第7話 「映画」

 2023年11月18日(土)――


 長いようにも、短いようにも感じた二日間が過ぎ、デート当日を迎えた。朝から晴れていて、気温もここ数日に比べ高かった。まるで世界が二人のデートを祝福しているかのような気がしていた。


 映画のチケットを愛那に用意してもらっているので、昼食は自分が奢りたかった友郎は、母の恵子にお小遣いの前借りをお願いした。


「あんた……また?」


 先週も同じことを言われた恵子は呆れ、金がないなら夕食前には帰ってこいと叱りつつも、出ていく友郎に五千円札を握らせてくれた。


 なぜ恵子が怒っていたのかわからなかったが、駅へと向かう友郎の足は軽かった。


 早く会いたい気持ちもあるが、今日が終わってほしくないという気持ちもあった。なぜか、今日が終わってしまったら、もう彼女に会えないんじゃないかとすら感じてしまう。魔法が解けて、この幸せな日々が終わってしまうような……。明日なんて来なくていい、そんな複雑な思いが愛那とのデートへの思いを一層強くした。




 丘止々岐おかととき駅まで乗り換えはなく、二十分くらいだ。心を落ち着かせる時間があったため、今となっては現地集合でよかったと思った。もしかしたら同じ電車に乗ってるかも、と周りを見渡したが見当たらなかった。


 土曜の下り線は空いていて、ローカル線ならではの穏やかさが車内に漂っていた。日差しが暖かく降り注ぎ、自然と落ち着いた気持ちになることができた。ところが、今日の昼食場所を決めていなかったことを思い出し、慌てて携帯を取り出す。


――そういえば、好きな食べ物はなんだろう……。とりあえずパスタか? カレーは確か初デートにはダメと聞いたことある気が……。


 そうこうしているうちに、車内アナウンスが「丘止々岐」と告げ、ゆっくりと電車の速度が遅くなっていった。




 私服姿の愛那もやっぱり可愛かった。待ち合わせの十五分前に着いたにも関わらず、彼女は既に待っていた。


 無地の白Tシャツに、柔らかなクリーム色のフード付きパーカーを羽織り、ゆったりとしたシルエットのデニムを履いている。同じくクリーム色のキャップを被り、少しボーイッシュな服装で、普段とは異なる印象を受けた。


「ごめんお待たせ! 早いね」

「少しでも長い時間一緒にいれたらと思って、なるべく早く来てみたの」


 口にはしたことがないが、お互い心の中では分かり合っている気がしていた。にも関わらず、ほとんど告白をしていると言っても過言ではない愛那の台詞に、慣れない友郎の声が思わず吃る。


「お、俺もそう思ってさ……!」


 そう言うと、彼女は恥ずかしそうに笑った。


「あのね、映画館はここじゃなくて西福寿にしふくじゅ駅なの」

「あ、そうか。ここには映画館ないもんね」


 まだ昼食場所が決まっていなくてよかったと思った。




 映画館へと向かう電車は、普段の電車とは違う路線で、友郎の隣に愛那が座ることも、普段とは違い新鮮だった。ベビーカーに乗った赤ちゃんが可愛くて、友郎と愛那が笑わせて遊んでいると、斜め向かいの席に座る白髪のお婆さんが、二人を見て微笑んできた。知らない人だったため友郎は目を逸らした。



 愛那が話すことは不思議と、前に聞いたことがあるような錯覚によく陥ることに気がついた。そのデジャヴに近い不思議な感覚に、――これが運命なのでは? と思い込む。電車が揺れる度、触れている肩に少しの重みとぬくもりを感じ、愛那への想いがさらに強くなるのを実感した。



 二駅ほどで、西福寿駅に到着した。改札が二箇所あり戸惑ったが、彼女は迷うことなく東口改札へと向かったので、しれっとそれに合わせる。


 上映まであと一時間半と余裕があったが、友郎は昼食場所の選択にそわそわしていた。二人の住む町とは異なり、多くの人で賑わう駅前の光景に思わず尻込みをした。しかし愛那は違った。


「あっちの方に行ってみたいお店があるんだよね」


 と、早めのリードをしてくれたおかげで助かった。と、同時にこんな繁華街にも慣れている彼女に少し不安も感じた。まだまだ自分の知らない部分が彼女にはたくさんあるような気がして遠く感じる時もあった。


 街中を歩いていると、行きゆく人たちが愛那に視線を向けるのを友郎は感じていた。彼女は一際目立つほどに可愛いのだと再認識した。




――今俺たちは他の人からはどのように見えているのだろうか。カップルに見えているのだろうか。それとも不釣り合いな男女と思われているのだろうか。


 友郎は、劣等感を感じつつ、自慢げな気持ちもありつつ、彼女の横を歩いているという現実に浸っていた。愛那はなにも気にしていない様子で、楽しそうな表情を輝かせていた。




 到着したお店はお洒落だった。木製の看板に「Books Village Cooking」と書かれていて、本屋とカフェが併設された飲食店のようだ。おしとやかな口調の店員が、人数を確認してくる。外装から内装まで木調のデザインで施され、木の床を歩く音が小さくコツコツと鳴り、心地良い。


