第7話 天使との出会い
レイチェルが伯爵の養女となることは書類上で
実の弟ではあるが、伯爵はサントス・ロレンソを警戒している。そのためレイチェルのことは「遠縁の娘を、孫の遊び相手として城に住まわせている」程度に伝えることになった。
伯爵はすぐに書類を作成し、王城に向かうことになった。そもそも今は社交シーズンまっただ中で、伯爵も基本的に王都にいることになっている。今は妹エミリアの死を聞きレイチェルを迎える可能性があるため、一時的に領地の城に戻っているだけだったという。
そうして伯爵を見送ってから、レイチェルはいよいよフィデルと会うことになった。
(フィデル様……どんな方かしら?)
年齢は、二歳。年齢のわりにおとなしくてとても賢い子だ、とメイドたちからは聞いている。
フィデルは、伯爵城敷地内にある別邸で暮らしている。なおそこに向かう道中、ぽつんと寂しげに立つ塔が見えた。付き添っていたローラ曰く、かつてあそこに母エミリアが閉じ込められていたという。
(……お母さん、あそこから出られて本当によかったわ)
遠目に見るだけだが狭そうな場所で、あんな場所に閉じ込められた挙げ句政略結婚の駒にされるなんて、嫌に決まっている。母に脱出を決意させた父は本当にいい仕事をしたものだ。
別邸のメイドは、「フィデル様は、お庭にいらっしゃいます」と言った。それを聞いて、胸がどきどきしてくる。
(仲よくなれるかな……? 一緒に遊べたりするかな……?)
レイチェルはあくまでも彼の叔母なので、養育の義務などはない。彼を育てるのはメイドたちの仕事なので、彼の母親代わりとしてたまに様子を見たり話をしたりするだけで十分らしい。
だが、せっかくなのだから仲よくなっておきたいし……十六年後に三十二歳になったレイチェルが用済みとなって放り出される可能性を減らすためにも、いい意味でフィデルに媚びを売っておく必要はあると思えた。
「あちらです、レイチェル様」
ローラに案内されて、緊張しつつ庭のガゼボに向かったレイチェルは……大理石の長椅子に座る少年を見つけた。
ふわふわとした金髪に、もちもちとした頬や腕の肉。近づいてくるレイチェルには気づいていないようで、ぷにぷにした手で鉛筆を握り何かを描いているようだ。
(お絵描きの途中かしら?)
邪魔をしたら悪いだろうか、と思いつつ近づくと、さすがに気づいたらしい彼がさっとこちらを見た。
――青い目が、レイチェルを見つめる。その目を見て、レイチェルは気づいた。
自分とは全く似ても似つかぬ天使のように愛らしい見目の彼だが、その目の色だけはレイチェルと同じだと。
「……だぁれ?」
天使がかわいらしい声で問うたため、はうっ、とレイチェルは胸を押さえた。
(か、かかかかかわいいー!)
「フィデル様。こちらは、レイチェル様です」
「はじめまして、フィデル様。レイチェルです」
二歳のフィデルにも聞き取りやすいようにゆっくり丁寧に挨拶をしてから、目線が合うように少ししゃがむ。
「私、フィデル様のお
「……おじいさまの、むすめ?」
なるべく分かりやすくしゃべったつもりだが、さすがに難しかったようだ。
「ええと……フィデル様と遊ぶために、来ました! これからは私と一緒に遊びましょう!」
いろいろな説明は煩わしいしフィデルを混乱させるだけだと思って元気よく言うと、フィデルは困ったように周りのメイドたちを見た。
「……ぼく、あそんでいいの?」
「もちろんですよ、フィデル様」
「レイチェル様なら、たくさん頼って大丈夫です」
「はい! 私、フィデル様と仲よくなるために来たのです。さあ、一緒に遊びましょう! 何をしますか?」
「……ぼく、おえかきちゅう」
(おっと……それもそうね!)
見ればテーブルに多彩な色鉛筆が転がっており、フィデルはそれらを使って何かの絵を描いていた。これは……風景画だろうか。
「素敵ですね。そばで見ていていいですか?」
「いいよ」
フィデルがそう言うので、レイチェルはでは失礼、とフィデルの隣に座り、彼が黙ってお絵描きをするのを眺めていた。
(……本当に、年のわりにおとなしい子ね)
村にいた二歳児といえば、ぎゃんぎゃん泣きわめくし走り回るしで、親たちを困らせていた。まだきちんとしゃべれない子も多かったので、フィデルは飛び抜けて成長が早いようだ。
(……でももしかすると、無理をしているのかもしれないわ)
両親は亡く、祖父もずっといるわけではない。誰かに甘えたくても甘えられない……という環境だった可能性もある。
(もしそうだったら、私がうんと甘やかそう!)
