第2話 「憂樹」

一葉愛那ひとつばまなだな。その女の子」


 そう言うと、憂樹ゆうきはドヤ顔で教科書を机の上に出した。


「ヒトツバ……?」


 友郎はなぜ知っているのかを彼に尋ねる。


「西高でマナって言ったら真っ先にその子が思い浮かぶな。可愛い子だよな」

「――そうなんだ。うん、めちゃ可愛かった」


――やっぱりそうなんだ。


 友郎はしっくりくると同時に、彼女の素晴らしさに改めて気付く。


 憂樹は一年生の頃、中学からの友達伝いに西高の生徒と遊んだことがあるらしい。そこに愛那はいたという。憂樹の方が先に彼女と知り合っていたことに友郎は良い気がしなかった。


「俺が西高の友達に聞いといてやるよ」

「別にいいよ」

「とか言って」

「まじでいいって」


 憂樹の得意げな顔を見て少し強がってみたものの、心のどこかでは交流のきっかけになってくれればいいと思っていた。



 憂樹はいわゆる「イケメン男子」だった。少し伸ばした前髪を、今どきのスタイリングで整えて、海外で流行っているという香水を嫌味なく身に纏う。高身長でバスケ部主将の彼は、誰にでも愛想が良く、女子からの人気はかなり高かった。唯一友郎がまともに戦えたのは勉強面だけだったが、それでも互角程度だった。




 携帯をいじる憂樹の手が止まり、眉に皺を寄せる。


「うわっ。男がいるっぽいぞこれ」

「えっ」


 早くも届いた友人からの悲報に、動揺を隠せなかったが、気にせず憂樹は続けた。


「知らない男と歩いてるの、何人かが見かけたことがあるらしい――」

「――まじかぁ……」


 と、友郎は天を仰いだ。

 ただその他校の友人いわく、彼女本人は否定しているのだという。


「だからこれ確かじゃないかもしれないもんな」

「いやぁどうなんだろ……」

「トモお前、告っちゃえよ」

「なんでだよ」


 憂樹は友郎に比べ、恋愛に関してももちろん上手うわてだった。そんな憂樹に「告っちゃえ」と言われたことが、友郎にとっては少し揶揄からかわれているように感じて素直に聞くことができなかった。


――俺もお前くらいかっこよかったら、苦労しないんだけどな……。



 その噂が本当か嘘か、自分には知る由もないが、できることなら聞きたくなかった。


――やっぱり誰かに話したりするべきじゃなかったかなぁ。自分だけのあの子を、あの時間を大切にしておきたかった……。


 そんな後悔をよそに、容赦も無く授業開始のチャイムが鳴った――。




 気づけば、放課後の時刻になっていた。愛那のことを考えていたら時間なんてあっという間だった。体育の時間に転んで膝を擦りむいたのだって、彼女のことばかり考えているからだと憂樹にバカにされた。仕方がなかった。彼女は只者じゃない。これはただの恋ではないように、友郎は感じていたのである。




 帰りの電車はいつも空いている。窓の外に目をやると、うっすらと霞む空に切なさが映って、薄い藍色とピンクが交じり合おうとしていた。好きな人がいる秋は、妙に胸がきゅっとなる。この苦しさにも似た感覚が、彼が秋を好きな理由だった。


 周りの友人はほとんどが部活動やアルバイトをしている。友郎といえば、いつも一人で帰っては、夕飯までゲームや漫画を読んで過ごす日々。そんな自分にしばしば虚無感を感じていた。


だんだんと沈み始めた夕陽と、彼女に関する知りたくなかった情報が、友郎のそれに拍車をかけるのだった。




 車内の電子掲示を見て、到着した駅が「小藤町」であることに気がついた。いつも通過するだけの隣町の駅。普段は気にもしないその三文字が友郎の目を掴んで離さない。


 彼は今日、愛那という名前を知ることができた。でも彼女についてもっと知りたい。そう思っているうちに、自然とホームに足を着けていた。

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