第12話 15年越しの帰還①
伯爵城でレイチェルを出迎えてくれたのは、高齢の女性だった。
「あ、ああ……! 本当に、レイチェル様が生きてらっしゃっただなんて……!」
「あなた、まさかローラ!?」
レイチェルが裏返った声で問うと、女性は何度もうなずいた。
「そうです! ……十五年前、レイチェル様がフィデル様をかばって魔道具に吸い込まれたと聞いたとき、私は目の前が真っ暗になりました……。私はエミリア様の忘れ形見をお守りできなかった、これでは顔向けができないと」
「ローラ……」
「いえ、話は後ですね。さあ、どうぞ中へ」
そう言ってレイチェルの手を取ったローラの手は、しわしわになっている。ぎゅっと握ると、ひんやりとした皮膚の感触が伝わってきた。
商人夫妻の厚意で、レイチェルは伯爵城に戻ることができた。だが……レイチェルが魔道具に吸い込まれてから、十五年もの年月が経っていることが判明した。
商人夫妻に事情は言えないので、城の者たちはレイチェルについて彼らには「伯爵の知人の女性」と説明し、保護してくれたお礼として城の客室に案内していた。レイチェルとしても、彼らに拾ってもらえなかったらここに来るまでもっと時間がかかっていただろうから、丁重にもてなすようにお願いしておいた。
そしてレイチェルはローラに連れられて、浴室に向かった。その途中で見かける使用人のほとんどはレイチェルが知らない者で、まれに「まさか、レイチェル様!?」と中高年の使用人たちに驚いた顔で問われた。
「……事故当時、私は村におりましたので諸々のことは他の者たちから聞きました」
浴室でレイチェルの髪を洗いながら、ローラは言う。
「十五年前のあの日、レイチェル様とフィデル様は遠乗りに出かけられた際、魔道具を持った不審者たちに囲まれたそうですね。そしてフィデル様が魔道具に吸い込まれそうになったところを、レイチェル様が身代わりになったと」
「ええ。私も死を覚悟したけれど……そのまま魔道具を通過していたの」
バスタブの縁に身を預けながら、レイチェルは言う。
魔道具によって吸い込まれたレイチェルは死ぬのではなくて、十五年の年月を通過して同じ場所に着地していた。レイチェルだけでなく、同時に吸い込まれた草や花も辺りに散らばっていたから、間違いない。
だがフィデルたちからすると、魔道具に吸い込まれたレイチェルがそのまま姿を消してしまった。魔道具はレイチェルを吸い込むと力を失ったようで、元の大きさに縮んでから粉々に砕けてしまったという。
「幸い、その後すぐに護衛たちも到着しましたし、不審者たちも驚き戸惑っていたようですぐに捕まりました。そして王都から急ぎ戻ってこられた前伯爵――アントニオ様主導のもとで捜索隊が組まれましたが、犯人はすぐに分かりました」
フィデルの命を狙ったのは、アントニオの弟のサントスだった。
アントニオも前々から危惧していたとおり、サントスはブランケル伯爵位を狙っていた。そして幼いフィデルを狙ったのだと、わりとあっさり判明したそうだ。
レイチェルのことも必死で捜索されたが、見つからなかった。アントニオのもとに帰ってきたのは、吸い込まれずに残っていた帽子だけだった。
伯爵家の正統な後継者である孫の命を狙い、家系図上は娘にあたるレイチェルを殺したということで、アントニオは弟といえど容赦はしなかった。国の司法にかけられて、サントスはその年のうちに処刑された。
レイチェルが行方不明になったということでアントニオの落ち込みようも激しかったが、それ以上に危ない状況になったのがフィデルだった。
目の前で叔母を奪われたことはフィデルにとってトラウマになったようで、それから二年ほどは幼児返りをして夜中に泣きわめいたりおねしょをしたり発語が怪しくなったりと、フィデルのケアも大変だったという。
「……その頃には私も、城に戻れるようになりました。エミリア様ご夫妻のお骨をお持ちして伯爵城に戻ったのが、十三年前で――フィデル様は十二歳になられていましたが、その頃にはなんとか精神的にも落ち着かれていました」
だが、フィデルは別人のように変わってしまった。