 普段ファストフード店しか行かない友郎としては敷居が高く緊張したが、意外と多くの客で賑わう店内に安心感とどこか親しみを覚える。




 窓際の、やけに広いテーブル席に通されて、数種類のメニューを置かれる。――どれがなんのメニューかわかりづらい……、と言いかけ口を閉じる。外を歩く人たちが、「おしゃれ〜」と言わんばかりに店と自分たちを見てくるような気がして、友郎は小慣れた風に座り直した。




「トモくんって珈琲って飲める?」


 突然の「トモくん」呼びに驚いた。しかし平静を装い、


「もちろん飲めるよ」


 と、もちろん嘘をついた。


「ふうん」


 そう言って、なぜか愛那はクスッと笑っていた。




 無駄にお洒落なメニューが見辛くて、注文するのに余計な緊張をする。コーヒーが食事と同時か、食後にするかだなんて正直どっちでもいい。緊張していない素振りが彼女に見透かされていそうで変な汗までかいてくる。友郎はグラスの水を一気飲みした。そんな姿がまた、彼女をクスッとさせた。




 およそ写真通りの大きなハンバーグプレートに二人のテンションが上がる。


「うわぁ〜! どっちも美味しそうだね!」

「そうだね!」


 彼女の一つひとつのリアクションが可愛くて、友郎もつい舞い上がってしまう。彼は、選択できるソースの味に、「特製ガーリックソース」を選びたかったが、デートでニンニクは禁物となにかで読んだ気がしたので、「スタンダードソース」にしておいた。


「はい、アボカドあげるね」


 彼女は、それがまるで当たり前かのように、トッピングしたアボカドを一切れ、友郎の皿に置いた。


「えっ――ありがとう」


 躊躇なく料理をシェアしてくれることが素直に嬉しかったと同時に、なんか慣れてるなぁと思った。


 でも、チェダーチーズが少し付いたアボカドと、ジューシーな肉汁の相性が抜群で、クセになるほど美味しかった。彼もアボカドをトッピングしたかったが、ケチってしまったことを後悔した。


 目の前で嬉しそうにハンバーグを食べる愛那を見て、友郎はまたこの店に一緒に来たいと思った。


「一葉さんは、北高に知り合いとかいる? 一緒の中学校だった子とか」

「んー。多分いるとは思うけど、親しい子はいないかなぁ」

「あぁ、そっか……」


 共通の話題にもなればと思ったが、空振りに終わった。


「『一葉さん』はちょっと遠くない?」


 愛那が少し不満そうな顔をする。


「えっ……。じゃあ……愛那さん?」

「『愛那』でいいよ」

「いやいやいやっ……! じゃあ、愛那ちゃん……で――」

「……うん、まぁいいか……」


 あんまり納得していないようだったが、ひとまず妥協してくれたようだった。確かに「一葉さん」は、よそよそし過ぎた気がするが、さすがに呼び捨てはまだ早いのではないか、と思った。




「もし、過去に戻れるとしたら、トモくんはやり直したいことある?」


 突然の話題に少しだけむせる。


「ほら今日の映画、今回の話ってタイムスリップ系の話でしょ?」

「あぁそうか、そうだなぁ……」


 友郎は考えてみた。そりゃあやり直したいことなんて山程にある。「中学の時、もっと勉強してもっと上の学校を目指せばよかった。」、「中一の時、練習がきつくて辞めたバスケ部を続けていればよかった」、「顔も名前も覚えていないけど、好きだった人に告白すればよかった」など、挙げ出したらキリがない――。