そうすればきっと、レイチェルがこの城に来た意味が見えてくるはずだから。
レイチェルの予想は、ある意味当たっていた。
レイチェルは本城で暮らし、フィデルがいる別邸に毎日通った。最初のうちはレイチェルが来てもさほど関心を向けてこなかったフィデルだが、だんだん「いっしょにおえかきしたい」「おさんぽにいきたい」と遠慮がちながらに要望を言うようになった。
そして半年もすれば、レイチェルが別邸に来るのを玄関で待ち構えるようになっていた。
「レイチェル、きた!」
「おはよう、フィデル」
メイドたちの手を振り払って走ってきたフィデルを、レイチェルはその場にしゃがみ込んで迎えた。
最初のうちは「フィデル様」と呼んでいたのだが、フィデルが「なんかそれ、やだ」と言ったため、口調を改めた。
フィデルも最初は、レイチェルとメイドたちの違いが分からなかったのだろう。だが今では「レイチェルには、メイドたちとは違う接し方をしてもいい」と認識したらしく、かなり懐いてくれた。
「さあ、今日も遊びましょう。何をする?」
「おにわほりほり!」
「昨日の続きね。それじゃあ、ほりほりしましょう!」
すぐにメイドたちがスコップを持ってきたので、金属製の大きい方をレイチェル、小さくて軽い方をフィデルが持ち、二人手を繋いで庭に出た。
てっきりお絵描きが好きなインドア派かと思いきや、レイチェルに心を許すようになったフィデルはなかなかのやんちゃ坊主だと分かった。最近はまっているのは「おにわほりほり」――つまり穴掘りだ。
フィデルが効率よく「おにわほりほり」できるために、前日から使用人たちが庭の土を掘り返して柔らかくしてくれている。そんなことを知らないフィデルは目を輝かせて、小さなスコップを使って穴を掘っている。
「わあ、たくさん掘れてるわね! どこまで掘るの?」
「んー、ぼくがはいれるくらい!」
「あはは、それはかなり大変ね! 私もお手伝いするわ」
「そっちおねがい!」
「了解、隊長!」
ほりほり隊長フィデルの指示を受けて、レイチェルも庭の土を掘り返す。そんな二人を、メイドたちが微笑ましげに眺めていた。
ローラは、既に村に帰っている。引っ越し完了したレイチェルと違い、彼女には向こうに家が残っている。それに、墓を移動できるようになる十年後までレイチェルの両親の墓所を守ってくれるという。レイチェルにとって二人目の母のような存在であるため、定期的に手紙のやりとりをすると約束している。
王都にいる伯爵――レイチェルの養父となった――が帰ってくるのは秋の終わりなので、それまではレイチェルとフィデル、それから使用人たちで留守番である。
休憩を挟みつつ夕方まで掘り続けた結果、フィデルが入れるほどの穴ができた。そこにシートを敷いた上でフィデルが寝そべり、ご満悦だった。
「ほりほりたのしかった!」
「そうね。今度はもっと深くほりほりできればいいわね」
「うん!」
夕日を受けてきらきらの笑顔で言うフィデルの頬に、泥がついている。レイチェルがそれを指先で拭うと、彼は「えへへ」と笑って、レイチェルに抱きついてきた。
「……ねえ、レイチェル。これからもずっとぼくと、おにわほりほりしてくれる?」
「もちろんよ」
さすがに庭掘りをするのは年齢制限がありそうだが、フィデルがお願いするなら何歳になっても付き合うつもりだ。
「レイチェルは、いなくならない?」
「ええ、ずっとフィデルのそばにいるわ」
そう言ってフィデルの金色の髪をそっと撫でると、フィデルは小さな手でレイチェルのスカートにしがみついた。
「……どこにも、いかないでね」
「フィデル……」
「やくそく!」
「ええ、約束」
天使のようにかわいらしいフィデルに求められたので、レイチェルは彼の前髪を掻き上げて小さなおでこにキスをした。そしてしゃがみ、自分から前髪を掻き上げてフィデルからの額へのキスができるようにする。
ファリノス王国で伝わる、約束のおまじない。生き物の全てを司る脳に最も近い額にキスをしあうと、その約束は絶対に叶うというもの。
(あなたが必要としなくなる日まで、ずっとそばにいるわ)
幼い甥を抱きしめて、レイチェルは思った。
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