ほとんど笑わなくなり、冷めたような目つきをすることが多くなった。勉強や鍛錬は続けたので学力も体力もどんどん身についたし身長もますます伸びたが、喜怒哀楽の感情を過去に置いていってしまったかのように物静かな子どもになっていたという。
フィデルは十六歳の成人を迎えると、王国騎士団に入った。亡き叔母との思い出が多い城にいるより、遠く離れた場所にいる方が彼も精神的に落ち着くだろうし、あちらにはアントニオもいるのでよいだという、ということになった。
そしてフィデルが二十二歳の頃から、アントニオが体調を崩すようになった。当時彼はもう七十歳近く、いつ寿命を迎えてもおかしくない年齢だった。
そういうことで、フィデルは二十三歳のときに祖父から伯爵位を継いだ。それに安堵したのか、アントニオはその年の冬に静かに息を引き取った。
(……もう、お義父様には会えないのね)
バスタブから上がったレイチェルは、ローラに髪を拭かれながら目を伏せる。
養父が既に亡いことは、商人夫妻の会話を聞いたときから分かっていた。だがローラの口から改めて説明されて、「本当に、いないんだ」とじわじわと実感が押し寄せてきた。
レイチェルの両親はとうの昔に亡く、伯父でもある養父も亡くなった。
せめて、あと三年でも早くレイチェルが城に戻ることができていれば、アントニオに再会できたのに。自分は死んでいない、大丈夫だ、と声をかけられたのに。
「……フィデルは、大丈夫なの?」
悲しい気持ちを押し殺して問うと、レイチェルにバスローブを着せたローラが一瞬口ごもったのが分かった。
「フィデル様は……爵位を継がれてからは、こちらには帰ってこられていません。あちらの屋敷の者たちから、元気にされているということは伺っています。お若くして爵位を継がれたこともあり、天涯孤独の身であることもあり、騎士団でも頼りにされているということもあり、ご多忙のようです」
「……そうなのね」
「ですが、レイチェル様がご存命だということを知られたらきっと、お喜びになるでしょう。……空の棺を埋葬するのを最後まで反対していたのは、フィデル様でした」
レイチェルの葬儀が行われたのは、十年前のことらしい。
ファリノス王国では、五年間行方不明だった者は死亡扱いとなる。フィデルはある程度大きくなってからは自らもレイチェルを探すようになり――あの事件から五年が経つ直前まで、現場の草原に毎日馬を駆って向かっていたそうだ。
(つまり、私は十年前に死亡したことになっている。レイチェル・ロレンソは、この世に存在しない亡霊なのね……)
「……私、いてもいいのかしら」
カウチに腰掛けたレイチェルがつぶやくと、ローラがきっとこちらを見てきた。
「当然でございます! ……確かに十年前に
「ローラ……」
「そうです! お亡くなりになったのはブランケル伯爵令嬢のレイチェル様なのですから、いっそこれからは元々のお名前で生きていかれたらいかがですか?」
「レイチェル・マホーニーの名前を復活させるということ?」
マホーニー姓は、養父に引き取られるまでの間名乗っていたものだ。父親の姓なのだが、あの小さな村では姓なんてほとんど必要なかったので、「一応あるだけ」という感じだったが。
「そうです。一度死者として登録された名前を復活させることはできませんが、別の人間として生きることはできます。……ですから、レイチェル様。生きてください」
「ローラ……」
「たとえ伯爵令嬢でなくなったとしても、私は……いえ、この城の者は皆、あなたにお仕えし続けます」
ローラに力強く言われたので、いつの間にか肩に込めていた力を抜いてレイチェルは微笑んだ。
「……ありがとう、ローラ。フィデルも、そういうふうに思ってくれればいいのだけれど」
「フィデル様は当然……いえ、これは実際にご覧になった方がよろしいでしょうね」
そう言って、ちょうどレイチェルの髪の水分を拭き取り終えたローラは「お部屋に行きましょう」とレイチェルの手を引いた。
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