第6話 「恍惚」

 2023年11月15日(水)――


 デートから三日経ったこの日は、今秋一番の最低気温を記録し、東北地方では初霜が観測されたようだ。駅にいたサラリーマンも思わず携帯をしまい、ポケットから手袋を取り出していた。


 つい先月中間テストが終わったと思ったら、来月からまた期末テストがやってくる。友郎は憂鬱な気分をぶら下げていつもの電車に乗り込んだ。




 二日続いた偏頭痛が今朝になりようやく落ち着いてきた。しかし、先週一週間の記憶がいまだに曖昧で、どこかそわそわした気分だった。なにか気分がとても高鳴ることがあり、電車に乗るのが楽しみで仕方なかった気がするのだが――。この二日間、『小藤町』の文字を見るたびに彼は不思議な感覚に包まれていた。


 今日も電車は大きな川を渡り、電子掲示には「小藤町」の文字が点滅していた。




――すごく想い入れを感じる文字……。降りたこともない駅なのになぜだろう……。




 電車の速度が遅くなり、体に軽く重力がかかる。友郎はそれと同時に謎の緊張感も感じていた。


 扉が開くと、三人のサラリーマンが乗り込んだ。そのあとに、一人の女子高生が乗ってきた。それは愛那だった。友郎と一瞬目が合ったがすぐに逸らし、イヤホンを取り出してドアわきの壁に寄りかかった。制服を見て、その女の子が西高の生徒だとわかったが、見たことがない人だった。そう、友郎は愛那のことを忘れてしまっていた。


 愛那を見つめる視線を、友郎はなぜだか逸らすことができなかった。その透き通る肌や、艶のある髪の毛、可愛い容姿ももちろんだが、どこか思わず見入ってしまうような魅力を彼女に感じていた。


――あぁ……この子のせいか……。


 うまく言葉に言い表せられないが、自分を襲う謎の緊張感、そわそわした感情の原因が、その子であるということを確信した。根拠はなかったが、直感でわかるものがあった。




 次の駅で友人らしき女の子が乗ってきた。二人はなにやら話をしているが、友郎のことをちらちら見ているのを感じて慌てて目を伏せた。


――怪しまれた? さすがに見すぎたか……。


 窓の外に目をやると、薄い灰色の雲で覆われる冷たそうな空が見えた。なかなか気分が上がらない。なにも変わらない日々。テストへのやる気も湧かない。憂鬱とはまさにこのことかと友郎は思った。




 電車は二駅先、秀桜西高校の最寄り駅に到着した。愛那は一言交わすと、友人だけが電車を降りた。彼女だけ降りなかったことを不思議に思った友郎は少しドキッとした。彼女がやけに自分のことを気にしているように感じてならなかったからだ。


――なんだ……? なんでそんな恥ずかしそうにしている? なぜ今の駅で降りなかったんだ……?


 いずれにせよ可愛い子に見られることは、悪い気がしなかった。




 北高の最寄り駅に到着すると、やはり愛那も一緒に降りてきた。きっとなにかあるんだろうとわかっていた友郎は、ホームの階段を降りる手前で歩く速度を落としていた。


「あの……」


「あ、はい」


 友郎は白々しく振り返り返事をした。心臓の高鳴りが止まらない――。彼女はやっぱり恥ずかしそうに頬を赤らめていて、友郎を再び見上げる。


「私、秀桜西高校の一葉愛那といいます……。あの……よ、よろしければ私とデートしてくれませんか……?」


 友郎は頭に稲妻が落ちたような衝撃を感じた。信じられない展開を目の当たりにし、声が出ない。男というのは、デートに誘われた時、なんと答えるものなのか。そんなこともわからないほどに、頭が真っ白になってしまった。


「突然ですみません……」


 間が空いたことを心配した彼女が言葉を重ねるので、友郎は慌てて返事をした。


「あ……いや、え? ぼ、僕でよければ……」


 やっと言葉が出て安心をした。同時に愛那も安心をし、ホッと胸を撫で下ろしたようだった。近くでまじまじと見ると、本当に可愛いと感じた。ただ気のせいか、彼女の目が少し赤く腫れているような気がした。


「よかったぁ……。実はね、観たい映画があるんだけど……」


 早くもタメ口になった愛那は、二枚の映画のチケットを取り出した。そこには「Good fallen heaven 2」という映画のタイトルが書かれていた。


――……ん? 知らない映画だぞ……。


 なんとなくCMで予告を観たことがある気がするが、正直内容なんてなんでもよかった。こんな可愛い子が自分のために映画のチケットを用意して、恥じらいながらも勇気を持って声をかけてくれたのだ。そもそも前作も観たことのない映画だったが全く気にもならなかった。


