第3話 「チケット」
――あの子が住んでいる町はどんなところなのだろう。
こんなストーカーじみた行為を憂樹なんかに話したら、どれだけ揶揄われるかわからない。友郎は軽く辺りを見回し、知り合いがいないかを確認した。慣れない構内を早歩きし、改札を抜けた。
駅にロータリーは無く、乗降場とタクシー乗り場が設けられているだけで、こぢんまりとしていた。駅前の花屋にはやや年季が入っており、なぜやっていけているのか不思議なほどだ。
小学生二人がよくわからない言葉を叫びながら自転車を飛ばしていて、よほど普段から車通りが少ないのだろうと感じさせた。
目の前に建ち並ぶ住宅街は、今どきの、とは程遠い普通の一軒家で、これといってお洒落な雰囲気はなかった。おそらく県道へと続いているであろう一本道に、コンビニの看板がチラッと見える。お店といえばそのくらいの、いわゆる少し田舎の駅だった。
車の走る音がさざ波のように遠くで響いている。
小藤町に来たのは初めてだった。見たことのない建物や看板が多く、隣町とはいえ違った世界にすら思えた。ふと孤独を感じ、体感温度が2℃ほど下がった。
――この町に彼女は住んでいるのか。
自分の知らない世界があり、自分の知らない生活が人それぞれあるということを改めて実感し、少し不思議な感じがした。
もっとこの町を知りたいと感じた友郎は花屋を横目に住宅街へと歩いた。二、三軒の民家を通り過ぎると突き当たりに土手があり、階段を登るとそこからは大きな川と橋が見える。毎日電車で渡っている橋だと気づき、車窓から見る景色と、実際に歩く町の景色が異なることに初めての感情を覚える。
ふと見渡すと、河川敷で遊んでいた小学生達が土手を一気に駆け上がっていき、そして下っていくのが見えた。向かうに先は一層古びた駄菓子屋があった。電車からは見えない死角で、どこか異様な雰囲気を放っていたその木造の建物に、友郎は懐かしさを感じた。
焦茶色の看板には〝
子供達が出ていくのを見送りしばらく間を空けた後、そっと中を覗く。狭く薄暗い店内には、懐かしいお菓子や玩具がずらりと陳列されていて、古びたショーケースの中にはラスクや小さいドーナッツが個包装されることなく並べられていた。
友郎は吸い込まれるように足を踏み入れた。
店の中は静かで、ショーケースの機械音がブーンと静かに鳴り、部屋の奥からテレビの音が小さく聞こえていた。中央には花柄の
「いらっしゃい」
エプロンを付けた白髪の老婆が現れた。
「……こんにちは」と、友郎は小さく会釈をした。
ふと勢いで寄ってはみたものの、特に買うものを決めていなかったため、少し慌てて陳列された駄菓子を見渡した。小さい頃は、大人買いに憧れたものだったが、いざ歳を増すと駄菓子に対してあの頃ほどの興味は無くなっていた。
それでも何か一つでも買わないとバツが悪いと思い、手前にあったソーダキャンディに手を伸ばした時だった。
「アンタ今朝……、席を譲ってくれた子だね?」
友郎は驚いて、今一度老婆の顔を見た。
そこにいたのは、確かに今朝自分が席を譲った老婆だった。
「あ、あの時の……」
老婆はゆっくりと頷きにこりと笑った。
「アンタは本当に優しい子なんだね。安心したよ」
そう言うと、レジ横のパイプ椅子に深く腰をかけ、友郎の目を改めて見つめた。
『安心した』という言葉に少しの違和感と、不純な動機で席を譲ったという後ろめたさを感じていたが、
「いえ、ありがとうございます」
とだけ、なんとなく答えた。
相変わらず店内には静かな空気が流れていたが、再び老婆が口を開いた。
「今――好きな子はいるかい?」
「えっ――」
友郎は思わず声を漏らした。電車で席を譲った理由をまるで知っているかのような、あるいはこの町に降りた理由すらも、見透かされているような気がした。
「気になっている人なら……」
と、思わず口をついてしまった。
誰かに話したりするべきじゃなかったと、今朝後悔したばかりだったが、この老婆を前にすると、不思議と正直な気持ちが出てしまっていた。
「それは叶いそうな恋かい?」
「――あ、いえ……、それはなさそうですね」
と、友郎は即答して、苦笑した。
その言葉を聞いた老婆はなんだか嬉しそうな表情を浮かべ、おもむろに立ち上がると、一度暖簾の奥へと消えていった。
――なんだ…? 今の質問、どういう意図があったんだ……?
