第17話 凍てつく心を溶かす者は②
ある晩秋の日、城下町の視察を終えたフィデルは王城南側の跳ね橋を渡り、門兵たちのもとに向かった。
「これはこれは、伯爵閣下!」
「お疲れ様です、伯爵様!」
「ご苦労。通してくれ」
「はっ!」
フィデルは顔パス状態なので、馬上の彼が声をかけるだけで門兵たちはすぐに城の門を上下させるレバーを操作し始めた。
「おまえたちも、特に問題はなかったか」
フィデルは伯爵だが騎士団にも所属しているので部下にあたる門兵たちの様子を問うと、彼らはうなずいた。
「はい、問題ありません……が、今日も三人ほど、閣下の追っかけらしき女性が来ました」
「……追い返したのだろうな?」
フィデルが険しい眼差しで問うと、門兵たちは「もちろんです!」と即答する。
「一人は手製の菓子を、一人は編み物製品を持ってきましたが、全てお断りしています」
「……ふん。得体の知れない者の手作りなど、受け取れるはずもない」
「そうでしょうとも!」
「……あ、でも最後の一人はなんだかちょっと様子が違いましたね」
レバーを操作しながら門兵が言うので、フィデルは眉を上げた。
「ほう、正攻法では通じぬからと
「いや、というよりも……変なことを聞いてきたのです」
「そうそう。フィデル様には友だちがいるのかとか」
「は?」
思わず、地の底から出るような声を上げてしまった。
正直に言おう。フィデルに友だちなど、いない。
門兵たちは怒気を放つフィデルにビビったようで、ぎょっと震えている。
「い、いえ、その女がそう言ったのです!」
「後は、ええと……食事を取るかどうかとか、毎日一人で起きているかとか」
「なんだか追っかけというより、ママみたいな感じでしたねぇ」
「ママ……ああ、分かるかも」
門兵たちはそう言って、門が完全に上がったため「さあ、どうぞ!」と道を空けた。だがせっかく門が上がっても、なぜか通る気にはなれなかった。
(友だちのことや、食事のことや、一人で起きているかについて聞く女……だと……?)
それは確かに門兵たちの言うように、もはやママである。だが、フィデルにママはいない。
母親のような存在の女性は、いたが――
(……まさか)
「その女性は、どのような見た目だった?」
フィデルが急いて問うと、門兵たちは戸惑ったように顔を見合わせた。
「えっ? ……えー、どうだっけ?」
「茶色い髪に、青色の目の女性だったかな……」
「年齢は!?」
「僕と同じくらいに見えました」
門兵の言葉に、にわかに湧いていた感情がしゅんっと落ち込んでしまう。
門兵は、フィデルと同じくらいの年頃だ。茶色に青色の目といえば叔母のレイチェルと同じだが、彼女がもし生きていたとしてももう四十歳近い。どんなに若く見繕っても、二十代には見えないだろう。
(……もし、叔母上に扮した詐欺師だとすると許せんな)
フィデルが亡き叔母のことをずっと想っているという情報を掴んだ者による、偽物作戦かもしれない。もしそうであれば、フィデルはそいつらを許せない。
絵の中で永遠に微笑む叔母を穢した者など、生かす必要もない。
「その女は、他に何か言っていなかったか」
フィデルが殺気漂う雰囲気で問うたからか、門兵たちはいよいよ青い顔になりながら考え込む。
「ええと、ええと……あっ、そうだ! 何かを食べられるようになったか、って言っていました!」
「何か?」
「あれですよ、ええと……そう、セロリ!」
「……なん、だと?」
手綱を、取り落とすかと思った。
子どもの頃のフィデルがセロリが苦手だったことを知る者なんて、ごくわずかだ。
好き嫌いがあるなんて格好悪いから、祖父にもメイドたちにもばれないようにしていた。だが……一人だけ。
いつも隣で一緒に食事をしていた叔母だけは、知っていた。
『分かった分かった。それじゃあこれは、私とフィデルだけの秘密ね』
どうしてもセロリが食べられなくて皿の隅っこに残していると、隣に座った叔母がひょいっとそれをフォークで刺し、代わりに食べてくれた。
今は代わりにこっそり食べてあげるから、大人になったら食べられるようになってね、と言って。
「っ……叔母上!」
「……えっ? 閣下!?」
フィデルは馬首を返し、城下町に向かって駆け出した。背後で門兵たちがぽかんとしているようだが、もう意識のうちにも入らない。
茶色の髪に、青色の目。
二十代くらいの見た目。
まるで母親のような言葉の数々に、とどめには「彼女」しか知らないはずの情報。
(叔母上は十五年前に、魔法具に吸い込まれて……いや、そうだ)
馬を走らせながら、フィデルは必死に考える。
(お祖父様が拷問したサントスは、あの魔道具は予想外の効果を発揮したと言っていたそうだ。僕たちはてっきり、叔母上を吸い込んで殺したのだと思っていたが……魔法具の効果で、あのときのまま変わらず叔母上が生きていることだってあり得る!)
ただの失踪ではなくて魔法具絡みのことなのだから、何が起きても不思議ではない。
それこそ……十五年前と変わらない姿のままレイチェルが生存していることだって。
(叔母上、どこだ……! レイチェル……!)
人混みの中、フィデルは必死に叔母の姿を探す。
『フィデル』
叔母の愛情に満ちた声が、耳の奥に蘇る。
あんなにひどい言葉を吐いたのに、叔母はフィデルのことをかばい、最後まで笑顔でいてくれた。こうしてフィデルが祖父の跡を継げたのは、叔母のおかげなのだ。
会いたい、会いたい。
もう一度、会いたい。
たくさん話をして、十五年前のことを謝って、礼を言って、それから――
「……フィデル様!?」
男の声がしたので見やると、伯爵城勤めの私兵の姿があった。そばには、馬車がある。
もしかしてそこにレイチェルがいるのかと一瞬期待したが、私兵は焦った様子で人混みの向こうを指さしていた。
「フィデル様! 先ほどレイチェル様が、こそ泥を追ってあちらの方へ……!」
「僕が行く!」
人混みに押されて動けない様子の護衛にそう言い、フィデルは「どけろ!」と往来の人々に呼びかけて馬を走らせた。
フィデルの気迫に押されたらしい人々が慌てて道を空ける中を走り、大通りから一本外れた路地の方で何やら言い争う声が聞こえてきたため、急ぎ馬を下りてそちらに向かう。
――薄暗がりの中、もみ合う男と女の姿がある。女は足を掴まれているようで、うつ伏せに倒れている。
……茶色の髪が、揺れている。
「……叔母上!?」
フィデルに呼ばれて、女が顔を上げた。青色の目が、フィデルを貫く。
……もう、離さない。
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