第11話 ここはどこ?

 ――ぺいっ、とレイチェルの体が、地面に放り出された。


「あぎゃっ!?」


 尻から着地することになってしまい、レイチェルは痛みでうめく。後ろから吸い込まれたので仕方ないと言えばそうなのだが、尾てい骨を強かに打ったようで下半身がじんじんと痛んだ。


「ううっ……あれ、ここは?」


 尻をさすりながら体を起こしたレイチェルは、辺りを見回した。黒い世界に吸い込まれたときには死を覚悟したが、辺りの風景はどう見ても死後の世界のそれではない。


 ただし空はどんよりと曇っており、辺り一面には枯れ草の大地が広がっている。近くに人の気配はなく、肌寒さにレイチェルは腕をさすった。


「……ここ、どこ?」


 先ほどまでは、空はほどよく晴れていた。風もなく、遠乗りにぴったりな春の天気だったのだが、ここは妙に寒いし空も曇っている。


 ちゃんとした感覚があるのだから、死後の世界ではないはず。だとしたら――


「……私、もしかして別の場所に移動してしまった……?」


 レイチェルは慌てて、座学で習った魔法についての内容を思い出す。


 魔法使いたちが全滅した現代でもたまに見つかる魔法仕掛けの道具のことを、魔道具と呼んでいる。これらには魔法使いたちが込めた魔力が満ちており、ものによって様々な効果を発揮するという。


 ……残念ながらレイチェルは魔法の歴史の基礎の基礎までで学習を終えてしまったが、その中に「瞬間移動する」という効果の魔道具があった気がする。


(ということは私は、あの輪っかのような魔道具で別の場所に瞬間移動してしまったの……?)


 そういえば、あの男たちも妙に焦っていた。どうやら当初の目標はフィデルの暗殺だったようだが、いざ魔道具の効果が現れるとこんなはずではなかったのような感じで逃げ惑っていた。


(あいつらはフィデルを殺そうと思ってこの魔道具を使ったけれど、実際には攻撃ではなくて瞬間移動の魔法がかかっていたのかしら……?)


 辺りを見回してみても、あの巨大な輪っかの姿はない。だがよく見ると、レイチェルと一緒に吸い込まれたらしいちぎれた花や葉っぱがあちこちに散らばっている。吸い込むだけ吸い込んで、あの魔道具は消えてしまったようだ。


(……ど、どうしよう!? まずは、伯爵領に戻らないと……!)


 尻を打っただけなので、立ち上がるのも歩くのも問題なさそうだ。そして、腰には最低限の金が入った袋もあったので、ほっとした。


 風のせいで服も少し乱れているが、破れたりはしていない。帽子だけはどこにも見当たらなかったので、フィデルの近くに残っているのかもしれない。


「……帰らないと」


 幸い、金はある。この枯れ草地帯を抜けて町でも見つけられたら、そこで現在地を把握する。そうしてなんとかやりくりして伯爵領、もしくは養父のいる王都にたどり着くのだ。


(でも、もしここが外国だったら……)


 その可能性も十分にあるので、ぞっとした。

 レイチェルは、ファリノス王国の共通語以外しゃべれない。当然外国では通貨も違うので、もしここが外国ならたやすくは帰れなくなる。


(ま、まずは民家、民家を探すのよ!)


 誰かに会わなければ、話は始まらない。


 そういうことで、折れそうになる心にむち打ちながら歩き始めたレイチェルだったが――


(……あれ? この木、見たことが……)


 しばらく歩くと枯れ草地帯が砂利道になり、ぽつぽつと木が見られるようになった。そうして横を通ったときに見かけた木の一つに、レイチェルは既視感を覚えた。

 いきなり走り出したフィデルを追いかけているときにも、この木を見かけた気がする。


(いやでも、ただのそっくりよね。あっ、でももしかするとファリノス王国のどこかなのかも!)


 植生が似ているということは、レイチェルにとって非常に強い希望の光だ。ここが少なくとも、木がほとんど生えないというシャムレード王国などではないと分かるからだ。


(王国内のどこかだったら、十分希望があるわ!)


 そうしてさらに歩いていたレイチェルだったが、いよいよ違和感が強くなってきた。


(……この丘、伯爵領の丘陵地帯にそっくりだわ)


 ブランデル伯爵領は丘陵が多く、ローラに連れられて初めて伯爵城に行った日にも丘の上から城と城下町の姿を見たものだ。


 その丘と、ここはよく似ている……いや、似ているでは済ませられない。


「同じ……?」


 辺りを見渡して、レイチェルは呆然とつぶやく。


 似ている。あまりにも似すぎている。

 レイチェルが八年間過ごした伯爵領の大地と、そっくりだった。


(どういうこと? ここは一体……?)


 先の見えない不安に胸の奥を浸食されそうになっていたレイチェルだが、ふと何かの音が聞こえてきたため周囲に視線を配った。そうして、丘陵地帯をゆっくり進む馬車が見えたため、どきっとした。


(誰かいる!)


