会社の帰りに

 サラリーマンであるエヌ氏は会社の帰りに、本屋へ寄ることを日課としていたが、ここしばらくは行っていなかった。

 行けば、恐ろしい目に会うのがわかりきっていたからだ。


 しかし、その日の帰宅時は、急な残業を押しつけられて、疲れていたせいであろう、つい、無意識に車を本屋へ向けていた。長い間の習慣とは恐ろしいものである。エヌ氏が気づいた時には、車は本屋に近づいていた。


 その本屋はどこにでもある普通のものであったが、それを一瞥いちべつしたエヌ氏の額からは脂汗がどっと出た。

 エヌ氏の目には、その本屋はきわめて禍々しいものに見えていた。たとえば、出入り口の自動ドアは鋭い歯を持つ巨大な化け物の口、もしくは地獄への入り口に。たえば、壁の配色はエヌ氏の大嫌いな爬虫類の鱗に。

 エヌ氏は自分のしでかしたことに気がつくと、急いで道を引き返して、自宅へ戻った。


 青ざめた顔で自宅に戻ったエヌ氏を出迎えた夫人が、「あら、まあ、どうなさったの」と声をかけてきた。

 エヌ氏は返事もそこそこに、とりあえず、汗でびしょ濡れの服をぬぎ、ふろに入った。


 ふろから出たエヌ氏は、本で足場のない書斎に入ると、タオルで頭をふき終えてから、机の上に置かれていた瓶を手に取った。そして、中の錠剤を見つめながら、次のように言った。

「本屋に入る気をなくす薬とは便利なものが出たものだ。読んでいない本を片付けるまでは、毎日、飲み続けよう」

 つんどくで家を本だらけにしていたエヌ氏は、ある日、夫人から離婚届に判を押すか、この薬を飲むかの選択を迫られ、しぶしぶ、薬を飲んでいたのであった。


 エヌ氏が瓶を眺めているとノックの音がして、夫人が中に入って来た。

「あなた。食事の用意ができていますよ。あと、今日から、この薬も飲んでください」

と、別の薬瓶を渡して来た。

「いったい、何だい、これは?」

「インターネットで本を買おうとするのを防ぐ薬ですわ」

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