再び友郎のもとへと戻ってきた老婆の手には、小さな木箱とお札のような紙が一枚あった。レジ横の古い机の上に木箱を置き、お札のような紙を友郎に見せた。
「これはな……古くからこの店に伝わる〝
「オウセ……?」
「オウセジュショ――おまじないみたいなものじゃよ」
そう言ってにっこりと笑った。
友郎は聞き慣れない言葉と、〝呪具〟という響きに少し怖さを感じた。老婆は続けた。
「この紙に、好きな子の名前を書く。すると書いた人はその好きな子と必ずデートをすることができるという券、チケットじゃよ」
友郎は思わず吹き出してしまった。何か恐ろしいことを言い出すかと思いきや、恋占いの類のものだったのか。小学生の頃、自分もよくやったものだ。昔も今もやることは変わらないんだなぁと思った。
「デート……ですか」
ちょっと面倒なお婆さんに捕まってしまったと、一瞬店の外へ目をやった。夕陽が沈みかけていて、店内を照らしていた橙色が暗みを帯びていく。
「ただ注意が必要じゃ」
老婆が話を続けたことに若干戸惑いつつも話を聞いた。
「二人で出掛け、その日一日を共に過ごすが……、次の日には綺麗さっぱり記憶は無くなっている」
「忘れちゃうんですか……?」
思わず尋ねる。
「そうじゃ。二人で会っていたことだけでなく、相手のことさえ忘れてしまう。もちろんこのチケットのこともじゃ」
老婆の目は真っ直ぐと友郎を見つめていた。こんな突拍子も無い話が、彼にはまるで本当のことのように思えた。それほどに、老婆の真剣さと駄菓子屋の異様な雰囲気に友郎は飲みこまれていた。
聞くと、このチケットには使用時の流れと掟が、どうやら昔の言葉で記されているという。
――その一:デートしたい相手の名前をフルネームで書く
その二:自分からデートの誘いをする
その三:一日だけデートをすることができる
その四:その日の終わり(0時)に二人の記憶はなくなる
なお、デートの誘いから当日まで記憶は継続する。周囲の人物の、二人に関する記憶は消えない――。
といったものだった。
そして『掟』と書かれた欄にはこう記されている。
『一:決して二人の写真や記録を録ってはならない。二:決して他言してはならない』
この二点だけだった。
ただの恋占いの類ではなさそうだ――。
そう感じ始めた友郎はつい質問を重ねる。
「掟を破るとどうなるんですか?」
すると老婆は少し息を吸い、間を置いて口を開いた。
「命の保証はない――」
急に恐ろしい言葉を聞いたため友郎は驚いたが、信じ込んでいると思われるのも少し恥ずかしいと思い、
「そうなんですね」
と、咄嗟に軽く返した。
「試してみるかい?」
そう言った老婆の目は、なんだか優しい目をしていた。
紙には『二百圓』と書かれていた。大した値段ではないことと、なんとなく断れる空気でもなかったため、友郎は半ばやけくそに筆を取った。
――とっとと書いてしまおう……。
もちろん、紙には「一葉愛那」と書いた。
その時、店の戸が音を立てた。思わず振り向いたがそこには誰もいなかった。
書いているところは老婆に見られていなかったが、11月とはいえ彼の背中はアブラ汗で湿っていた。ただでさえ、高校生が駄菓子屋にいるところを誰かに見られたくないのに、『好きな人とデートができる券』に名前を書いているところなんて死んでも見られたくない。そんな思いが彼の筆を急かした。
書き終えたら木箱の細い口に入れろと言う。
小さな鍵がかかっており、細い口からは中を見ることができないが、入れた紙が中で他の紙と擦れる音が小さく聞こえた。既に誰かのチケットが入っている様子だ。友郎は財布から二百円を取り出しながら尋ねた。
「ところでどうして僕にこのチケットを?」
老婆はお金を受け取り答えた。
「悪用したら恐ろしいからね。アンタみたいな優しい子に使って欲しいのさ。楽しんでおいで」そう言うと微笑んだ。
友郎はなぜ自分が優しいと思われているのかわからなかった。席を譲ったから、であればなおさら罪悪感が湧いてくる。
複雑な気持ちと、恥ずかしさ、そして少しの期待感を胸に老婆へ感謝を告げ駄菓子屋を出た。いつの間にか空は暮れていて、河川敷の小学生達もいなくなっていた。振り向くと、駄菓子屋の明かりが消えていた。まるで今の時間が嘘だったかのように思えて友郎は身震いをした。冷たい風が鼻の奥をツンと刺激する。
知らない町にいることが急に怖くなり、駅までの道を走った――。
昨夜はなかなか寝付けなかった。誰かに話せば腹を抱えて笑われてしまうような話を、友郎は信じてやまなかった。それほどに、あの空間は異様な空気を漂わせていたのだ。
そしてなによりも愛那とデートがしてみたかった。電車で顔を合わせる程度の自分が、高嶺の花である彼女とデートをすることは不可能だと感じていたからだ。
――こんなチャンスはもう二度と来ないだろう。そして彼女のことを忘れてしまえばこれから悩むこともない。デートで失敗したって気にしなくていい。
完全にチケットの力を信じ込んだ友郎は、緊張の面持ちで家を出た。今まで話をしたこともない女の子にデートのお誘いをするのだ。経験の少ない彼にとってこれほどに緊張することはないだろう。彼女を誘う言葉を考えているうちにあまりの緊張で吐き気さえ覚えるほどだった。
見上げた空は、吸い込まれてしまいそうなほど高かった。
気がつくと、いつもとは違う隣の乗車口へと並んでしまっていた。というより、怖気付いていたのだ。
――デートに誘うのは別に今日じゃなくてもいいだろう……。
と言い聞かせつつも、そんな自分を情けなく思った。
電車が動き出すと、緊張感がより増していく。心臓を、鈍器でリズム良く叩かれているようだ。今日に限って電車の速度が速いように感じる。あっという間に小藤町駅ホームに電車は入っていく。
扉が開き、三、四人が乗り込んだ後、彼女が乗ってきた――。
昨日と変わらない場所でイヤホンを取り出す愛那を、昨日とは違う場所で友郎は見つめていた。次の駅で彼女の友人が乗ってきてしまう――。チャンスは一駅分しかなかった。
だが、朝特有の静けさがある車内、座席の間を歩いて彼女のもとへ向かえるほどの勇気は友郎にはなかった。
そうこうしているうちに、昨日と同様に次の駅で彼女の友人が乗り込み、二人は二駅先で電車を降りていった。
どうにかして車外で二人きりの時間があれば、話しかけることさえできれば、と頭の中で繰り返し、友郎は次の日もまた、愛那に近づくことさえできなかった――。
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