第18話 「誓い」
2022年3月9日(水)――
陽子の、黄水仙町への引越しから二日が経った。父親が手伝いをさせてくれなかったが、荷ほどきだけは自分でやらせてと頼んだ。住む家は前と変わらずマンションだったが、一階だった。階段を使わなくて済むことと、なにかあったときに素早く外に出られるようにと、父親が一階にこだわっていた。多分、ランニングマシーンが下の階に響いてしまうことも理由の一つだと陽子は思ったが、それは言ってこなかった。
引っ越すことで離れ離れになる友達もいたが、中学校の卒業も重なったためさほど影響はなかった。それに、愛那も半年ほど前に隣町に引っ越しをしたため、地元である杉ノ宮には未練はあまりなかった。それよりも、自分の病気を気遣い負担にならないようにと、少しでも通学時間を減らすために引っ越しをしてくれた両親に感謝をした。
一通り荷ほどきが落ち着き、時刻は十六時半だった。受験や手続きなどで、電車で通過する事が多かったが、降りたことは一度もなかったこの町を、気分転換に散策することにした。陽子は部活で使っていた、名前入りの赤いスウェットに手を通した。
あまり新しい町ではないことは、電車の車窓を通して知っていたが、実際に歩いてみるとどこか馴染みがあるような、懐かしいような、親しみのある町並みであることがわかった。この町の西側に愛那の住む小藤町があることを知っていた陽子は、なにも考えず歩いてみることにした。
時折アパートや低めのマンションを含んだ住宅街が続き、いくつかの団地や小さな公園を通り過ぎると、人のいない寂さびれた商店街に突き当たる。まだ夕方にも関わらず、開いているお店は目視で確認できる範囲で3店舗ほど。特に惹かれる雰囲気もなかったため通過をし、再び住宅街を少し抜けると土手にぶつかった。土手を登ると大きな川があった。赤い橋が架かっているのが見えて電車がそれを渡っている。
「――この川の向こう側で……、トモくんは暮らしているんだね」
夕陽が眩しくて思わず目を細めたが、水面に反射する光景が綺麗でつい見惚れる。
「綺麗――……」
家からまっすぐ歩いておよそ一時間が経っていた。陽子は、こんな美しい場所に辿り着けるとは思っていなかった。そして、ここが愛那の住む小藤町であることがわかった。
ひんやりとした風が心地良くてたまらず深呼吸をし、額の汗を袖で拭った。ここ数日、身体の調子が良かったが、友郎との関係を断つことができなかったことが胸にひっかかっていた。そのため少し気分転換になり良かったと思った。
土手をランニングする人が目の前を通り過ぎ、河川敷では小学生たちがボールを蹴って走り回っていた。のどかな空気とその風景に心が浄化されていくのを感じる。
ふと土手を下った先を見ると、古い木造の建物があるのが目に入った。というより、目を奪われたような感覚だった。吸い寄せられるように近づき、看板を見る。
「冬……サンゴ屋?」
古い駄菓子屋のようだった。『
「いらっしゃい」
「あ、こんにちは」
老婆は笑顔だったが、まるで自分のことを知っているかのような、そんな笑みだった。
特に何も買うつもりはなかったが、父親から『ジュースでも買いなさい』と小銭入れを渡されていたのが助かった。
昔ながらの駄菓子、玩具が陳列され、懐かしさと店内を照らす夕陽が相まって胸がぎゅっとなるのを感じた。
「あっ、懐かしい――」
下の段に置かれたサイダーキャンディに手を伸ばし、思わず声が出ていた。
――これ好きだったなぁ……。
手に取った一つを眺めていると、視界に異様な気配を感じた。思わずキャンディを戻し、その気配のもとを探ると、3段目の台の右端に、ポストのような小さい木箱を見つけた。その上には数枚の紙が置かれていた。その数枚の紙が、異様な雰囲気を放っていたのだ。
「これ……なんですか?」
老婆は、よくそれに気がついたなと言わんばかりの驚きと笑顔を見せ、陽子に近づいてきた。
「これはな……誰にでも売れるモノではないんじゃ」
「あっ、そうなんですね……」
なぜだか少し残念な気持ちを覚えた。老婆はふふっと笑って彼女に尋ねた。
「アンタ、好きな人はいるかい?」
「――え? ……あ、はい。いますけど……」
少し苦笑いをしつつ答えた。
「それは、叶いそうかい?」
そう言われた途端、陽子はドキッとした。自分の抱える友郎への想いが、二人の幸せな未来が『叶う』ことがないことを、目の前の老婆は知っているかのような気がした。少しの間を空けて口を開いた。
「いえ……叶いそうもないです……」
すると、老婆は優しく微笑んだ。
「……そうかい。……辛かったね……」
それがなにを思っての発言かわからなかったが、不思議と心のモヤモヤに一筋の光を差してくれたような、胸がスッと通るような感覚を覚えた。
それなら、と老婆はいくつかの説明を始めた。名前を書いた人と必ずデートができるということ、デートを終えたその日の0時に二人の記憶が無くなってしまうこと、破ってはいけない掟があるということ。掟を破ると、『死んだほうがマシ』と思えるほど、辛い事が起きるということ。
二百円を渡した陽子の瞳は、何かを決意した、迷いのない眼差しをしていた。
駄菓子屋をあとにした彼女は一人、土手の階段に座り込んだ。
辺りを見渡すと、この広い河川敷にはもう誰もいなくなり、ふいに孤独を感じていた。
先ほど駄菓子屋で過ごしたほんの数分が、今となってはまるで夢だったかのような感覚に陥おちいって、その不気味な感覚が孤独に拍車をかけた。
――この川の向こうのきみに会いたい――。
ふぅっと一つ、溜め息をついて遠くを見つめる。その澄んだ瞳から溢れた透明な雫が、彼女の頬を伝う。夕陽の反射を捉えキラッと光り、いくつかのその光が顎あごに集まる。やがて大きな雫となり、足元のコンクリートを濡らした。次第に、スウェットの袖では拭いきれないほどの涙が溢れ、嗚咽おえつまじりに唾を飲み込む。鼻をすすると目の奥がツンとして痛くなった。
陽子はチケットを使うことと、
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