「あ、これ気になってたやつ! めっちゃ嬉しい!」


 友郎は嘘をつき、大袈裟にリアクションをした。


「ほんと? 嬉しい!」


 愛那は少し笑って、嬉しそうな表情を浮かべる。


「友郎くんは土曜日と日曜日、どっちだと都合がいい?」

「そしたら、土曜日がいいかな」


 正直どっちも空いていたが、暇な男と思われたくなかったので、『日曜日は予定がある感』を出して答えてみた。本当は、なるべく早くがいいと思ってそう答えた。


丘止々岐おかととき駅に、十二時半に待ち合わせでいいかな? よかったらお昼ご飯とかも――」


「十二時半ね! そうだね、お昼も一緒に食べよう!」


 丘止々岐駅といえば学校とは逆方向の電車になる。それなら友郎の住む香澄町駅から一緒に行けるはずだけど、と言いかけたが飲み込んだ。


「それじゃあ――」


 愛那が友郎を見上げる。


「うん、また……――明日?」


「そうだね! 明日だね!」


 そう言って嬉しそうな表情を見せた。友郎は思わずにやけてしまう。




 二人は別れを告げ、彼女が電車に乗るのを見送り、友郎は学校へと向かった。いまだに信じられない出来事に感情が追いつかず、彼の心臓は高鳴り続けていた。


――嬉しい、嬉しい、嬉しい……。こんなことがあるなんて……。


 こんなに晴れ晴れとした気持ちになったのはいつぶりだろうか。偏頭痛もそわそわした気分も、来月迎えるテストに憂鬱だったこともすっかり忘れ、友郎の心は幸福感で満たされていた。


 唯一、連絡先を聞かれなかったことが引っかかっていたが、約束を決して忘れまいと心に留め、軽い足取りで校門をくぐる。


 気がつけば、雲間から光が差し込んでいた。






 教室に入り、早速憂樹に今朝の報告をする。憂樹はバスケ部の朝練後で、暑そうにワイシャツをパタパタさせていた。


「――ん? 先週話してた、電車で見かけた子のこと?」


 と、憂樹はぽかんとした顔で尋ねる。


「先週話した子? 何の話――?」


 友郎には訳がわからなかった。誰かの話と間違えているのだろうか。憂樹の周りには恋愛相談を持ちかける男子が多いため、話がごっちゃになり勘違いをされることがしばしばある。今回もその類だと、友郎は呆れてしまった。


「え、じゃあその子の名前は?」


 憂樹は怪訝そうな表情で確認をする。


「――言わないよ。西高の生徒だし、言ったってわからないだろ」

「知ってる子かもしれないだろ。なんで言わないんだよ」

「なんとなくだよ」


 そう言って笑って誤魔化した。




 今までだってそうだった。友郎は憂樹に恋愛の話をして後悔したことが何度もある。好きな子を周りにバラされたことはもちろんのこと、気になっている子の話をすれば、「俺はその子に告白されたことがある」だの、可愛いと思う子がいると報告すれば、「よく二人で遊んだりしている子だ」、だの。


 憂樹とは中学時代の塾が一緒だった仲で、親友のように親しくしていたけれど、こういった部分では少し信頼がおけない存在だった。あんまり覚えていないけれど、彼女がいながらも、他の子を好きになっていたこともあった気がする。


 もう話すのはやめておこうと、友郎はそこで会話を終わらせた。憂樹は少し拗ねつつ、どこか得心とくしんのいかないような顔をした。


「おまえが羨ましいよ……」


 突然の憂樹の発言に驚き目を丸くする。


「なにが?」

「言わねーよっ」


 そう言って憂樹は揶揄ってきたが、友郎は、意味深な表情を見せたことが気になった。




 それからデート当日までの二日間、友郎にとってそれはそれは幸せな時間だった。朝の電車ではまるで恋人のように話をし、趣味や好きな音楽について語り合った。一日、たった十五分の時間だったが、二人の距離を縮めるのには充分だった。気を使ってか、友人の陽子は同じ車両には乗っていなかったようだ。帰りの電車では会うことはできなかったが、毎晩、彼女に想いふけることも、友郎にとっては幸せを感じられる時間だった――。


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