「あの、すみません!」


 急ぎ馬車の方に向かって呼びかけると、御者台に座っていた中年男性は親切にも馬車を停めてくれた。見たところ、商人だろう。


 彼は少しよれた乗馬服姿で走ってきたレイチェルを見て目を丸くしたが、何か事情があると察してくれたようでちょいちょいと手招きをした。


「ごきげんよう、お嬢さん。……見たところどちらかの良家の方のようだが、何かお困りですかね?」

「あ、えと、はい、困っています……その、事情があって家族とはぐれてしまって」


 魔道具のことはうまく表現できそうにないので言葉を濁すが、そこそこいい身なりの若い女性が一人で歩いていることでだいたいのことを察したようで、男性は「おいたわしいことです」と言って、背後の幌の方を向いた。


「おい、おまえ、来てくれ。若いお嬢さんがお困りだ」

「まあ、どうかしたのかい?」


 男性の呼びかけに応じて、中年女性が出てきた。おそらく、彼の妻だろう。

 彼女もまたレイチェルを見て目を丸くし、「なんてこと……」とつぶやいた。


「お嬢さん、どうかしたのかい? そんなにぼろぼろで……」

「わ、私、ファリノス王国のブランケル伯爵領に戻りたくて……ここ、どこですか?」


 レイチェルが尋ねると、夫婦は顔を見合わせてからなぜか、哀れむような目でレイチェルを見てきた。


「あなた、とても大変な目に遭ったのね。さあ、どうぞお乗りなさい」

「遠慮しなくてもいいから、ほら、そこに足をかけて」

「あの……」

「お嬢さん」


 馬車から降りてくれた女性に手を取られたレイチェルに、男性が言った。


「ここが、ブランケル伯爵領。あの丘を越えればすぐ、伯爵城がありますよ」

「……えっ?」


 耳を疑った。

 呆然とするレイチェルを見て夫婦は何か勘違いしたらしく、「とても怖い目に遭ったのね……」「もう大丈夫だ。ちゃんと、街に届けるとも」といたわしげに言ってくれた。


(……ここが、伯爵領?)


「嘘、でも、私……」

「お嬢さん、落ち着いて。さあ、これでも飲んで」


 そう言ってレイチェルを幌の中に連れてくれた女性が差し出したのは、妙な形の筒だ。


「……これは何ですか?」

「水筒だよ。……お嬢さん、使ったことがないのかい?」

「水筒……」


 水筒なら、レイチェルだって知っている。だが彼女が使ったことがあるのはどれも木製で、こんな金属でできたものなんて見たことがない。


 当然開け方も分からないのでまごついていると、女性が蓋部分を外してくれた。どうやらこれがコップ代わりにもなるようで、飲んだ水はとてもおいしかった。


「ありがとうございます。……私、こんな水筒は初めて見ました」

「本当に? これ、五年ほど前からあたしたち庶民でも手に入るようになったくらいだから、お嬢さんなら知っているものとばかり……」

「えっ、五年前に?」


 ということはレイチェルが十代後半の頃だが、こんなものはどこでも見たことがない。確か、王都では金属製の道具が開発されていると養父が教えてくれたのだが、伯爵領にはまだ出回っていなかった。


 レイチェルが金属製の水筒をじっと見ていると、中年女性が気遣わしげに声をかけてきた。


「あの。さっきは夫の前だから聞けなかったけれど……体の方は、大丈夫? まずは医者に連れていった方がいい?」

「……。……あっ、そ、そういうわけじゃないので、大丈夫です」


 最初は何のことか分からなかったが、すぐに彼女の言わんとすることが分かって頬が熱くなりつつ言った。

 この夫婦は、良家の娘であるレイチェルが誘拐され暴行を受けたショックで記憶が混濁していると思ったのかもしれない。


「そう、それならいいんだ。……もうすぐ、伯爵城のお膝元の町に着く。そこなら、お嬢さんの知り合いがいるかもしれない」

「は、はい。きっと家族はそこにいます!」


 レイチェルが急いて言うと、女性はほっとしたように微笑んだ。


「それならよかった。伯爵領にも昔はいろいろあったが、今は若い当主様のおかげで平和が保たれている。お嬢さんもきっと、無事に家族と再会できるよ」

「……え、えっと? 若い当主様?」


 金属製の水筒を女性に返したレイチェルだが、聞き間違いかと思った。

 養父のアントニオ・ロレンソはもう、五十代半ばだ。まだ元気ではあるもののさすがに「若い当主様」と呼ばれるような年ではない。


 レイチェルの問いに、女性は大きくうなずいた。


「そうだよ。襲爵されたのが、二年……いや、えっと……あんた! 今の伯爵様は何年前に襲爵したんだっけ?」

「三年前だよ!」


 御者席にいる男性が、大きな声で返事をした。


「前の伯爵様が二年前に亡くなったときに俺たちも遠目に葬儀を見ていて、そのときに新しい伯爵様を見ただろ!」

「ああ、そうだったそうだった。どえらい美男子だったわね」


 女性が納得したような顔で言うが、レイチェルは正体不明の汗だらだらで心臓も妙に早く脈打っていた。


 今の伯爵様。

 前の伯爵様が、二年前に亡くなった。

 どえらい美男子。


(待って、待って! それって、まさか……えっ、でも……?)


「あ、あの。新しい伯爵様の、名前は……?」


 レイチェルが、かすれた声で問うと。


「名前? ええと……そう、フィデル様だよ」

「見えてきたぞ、伯爵城だ!」


 夫婦が、同時に言った。

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