ラヴァーズ

 『ラヴァーズ』の使い方は簡単だ。

 街を歩いている際、異性とすれ違うと、スマートフォンが教えてくれる。

 同じく立ち止まり、スマホを眺めていた相手と目が合えば、それが恋のはじまりであり、それは高い確率で結婚へと結びつく。

 『ラヴァーズ』のマッチングに間違いはないのだ……。



 『ラヴァーズ』は、よくあるマッチングアプリのひとつに過ぎなかったが、元官僚で、政財界に知己の多い相野弓彦が社長に就任すると、状況が変わった。


 機能を一新した『ラヴァーズ』は、アプリケーションをダウンロードした者に個人情報を入力させるだけではなく、彼や彼女のスマホから情報を入手した。

 よく見るサイトや使うアプリ、SNSでの発言、撮影した写真、スマホを介して購入した商品やサービスなどなど。

 これらを利用して、『ラヴァーズ』は、本人も気がついていない、ほんとうの好みのタイプを導き出した。

 それに基づき、マッチングが行われたので、『ラヴァーズ』を使ったユーザーは、他のアプリに比べて、高い確率で恋人を得ることに成功した。

 会ってから、「やっぱりちがう」ということが、『ラヴァーズ』ではきわめて少なかった。


 自分の思い描く理想とちがう恋人候補を提示された場合、最初は、ユーザーに戸惑いが見られたが、『ラヴァーズ』がマッチングアプリで圧倒的なシェアを得るようになると、「ラヴァーズが薦めているのだから」と受け入れる者が多くなった。


 『ラヴァーズ』に個人情報を入力すればするほど、マッチングの精度は増したので、いつの頃からか、人々は競い合って、自らの情報を『ラヴァーズ』に与えた。

 行政や会社に電子申請すれば、その保有する個人情報が、『ラヴァーズ』に流れ込んだ。

 家族構成、逮捕歴の有無、学歴、職歴、年収、会社での役職などなど。

 行政や会社が経歴の正しさを保障してくれることにより、ユーザーたちは安心して、『ラヴァーズ』が示す、恋人候補の情報を信じることができた。


 もちろん、『ラヴァーズ』に個人情報を与えることを嫌う者や、『ラヴァーズ』が個人情報を集めることに危惧を抱く者はいた。

 しかし、『ラヴァーズ』を通じて恋人を得ることが一般化してしまうと、社会において彼らに居場所はなくなってしまった。

 多くの者は、『ラヴァーズ』が身元を保証してくれない異性と付き合うことなど、考えもしなくなっていた。


 『ラヴァーズ』はまたたく間に、単なる恋人探しのアプリから脱却した。

 まず、恋人のいないユーザーに様々なアドバイスをおくるようになった。

「あなたの求める異性を得るには、もっと体を鍛えると、その可能性が高まります。あなたにあったジムはこちらです……」

「あなたの求める異性は、以下のような髪形の方を好む傾向があります。髪形を変えてみてはいかがでしょうか。あなたにあった美容室はこちらです。なお、その美容室には、あなた好みの美容師が働いていますので、声をかけてみてはいかがでしょう……」


 『ラヴァーズ』が生活に定着してしまうと、もはや、その声に逆らう者はまれであった。ユーザーたちは、『ラヴァーズ』の指示する場所に行き、指示するように金を使った。

 言うまでもなく、莫大な広告料が『ラヴァーズ』を運営する会社に入った。


 マッチングの結果、恋人になってからも、『ラヴァーズ』はサポートを怠らなかった。

 あそこに行ったらどうでしょうか、ここに行ったらどうでしょうかと、デートのプランを恋人たちに示す。

 ふたりの趣味嗜好から導き出されたプランなのだから、不満の出る余地は少なかった。


 手を握ってみてはいかがでしょうか?

