。
電車は大きな橋に差し掛かり、土手が目に入るとチケットのことが脳裏をよぎった。陽子は静かに口を開いた。
「愛那ちゃん――」
「うん?」
「トモくんのこと、別に狙ってもいいからね?」
「――えっ……?」
「私に気を使わなくていいからねってこと」
「ちょっとやめてよっ。愛那別にもう――」
「いいの。もう気がないならないでいいし、あったとしても私に気を使わないでほしいの」
「――そ……んな……。うん……」
愛那の返事に少しの間があった。
車内のアナウンスが『小藤町』の到着を知らせ、車両がスピードを落とす。
「私、トモくんのこと忘れちゃうから、愛那ちゃんたちになにがあっても傷つかないし」
また笑っておどけてみせた。愛那はなにも言うことができなかった。
電車のドアが開き、愛那が降りる。
「4月から一緒の学校だね! ――……これからも親友でいてね!」
ホームで見送りをしてくれる愛那に、陽子は笑顔で想いを伝えた。
愛那はふと思った。何回陽子と学校に通う事ができるのだろう。あとどれくらい陽子と一緒にいられるのだろう――。発車ベルが鳴るまでの、たった2秒の間でこれまでの思い出が頭を駆け巡り、涙を堪えられることができなかった。
「――うんっ。こっちこそ……よろしくねっ」
南からの暖かく優しい風が、愛那の濡れた頬を撫でてホームを抜ける。日が伸びてきて、春が近づいていることを知らせた。
「――それから私とトモくんは3日後の3月14日にデートをして、本当に記憶を失くしたの。だから私のことを覚えていなくて仕方がないの……」
友郎はこの突拍子もない話が、やけに信じる事ができた。ここ数日の偏頭痛や妙な気分、心にぽっかりと穴が空いてしまったような感覚。その原因がわかったような気がして、不思議と腑に落ちていた。
でも一つ気になる事があった。
「――じゃあ……どうして今、その、茉枝さんは俺のことを知ってるの……? 俺と一緒に記憶を失くしたんじゃ……」
陽子は落ち着いていた。
「『掟』をね……破ったの……」
「あっ……」
「愛那ちゃんや芦沢くんにチケットについて話したことで、『他言してはいけない』という掟を破ったの。その代償はね、チケットを
「……どういう……こと?」
「トモくんとのデートの翌日ね、私記憶が消えてなかったの。だからチケットなんてやっぱり嘘だったんだって思ったの。それでね、トモくんの連絡先を消してたから、私から連絡する事ができなくて一日中ずっと連絡を待ってたのね。でも夜になっても連絡来なくて。次の日学校が終わった後、トモくん家に行ってみたの」
「あっ……え、もしかして……」
「うん。ピンポン押したらトモくんのお母さんが出てきて、トモくんを呼んでもらったんだけどね、出てきたトモくんは、私のことを知らなかったの。すごく怪訝そうな表情で、他人行儀で……。私まるで不審者扱いされちゃったの」
「そうだ……。そういえば、うちの母親がよくわからないこと言ってたことがある……『ヨーコちゃんじゃないの?』、『ヨーコちゃんとは最近どうなの?』って……」
「……そうなんだ。私すごく恥ずかしくて、慌てちゃって……。でもそれよりも……その場で泣いてしまいそうなくらい悲しくなっちゃって。走って逃げちゃったの」
友郎は、眠っていたモヤモヤが掘り起こされ、すぅーっと解消されていくのを感じていた。
「心のどこかでは、もしかして、って思って覚悟はしてたんだけど……。いざトモくんの目を見た時、私を見るその目を見た時……もうトモくんは、私の知ってる『トモくん』ではないんだって思って……ショックがあまりにも大き過ぎて……」
話す彼女の声がうわずむ。
「――そんなことがほんとに……」
「それでわかったの。『死んだほうがマシ』な理由が。この先何度デートしようとも、相手は私のことを忘れてしまう。私は相手の記憶に残る事ができない……。でも私は忘れる事ができないの。こんなに辛いことはないよ……。お互いに、一緒に忘れられると思ってたんだもん……」
陽子は時折鼻をすすって空を仰いでいた。大きめの咳払いが、泣きそうな声をごまかしているように聞こえた。
「それで、愛那ちゃんには嘘をついたの。『青木友郎なんて人、知らないよ?』ってね。デートの次の日に愛那ちゃんから予定通り連絡は来てたんだけど、一応効果を確かめるまでは返事はしなかったの。でも、まさかトモくんだけ記憶が消えてるなんて思わなくて……。愛那ちゃんに『狙っていいよ』なんて言った手前、今更やっぱり、なんて言えなかったの……。だから私はついこの間まで、記憶がないフリをしていたの」
「そう……なんだ……」
――きっと彼女は、本当のことを言っているのだろう……。
こんなにも非現実的な話をされ続け、友郎は頭が混乱しそうになっていたが、彼女たちの真剣な眼差し、声色が、いかに辛い思いをしてきたかを物語っていて、信じ込むには十分すぎる状況だった。
「それから私たちは、それぞれの秘密を胸に抱えたまま……高校生になったの……――」
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