ある名医

 エヌ氏の家は、代々、外科医の家柄で、彼自身も医学生として、その道を目指していた。

 しかしながら、生来、エヌ氏は手先が不器用で、彼に外科医が務まるようには思えなかった。どうにかなれたとしても、死体を量産するのが目に見えていた。


 その日も授業で大失態を犯したエヌ氏は、思い余って、生まれてこの方、信じて来なかった神に祈りを捧げた。

「神さま、お願いです。どうか、ぼくに神の手と呼ばれるような、手先の器用さを授けてください」

 すると、奇跡というものは、起きるときには起こるもので、光り輝く神の使いが、エヌ氏の前へ現れた。


 無表情の神の使いは、次のように、エヌ氏へ告げた。

「あなたの心からの祈りは神に伝わりました。その願い、かなえて差し上げましょう」

 相手の言葉を聞き、エヌ氏は満面の笑みを浮かべた。

「本当ですか。ありがとうございます。このご恩は一生忘れません。私にできることがあれば、何でもおっしゃってください」

 エヌ氏の謝辞に対して、神の使いは無表情のまま、「その言葉、忘れないように」とだけ言うと、姿を消した。


 二十年後、エヌ氏は世界的に名の知られた外科医になっていた。神の力は本当だったのである。

 しかし、ときおり、エヌ氏は複雑な心境に陥った。


 たとえば、残虐な政治を行っている独裁者の手術を依頼されたとき、それをエヌ氏が断ろうと考えていると、神の使いが現れて、彼をたしなめた。

「その男は必ず助けるように」

「しかし、彼のために、罪のない国民が何人も処刑されているそうですが?」

「独裁者である彼がいなくなれば、その国で内乱が生じ、もっと多くの者が亡くなるでしょう」


 また、あるときは、人気絶頂で難病にかかった、若手女優の手術の直前に、神の使いがエヌ氏の前に姿を見せた。

「その女は助けないように」

「なぜですか。たしかに難しい手術ですが、私が全力を尽くせば……」

「彼女が死ねば、それは大きな話題となり、多くの者が命の大切を思い出すことでしょう」


 というような、後味のわるい依頼を、神の使いにかされて行うたびに、自分は神の手先であると同時に、悪魔の手先でもあるのではないかと、エヌ氏は思い悩んでしまうのであった。

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