 でももし過去に戻って何かをやり直したら、こうして彼女と出会えなかったかもしれない。なんとなく、そんな気がしていたら、


「うん。特にないかなぁ」


 と、気の利かない返事になってしまった。


「私はね、あるよ。やり直したいこと」


 愛那はそういうと少し寂しそうな目をした。友郎にとってそれは、触れてはいけない、踏み込んではいけない領域のような、遠さを感じた。


「そう――なんだ……。それって、どんなこと?」

「……言えない……ふふっ」


 そう言ってイタズラな顔でにやける愛那に、


「言えないんかいっ」


 と、軽くツッコミを入れると、店内の雰囲気も相まって明るく穏やかな雰囲気が流れたが、彼女の表情が時折どこか切なさを帯びていることを、友郎は微かに感じていた。


「あたし結構涙脆いんだよね。今日の映画泣いちゃうかもよ?」

「えー……全然良い。見てみたいかも」


 そう言って茶化したが、そんな一面も本当に心から見てみたいと思った。




 そのあとは、愛那の実家で飼ってるトイプードルの話や、友郎が昔飼ってたゴールデンハムスターがよく脱走してた話、彼女は昔からセロリが苦手だという話をした。


 お会計は、奢らせてくれなかった。




 気がつくと上映開始の二十分前だった。早足で映画館の建物に入り、お互いトイレを済ますことにした。


映画館の独特の香りが好きで、何度来てもテンションが上がる。彼女もそうだと言うので、つくづく気が合うなぁと内心で喜ぶ。


 友郎がトイレから戻ると、愛那は柱近くの椅子に座り、目を瞑っていた。


「お待たせ……大丈夫?」

「あ、おかえり! ごめんね、ちょっと疲れちゃって。でももう治った!」


 そう言って笑って見せたが、友郎は少し心配になった。


――なんだったら今日は映画は……。


 とも思ったが、椅子に座るだけだし、彼女も大丈夫だと言うので気にしないようにした。


 ポップコーンとジュースを買い、チケットを係員に渡して二人はゲートを通った――。






 映画は面白かった。「タイムトラベラーもの」としてはありきたりといえばそうなのだが、過去に戻って何度も彼女と付き合おうと奮闘する主人公の姿が、滑稽で、真っ直ぐで、友郎の心に刺さるものがあった。彼女の心にもきっと響いてくれていると、面白かったと思ってくれていると願い、隣の席を見ると、そこには大粒の涙で頬を濡らす愛那がいた。


「だ、大丈夫?」

「……こういうの、ダメなの……」


 ここまでとは思わず、友郎は少し笑ってしまった。感受性が豊かで、素直で可愛いなぁと見惚れていた。愛那はハンカチで涙を拭いたあと、少し多めに息を吸った。


「だってさ、だってさ? あの主人公、なんでちゃんと想いを伝えないわけ? ヒロインの子も、あの子はあの子でめちゃめちゃ鈍感だし……、しかも、もう一人の男の子と付き合っちゃうし……。もうほんとモヤモヤしちゃったよ!」


「……」

「それで最後、あれでハッピーエンドっぽい雰囲気出してたけど、あたし的にはバッドエンドだよ! 辛すぎるよ……。あぁ、また泣けてきた……」

「……大丈夫?」

「……うん……。トモくんは? 最後のどう思う?」

「……そうだね。愛那ちゃんの言ってることは確かにそうなんだけど……、俺的には最後、主人公が見せた表情が全てな気がしてて、だからこそ一番初めのセリフがあそこで効いてくるんじゃないかなって思って。確かに最後切なかったけどね……」

「あぁ……なるほど……」


 と言って愛那の呼吸が少し落ち着いた。彼女の意外な一面が垣間見られた気がして友郎は嬉しかった。自分の意見とは違う、彼女なりの視点、考え方があって、それを言い合えること、共有し合えることの「幸せ」を感じた。それは彼にとって新しい感覚で、彼女への想いがより強くなる刺激となった。




 彼女はしばらく、ヒクヒクッと涙を引きずっていたが、気づいたらケロッとした顔をして、


「あぁ、楽しかった! 今日もありがとう」


 と、締めに向かうような言葉を発したので、


「あ、プリクラでも撮らない?」


 と、友郎は少し焦って提案してみた。


――もう少し愛那ちゃんと一緒にいたい。


 しかし、彼女の返事は意外なものだった。


「プリクラは……今日はやめとこっ。ほら、あたし目腫れちゃったし……」


 そう言って苦笑いをした。

 それもそうか、と少し寂しかったが我慢をして、二人は帰路へとついた。




 時刻が十七時を過ぎる頃には、電車の外は真っ暗だ。賑やかだった街を離れ、繁華街が遠くなる景色よりも、友郎は窓ガラスに映る自分達を見ていた。昼間よりも混んでいたが、二人はまた隣同士で座ることができた。


 すぐ届きそうな距離に彼女の手があって、そっと手を繋いでしまおうと思ったが体が動かなかった。緊張で、全身の毛穴がピリつくような感覚になった。


――まだ早いか……。ゆっくり、ゆっくり距離を縮めていこう。




 愛那は少し黙ったかと思うと、気がつけば眠ってしまっていた。


――昨夜は、今日が楽しみでなかなか寝付けなかったとか……?――ってまさかね。


 小さく揺れる頭が、願わくは肩に乗ってほしい、と思う。




――周囲から見たら、自分達はどう見えているのだろうか。愛那は自分のことをどう思っているのだろうか。一回だけのデートでは付き合うに至らないのだろうか――。


 幸せな感覚と、この感覚をしっかりと形にしたい、手放したくないという不安が友郎の胸をかき混ぜる。それでも今、目の前の愛しい現実に浸ろうと窓を見つめ、電車は静かな町へと帰っていく――。




別れ際は割りとあっさりで、踏み込んだ話はできなかった。これからの話、お互いの想いについてだったり、お互いの連絡先だったり。


 だけど、「また会おうね」と言った彼女の言葉には不思議と安心感があり、友郎は少しも寂しくなかった。


 なぜ自分に声をかけてきてくれたのか、そんな当然の疑問も浮かばないくらい自然な時間だった。心の中では分かり合えているような、繋がっているものがあるような気がした。よほど疲れていたのだろう、送るのは最寄り駅の改札まででいいと言い、彼女は去っていった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る