第8話 「疑心」

 友郎が最寄り駅に着く頃には、時刻は十八時を回っていた。静かで、落ち着いた町に帰ってきた。ホームに降りると外が寒かったことに気づく。今日あったことを一から振り返っては、すべて現実だったんだということを噛み締めていた。心が温まっていたため、急な寒さに身震いをした。


 昨日まで半信半疑だった二人の関係性が、今日でほぼ確かなものになったと実感し、これから始まる二人の物語にうつつを抜かしていた。




――明日みたいな休みの日は何をして過ごすのだろう。普段学校から帰るとなにをしているのだろう……。挙げ出すとキリがないほど、彼女について知りたいことがたくさん出てくる。また月曜日になったら、聞いてみよう。




 高まった気持ちを抑えきれない足が、リズム良く階段を降りきった時、改札を通る見慣れた男に出会う。


「おう。トモ」

しのぐじゃん。なにしてんの?」

「久々に憂樹ん家に行くとこだよ。トモも行くべ」


 吉田凌は、一年生の時に友郎と憂樹と同じクラスだった。仲が良かった三人は、よく憂樹の家に集まることが多かった。気分が乗っていた友郎は凌について行くことにし、母親に少し遅くなるが夕飯は家で食べる旨の連絡をした。


「ところでトモはどこ行ってたの?」


 友郎は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりのドヤ顔をして答えた。


「あぁ。聞いて驚くなよ? 西高の女子とデートしてた」

「え、まじで……?」


 凌は、「まさかこいつに?」と言った表情をした。


「まじだよ」

「ちょ、詳しく聞かせろよ」


 憂樹の家までの間、友郎はデートに誘われてから今日までの出来事を話した。疑心暗鬼だった凌も、到着する頃にはすっかり話に夢中になっていた。




 駅近くの地上二十階建て高層マンション。広めのエントランスを通過し、自転車がずらっと並ぶ駐輪場を横目に、無駄に広い中庭の通路を通る。(何度か柵を超えてショートカットをしていたが、ある日管理人に怒られたため正規ルートを通った。)二回もエレベーターを素通りし、3機目のエレベーターで6階へと上がる。そこに憂樹の家はある。




「うっす」

「なんでトモもいんの?」

「まぁいーじゃん」


 玄関のドアを開けたまま、バツが悪そうにする憂樹を凌が軽めになだめる。


「ちょっ……今部屋掃除してんだよ……」


 そう言い切った時には、二人は既に靴を脱いでいた。友郎が来たことに対し、憂樹がなぜ難色を示したのか二人にはまだわからなかった。




「いらっしゃい! 久しぶりね二人とも!」

「お邪魔します」


 二人が憂樹の母親に挨拶をしている間に、憂樹は自分の部屋へと急いだ。


 


 確かに憂樹の部屋は少し散らかっていて、掃除をしていた様子ではあった。


「まじで散らかってんじゃん」

「だから言ったろ」


 友郎の言葉に、憂樹は目を細めた。さっそく凌が口を開いた。


「トモ、今日彼女とデートしてきたって」

「――まじで?」

「まだ付き合ってないけどな」


 恥ずかしながらも少し否定をする友郎に対し、憂樹の反応はどことなく普段と違った。


「そうなんだ。やるじゃん」


 と、いつもなら揶揄ってくるはずの憂樹の表情が苦笑いをしていたことに、友郎は違和感を感じていた。




 それからしばらく、散らかる部屋で惚気話やくだらない話をしていた時だった。ベッドに座る憂樹の足の陰に、フタの外れた小さな缶があった。そこに目が行った途端、彼がそれを隠そうとしたのを友郎は見逃さなかった。


「なにそれ」

「別になんでもないって」


 憂樹がそう言った時にはもう遅く、友郎は缶を手に取っていた。


「なんだよこれ……」


 中には「愛那より」と書かれたいくつかの手紙と、彼女が友人と仲良くピースをしている写真、そして「Mana」と書かれた緑色のイルカのキーホルダーが入っていた。


一瞬時が止まる。


――あれ――? なぜ憂樹の部屋に愛那からの手紙が? 憂樹は愛那と知り合いだったのか?どうして愛那の写真を持っているんだ……?