 キスをしても相手が嫌がらない可能性は98.7パーセントです。

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 なにもかも『ラヴァーズ』がおぜん立てしてくれるデートは、大きなトラブルがほとんどなく、ただただ楽しいものであった。

 もはや、『ラヴァーズ』に頼らず、デートをする者たちなどはごくまれであったので、多くの者には、『ラヴァーズ』が登場する前のデートの様子は、想像もつかなかった。

 「トラブルや別れも、恋の妙味だよ」と老人がつぶやいても、若い者たちはだれも相手にしなかった。


 デートを何度か重ねさせ、その結果を検証して問題がないと判断すれば、『ラヴァーズ』は恋人たちに結婚を促した。もちろん、ふたりの生殖能力や収入、家族や友人関係などを考慮に入れたうえで。

「そろそろ、プロポーズをされてはいかがでしょうか。成功する確率は99.7パーセントです。指輪のサイズのデータは入手しております。おすすめの宝石店は……」

 結婚式や新婚旅行の場所や日にちも、『ラヴァーズ』に任しておけば問題なかった。


 『ラヴァーズ』が社会に定着すると、もはや、機械の言うことに逆らう者は皆無に近かった。

 『ラヴァーズ』に任せておけばいい。その指示に違和感をおぼえることはあっても、だれしもが、気のせいだろうと思い込むようになった。

 しかし、『ラヴァーズ』はいっさい、恋人たちに命令をすることはなかった。あくまでも、助言をするアプリでありつづけた。実際はともかく。


 『ラヴァーズ』と恋人たちの関係は、結婚後もつづいた。

 誕生日や結婚記念日が近づけば、何をすればいいのか教えてくれる。

 そんなことはまれであったが、けんかをすれば、仲直りの方法を示してくれた。

 子供をつくるタイミング、子供の育て方、どの学校に入れるか、反抗期になればどうすればいいのか……。

 ありとあらゆることを、『ラヴァーズ』は示してくれた。



 『ラヴァーズ』を社会に定着させた相野弓彦は、社長を辞して、国会に進出していた。

 「相野弓彦に投票されてはどうでしょうか」と、『ラヴァーズ』にささやかせる必要もなく、易々と当選した。

 もはや単なるマッチングアプリの域を完全に脱し、インフラの一部と化していた『ラヴァーズ』を、さらに社会へ浸透させる。そのための法整備を徹底するために、相野は政治家になり、次の首相候補にまでなっていた。


 ある休日の午後、相野は親しい者たちだけを集めて、パーティーを開いていた。

 網野のとなりでは、『ラヴァーズ』が選んでくれた妻が、彼に微笑みかけていた。

 彼を取り囲んでいる友人たちも、『ラヴァーズ』により、選りすぐられた者たちだった。

 『ラヴァーズ』はその技術を転用して、恋人だけでなく、友人や仕事上のパートナー探しなど、人と人を結びつける、あらゆる方面へ浸食していた。


 そのパーティーで、人間関係によるトラブルが生じる可能性は、限りなくゼロに近かった。

 しかし、『ラヴァーズ』が提供してくれた話題で、場が盛り上がっているさなか、ふと、相野はわずかながら、むなしさをおぼえた。


 ここに本当の人間同士の関係は存在しているのだろうか。


 天敵がいないため、他の生物を食いつくしてしまい、ザリガニしかいなくなってしまった池。腐臭のひどい、見るにたえない水辺。

 そのようなイメージがちらりと、相野の脳裏をかすめた。


 いや、ちがうぞ。『ラヴァーズ』によって、社会から人間関係のミスマッチは激減し、我々の社会活動はずいぶんと円滑化した。世の中はきれいになった。

 それなのに、このときおり、私を襲う不安感は何なのだろうか。

 出会いばかりで、ほとんど別れのない社会。

 それは、真に健全な社会と言えるのか……。

 いや、気にする必要はないさ。

 たしかに、『ラヴァーズ』によって生み出された「愛」や「友情」が本物のそれだとは思えない部分もある。

 しかしだ。では、『ラヴァーズ』が広まる前、本物の愛や友情と呼ばれるものが世の中にあふれていたのかと言えば、それは、はなはなだ疑問じゃないか。


 いつもの自問自答を終え、我に返った相野は、スマホの画面を眺めて、思わず苦笑した。

「あなたの沈黙に、周りの方々が不安を抱きはじめている可能性は95.2パーセントです。すみやかに、会話へ戻られることをおすすめします。おすすめのジョークは……」

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