第15話 元天使との再会

 城下町には、人も店もあふれかえっている。

 これだけ多くの店があると、毎日どこで買い物をしようか迷っていまいそうだが……護衛曰く、王都で暮らす人たちは自分の行きつけの店を決めてしまうので、迷ったりしないそうだ。こんなにたくさん店があるのに行くところを絞ってしまうなんてもったいない、とレイチェルとしては驚きだった。


(もし私が王都で暮らすようになったら、毎日あちこちを歩き回ってしまいそうだわ!)


「それじゃあまずは、食べ物のお店に行きたいわ!」

「いいですね。そろそろ昼食の時間ですし、何か買いますか?」

「そうね。軽く摘まめるものでも……」

「きゃあっ!?」


 護衛と一緒に昼食について話をしながら歩いていると、目の前を歩いていた老婆が悲鳴を上げてよろめいた。

 そんな彼女の肩を押すようにしてから通り過ぎていく、少し汚い身なりの髭面の男の右手には――彼には不釣り合いなかわいらしいポシェットがあった。


「ど、泥棒よ!」

「何っ……!?」


 老婆の悲鳴を聞いて護衛が反応するが、それよりも速くレイチェルは振り返っていた。


(あの男、おばあさんからポシェットを奪ったのね……! 最低!)


「待ちなさい! このこそ泥!」


 レイチェルが叫んで走り出すと、スリは驚いたようにこちらを見てきた。まさか、無関係の若い女が追いかけてくるとは思わなかったようだ。


(足、速いわ……! でも!)


 人混みを掻き分けながら追いかけていると、スリは小道に逃げ込んだ。

 させるか、とレイチェルは踏みだし、狭い道に入って自分とスリの間に部外者がいなくなった隙を狙い、腰に下げていた護身用のナイフを鞘ごと外してそれをぶん投げた。


 ナイフはスリの背中に命中し、うぐっとうめいてよろめく。その隙に距離を詰めたレイチェルはスリの背中に蹴りを入れて押し倒し、右手に持っていたポシェットを奪い取った。


(よかった! これであのおばあさんに返せるわ)


 そうして近くに落ちていたナイフも拾って、振り返ったが――レイチェルの足が、がしっと掴まれた。


「きゃっ!?」

「この小娘がっ……!」


 さすがに鞘ごとナイフの投擲とレイチェルの蹴りごときでは一瞬の隙を作る程度だったようで、地面に這いつくばった格好の男がレイチェルの足首を掴み、にらみあげていた。


「お転婆も度を過ぎると、命取りになるって分からないようだなぁ!」

「な、なによ! こそ泥のくせに!」


 振り返って怒鳴ると、なぜか男はレイチェルの顔を見てぽかんとした。


「……レイチェル? いや、まさか……」

「えっ?」

「……なんだおまえ、案外かわいい顔をしているじゃないか」


 髭面の奥でにやりと笑い、男は手を引いてレイチェルを自分の方に引きずり寄せた。


「おまえ、俺がずっと前に好きだった女によく似てるな。……よし、決めた。おまえ、こっちに来い」

「な、何のこと!? ちょっと、やめて、離してよ!」


 ずりずり引っ張られる力に抗おうとするが、足首を掴まれるという非常に苦しい体勢なので踏ん張ることもできない。


「俺さぁ、奥さんにも逃げられて住んでいた村からも追い出されて、行く場所がないんだよ。こんなかわいそうなおじさんのこと、正義感の強いおまえなら慰めてくれるよなぁ?」

「ひいっ!? い、嫌に決まってるでしょ! 離せっ、離せーっ!」


 レイチェルが近くにあったぼろぼろのパイプにしがみつき、おばあさんのポシェットも離すまいと必死で握り込んでいると――




「……叔母上!?」




 声が、聞こえた。


 引きずられているためだんだん遠のいていく大通りの明るい日差しを遮るように人影が現れ、それはだんだんと近づいてくる。


 ……金色の光が、差し込んだ。

 白い軍服を纏うその人はレイチェルの頭上をひとっ跳びすると髭面の男の顔面にブーツの底による一撃を与え、レイチェルの足首を掴む手の力が緩んだ隙にもう一撃頬に喰らわせてから、レイチェルの腰を抱き寄せた。


