第9話 天使はご機嫌斜め

 数日後、レイチェルはフィデルの付き添いで遠乗りに出かけることになった。


 暗記ものの座学はからっきしのレイチェルだが、運動神経はそこまで悪くなかったし動物にも懐かれやすい方だと判明した。よってフィデルと一緒に馬の乗り方を学び、今では一人で馬に乗り降りしたり並足で走らせたりできるようになっていた。


 昔は伯爵が帰ってきたときによくフィデルと二人で乗馬訓練をしていたそうだが、最近伯爵は腰が痛いらしくて馬に乗るのが苦痛とのことで、フィデルの遠乗りの付き添いは専らレイチェルの役目になっていた。


「フィデル様は今日の遠乗りを、とても楽しみにしてらっしゃいましたよ」


 そう言うのは、フィデルの乗馬指導担当である若い騎士だ。彼はブランケル伯爵家の私兵で今は亡きフィデルの母親の遠い親戚らしく、フィデルのことは赤ん坊の頃から知っているという。


「フィデル様、僕との練習のときには容赦なく馬を走らせるのでいつもヒヤヒヤするのですが、レイチェル様と一緒ならきちんとセーブされるんですよね」

「あの子、いろいろと分かっていてやっているからね……」


 乗馬服姿のレイチェルがため息をつくと、騎士はからりと笑った。


「それだけ、レイチェル様のことが大切なのでしょう。……そういえば最近はあまり、結婚してだの何だのと言わなくなりましたね」

「そろそろそう言うのはやめなさい、と言ったのよ。……ああ、そうだわ。ビビアンが、あなたに渡してほしいって」


 そう言ってレイチェルは、乗馬服の胸ポケットから出したものを騎士に渡した。それを聞いて彼は目を輝かせ、受け取ったものを大切そうに見つめた。


「ありがとうございます! もしかしてこれ、ビビアンの手作りでしょうか?」

「早起きして作ったと言っていたわ。……よかったわね、恋人の手作りのお菓子」


 レイチェルが茶化すと、騎士はへへ、と照れくさそうに笑った。彼はレイチェル付のメイドであるビビアンと交際しており、いずれ彼女に結婚を申し込む予定らしい。


 あまり周りに知られたくないのだがさすがにこの城の実質女主人であるレイチェルには隠せないので報告し、結婚が決まったら皆にも知らせることにしていた。


 そういうこともありレイチェルは、この騎士とメイドの橋渡しなどを進んで行っていた。二人の勤務時間はどうしてもずれるので、機会があればこうしてレイチェルが差し入れや手紙を渡したりしている。


「今日の遠乗り中も休憩時間があるから、そのときにでも食べるといいわ。感想、知りたがっていたから」

「もちろんです! ありがとございます、レイチェル様……」

「……叔母上」


 やや不機嫌そうな声が、会話に割って入った。そちらを見ると、なぜかむすっとしたフィデルがいた。


(あら! この前新調した乗馬服、すごく似合っているわ!)


 レイチェルのドレスなどは父親として伯爵が買い、フィデルの服は叔母であるレイチェルが買うことになっている。最初の頃は何を選べばいいのか分からなくてメイドに頼りきりだったが、最近ではノリノリでフィデルの服を注文している。


(やっぱりフィデルには、青色が似合う! 私の目は確かだわ!)


「おはよう、フィデル。その乗馬服、よく似合っているわ!」

「……別に」


 褒めたのに、当の本人はあまり嬉しそうではない。


(もしかして、フィデルにとってはあまり気に入る柄じゃなかった……?)


 フィデルなら絶対に気に入るはず、と思ってデザインしたので少しショックだった。

 そんなレイチェルを見かねたのか、騎士がフィデルに声をかけた。


「フィデル様、昨日は新しい乗馬服が格好いいっておっしゃっていましたよね?」

「……うるさいな。おまえ、僕に話しかけるな!」


 せっかくフォローしてくれた騎士に対してフィデルが声を荒らげたため、騎士だけでなくレイチェルも驚いてしまった。


 フィデルは、怒ったとしてもあまり声を大きくする子ではない。どちらかというと理詰めで反撃するので、こうして不快な感情を露わにするタイプではないのだ。


「こら、フィデル。今日あなたの護衛をしてくれる人に対して失礼でしょう!」


 さすがに先ほどの発言は看過できなかったので注意するが、フィデルはレイチェルをじっと見てから顔を逸らし、一人で馬の方に走っていってしまった。


「あっ……フィデル!」

「……申し訳ございません。僕、フィデル様を怒らせたようで……」

「あなたは何もしていないわ。フィデルがおかしいのよ」


 やれやれと思いながらも、おとなしいフィデルが一方的に怒った理由が分からなくて、不安になってくる。


「……どうしよう。今のままフィデルを遠乗りに連れていっても大丈夫かしら」

「止めれば止めたで、お怒りになりそうですよね。……少なくとも僕は嫌われているようなので、僕と部下の位置を交代しましょうか。そうすると僕とは少し、距離ができますし」

「……そうね。悪いけれどお願いするわ」


 騎士の提案にうなずいてみせ、レイチェルは馬の横に立つフィデルを見つめた。


(……出発までには、落ち着いてくれるといいけれど)

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