 様々な疑問が頭を駆け巡る。鼓動が速くなり、息が小さく荒くなるのを感じた。そして友郎はようやく理解をした。




――そうか……二人は付き合っていたのか……。




 友郎はこの四日間を思い返した。


――憂樹は知っていたんだ。俺をデートに誘った女の子が愛那である事を。だから執拗に聞いてきたのか。彼女は彼女で、プリクラを撮るのを拒んだことや、たまに見せた哀しそうな表情、「疲れた」と言って早めにデートを切り上げたのも、憂樹に罪悪感を感じていたからに違いない。


「トモ……違うんだよ――」

「――だからおまえ、俺のこと羨ましいって言ってたんだな……」

「いや、ちが……――」


 友郎の手が少し震える。別に怒っているわけではない。憂樹の女ったらしの性格は昔からわかっていたつもりだ。誰と関係を持っていようと今さら驚いたり傷ついたりすることはない。ただ少し、彼女にも裏切られたような、哀しみに近い感情が、グッと胸を締めつけるのだ。


「付き合ってたわけ?」

「いや……そうっちゃそうなんだけど……」


 友郎は、憂樹のはっきりとしない態度に段々と苛立ちを覚え、手に持つ写真に力が加わる。


「だけど、なに――?」

「……ごめん、ちょっと上手く説明できないわ……」


 そう言うと憂樹は立ち上がり、今日は帰ってくれと友郎を部屋から追い出した。友郎は無言で憂樹の家から出ていった。


 部屋に残った憂樹は沈むようにベッドに座り、大きな溜め息を吐いた。状況を理解できない凌が床に落ちた手紙を拾う。


「これって……」

「あぁ……そうなんだよ。どういうつもりなんだよ、アイツ……。どうすっかなぁ――」


 憂樹は布団に倒れ込み、頭を抱えた。




――あいつの彼女だったかと思うと、気が進まない……。


 天国から地獄へと一気に落とされたような気分を抱え、友郎は家路を歩く。つらい、苦しい、怒りにも似たこの名前のない感情が、友郎の両足に10kgの重りをつける。




――今思うと、あの子が言っていた「過去のやり直したいこと」って憂樹とのことだったのかな……。あの缶に入っていたイルカのキーホルダー、そういえばあの子の学生鞄にも同じようなモノが付いてた気がするな……。北高に知り合いはいないって言ってたけど、知り合いどころか彼氏だった人がいたなんて……。




 手には思わず持ってきてしまった愛那の写真があった。隣に映っているのは、一緒に電車に乗っていた友人だった。


――確か……名前は「陽子」だったかな。まぁもうどうでもいいか……。


 肺の奥まで息を吸い、空っぽになるまで吐いてみた。


「恋愛って難しいなぁ……――」


細い月にぼそっと呟いた。




 家に着くと、玄関までカレーの匂いがしてきた。いつもなら空腹に拍車をかける香りだったが、今日はあまり受け入れることができなさそうだ。母の恵子は不服そうだったが、明日の朝食にでもすればいいか、と一度開けた鍋に蓋をする。何も言わず廊下を過ぎる息子の背中を見て、少し心配そうな顔をしていた。



 湯船に浸かると、足先にジーンと軽い刺激が走り、体の芯まで温めてくれる。しかし、彼の胸の中にあるモヤモヤした感情までは、癒すことはなかった。大きな溜め息が水面を揺らす。




 たった一回のデートとはいえ、愛那への想いはまるで、何年も付き合ってきた恋人に対するような想いだった。


 月曜日になると、おそらくまた彼女に会うことになるだろう。どんな顔をして話せばいいのだろうか。前の彼氏への想いを胸に秘めた女の子と、どう接していけばいいのだろうか。ちゃんと笑えるのだろうか。前の彼氏が自分の親友だったと知っていても――。




 彼女の真意を知りたい。本人の口から聞きたい。どういうつもりで自分に声をかけたのか。だが、連絡先も知らない関係性。確認のしようもないが、そもそも知る資格もないと言われているような気がしてきた。




「はああぁあ〜……」


 唸り声のような溜め息で布団に倒れ込む。時計はまだ二十時半を回ったところだった。


 月曜日、憂樹に合わせる顔がない。


――よくよく考えてみれば、憂樹は何も悪くないんだ……。多分二人は、今はもう別れていて、その元彼女が俺に対して好意を寄せている。あいつにとってそれはきっと辛いことに違いない。なのに俺は自分のことしか考えず、ずかずかと他人の過去を覗き込み、勝手に嫉妬していただけなんだ――。


 親友に対して悪いことをした。そう思った友郎は、月曜日に直接謝ろうと決め、早めの眠りについた。




 翌日の日曜日、数日ぶりの偏頭痛に眉をしかめ、ゆっくりと体を起こす。前にもあったこの感覚。そして胸にぽっかりと穴が空いたような感覚だ。


 ふと机に目をやると、映画の半券と、見覚えのない女の子が二人写っている写真があった。


 写真を手に取り今一度顔を確認すると、その内の一人の子に目が惹かれる。知らない子だったが、それを見た第一印象は、――懐かしい――だった。理由はわからない。そしてだんだんと親しみが湧いてきた。なんとなくだが、この子を知っている気がする。


――誰、なんだろう……。


 そして「Good fallen heaven 2」と書かれた映画の半券も、身に覚えが全くなかった――。

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