「あっ……!」

「……叔母上。本当に、叔母上なのか?」


 よろめくレイチェルを抱き留めた人が、震える声で問うてくる。


 この声は。

 レイチェルが知っているものよりかなり低いが、その奥の響きがよく似ている。


 顔を上げると、美しい青色の双眸がじっとレイチェルを見下ろしていた。

 この光を、知っている。


「……フィデル?」


 かすれた声で呼ぶと、青が見開かれた。肩を掴んで少し距離を取られると、レイチェルの顔をまじまじと見つめる青年の容貌がよく見えた。


 金色の髪に、青色の目。そのかんばせは甘く美しく、かつての少年の面影を残しつつも精悍な青年になっていた。


「……本当に、叔母上……? 僕の叔母の、レイチェルなのか……?」

「そ、そうよ。フィデル、大きくなったのね」


 正直レイチェルの想像以上に美々しく成長しているのでかなり驚いたが、レイチェルの顔を見て「叔母上」と呼べる人なんて、この世に一人しかいない。


「いなくなってしまって、ごめんね。……なんとか、帰ってこられたわ」

「……」

「あの、いろいろと言うことがあるんだけど――」

「レイチェル」


 いきなり抱き寄せられたので言葉は最後まで言うことができず、フィデルの胸元に顔を埋めることになってしまう。


「生きている……あなたが、生きている……! あの頃と変わらない姿で、僕の前に、また……こうして……」

「フィデル……」

「会いたかった」


 震える声がレイチェルの胸を打ち、ぐっと苦しくなってくる。


 レイチェルにとっては一瞬の出来事でも、フィデルにとっては十五年だった。

 少年だった彼が大人の男性になるほどの長い時間、レイチェルの死は彼の心を蝕んでいたのだ。


「……私も。あなたに会えてよかった、フィデル」


 そう言ってフィデルの金色の髪を撫でると、彼はレイチェルの肩口に顔を埋めて力強く抱きしめてきたのだった。











 路地でスリを追いかけたら、美男子に成長した甥と再会することになった。

 なにを言っているのか分からないかもしれないが、事実なのだから仕方がない。


「ああ、そうだ。フィデル、このポシェットをおばあさんに」

「レイチェル」

「あの、ちゃんと返してあげないといけないの。それから、あそこで伸びている人。なんだか見覚えが」

「レイチェル」

「あ、あのね、フィデル。さっきお城に行ったけれど、門前払いされちゃって」

「レイチェル」


 だめだ、これは話にならない。

 レイチェルが何を言ってもフィデルは「レイチェル」以外口にできなくなってしまったようだ。


 そのまま彼は難なくレイチェルを抱き上げると路地を出て、ようやく駆けつけられた護衛がきょとんとしていた。


「レイチェル様? ……えっ、もしかしてフィデル様?」

「叔母上は、僕が屋敷まで連れていく。馬車があるのだろう、すぐに呼べ」

「は、はい!」


 どうやら、ちゃんと「レイチェル」以外の言葉もしゃべれたようだ。よかった。いや、よくはない。


「あ、あの、フィデル? あなた、お仕事中なんじゃ……」

「レイチェル」


 また壊れてしまった。大丈夫だろうか。


 すぐに護衛は馬車を呼んでくれたので、フィデルに抱えられたままそれに乗ったのだが……。


「ねえ、いろんな人がこっちを見ているわ。これって大丈夫なの?」

「……」

「あなたって女の人にモテるんでしょう? それなのにこんなところを見られたら、問題になるんじゃないの?」

「……」

「あの、フィデル? 本当にお仕事はいいの? 騎士団にも入っているのでしょう?」

「……」


 今度は、だんまりモードに入ってしまったようだ。

 この甥は、本当に大丈夫なのだろうか。


 フィデルがなにも言わないまま、馬車は立派な屋敷の前で停まった。レイチェルにとっては初めて見る屋敷だが、きっとこれがブランケル伯爵邸なのだろう。


(大きなお屋敷……!)


 さすがに領地にある伯爵城ほどではないが、フィデル一人で住むには有り余るほど立派だ。かつてはここで、養父のアントニオも過ごしていたのか……と思うと、しんみりしてくる。


「行こう、叔母上」

「ええ。……あ、あの、自分で歩けるわ!」


 すかさずフィデルに抱えられそうになったのでレイチェルは馬車の座席にしがみついて抱っこ拒否するが、両腕を差し伸べたフィデルは悲しそうに美貌を歪めた。


「……叔母上は、僕に抱えられるのがそんなに嫌?」

「い、嫌というか……もう足は痛くないし、歩けるもの」

「足……そうか。あの腐れ外道、叔母上の足を掴んだのか……。よし、殺すか」

「殺しちゃだめよ!?」


 まるで「よし、出かけるか」みたいなノリで物騒なことを言う甥を叱りつつ、なんだかずっと前にもこんなやりとりをしたことがあるような気がしていた。


 だがフィデルは頑として譲らないようで、最後には「僕に抱えさせてくれないのなら、あの男をめった刺しにする」なんてよく分からない脅しをしてきたので、渋々彼に抱き上げられることになった。


「あ、あのね、フィデル。重かったらすぐに下ろしてね」

「叔母上は重くない。羽根のように軽いし、ずっと抱えていたいくらいだ」

「そういうジョークはいいから」

「……叔母上、そんなにあの腐れ外道への罰を軽くしたいんだね。僕の抱っこは、それくらい嫌だったんだ」


 レイチェルを抱えて歩きながらフィデルがぶつぶつ言うので、レイチェルは苦笑して甥の頭を撫でた。


「それは違うわ。……私はね、かわいい甥っ子にむごいことをさせたくないの。確かにあのこそ泥は悪いことをしたし……その、私に気持ち悪いことを言ってきたけれど、だからといってあなたの手を血で汚したくはないのよ」

「っ……」

「ね、分かってくれるわね、フィデル?」

「……叔母上、大好きだ……」

「え? うん、ありがとう」


 うつむいたフィデルが声を震わせながら言うので、よく分からない子に育ったなぁ、と思いながらレイチェルは伯爵邸に向かっていったのだった。

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