第6話 決断のとき②

「私はただ、そなたをそばに置きたいのだ。そして……できることなら、フィデルの力になってほしい」

「フィデル……様は、ええと、私の従甥でしたか?」


 ローラから教わったことを思い出して言うと、伯爵はうなずいた。


「そなたの従甥、私の孫だ。私の息子の子なのだが、息子夫妻は去年、馬車の事故により亡くなってしまった」

「お悔やみ、申し上げます」


 慣れないながらに弔意を述べると、伯爵は「ありがとう」と優しい声で言った。


「息子夫婦の死は私にとっても辛いことだった。ただフィデルが幼すぎて、両親の死に強いショックを受けていないというのは不幸中の幸いだったかもしれない。お父様とお母様はもう二度と会えないけれどずっとフィデルの幸せを願っている、と聞かせたら、納得してくれたようだ」

「賢い子だわ……」


 思わずつぶやくと、伯爵は「聡い子だ」とうなずいた。


「私の子は息子だけだったので、フィデルが伯爵家の跡取りだ。だが、あの子が爵位を継げるようになるのは十八歳以降で……王国貴族の襲爵について、話をしてもいいだろうか」

「あ、はい、どうぞ」


 そうして伯爵が言うには、ここファリノス王国で貴族が爵位を継ぐ最低年齢が、十八歳らしい。それはあまりにも幼い当主が生まれるのを避けるためだったと言われている。


 後継者が十八歳になる前に先代が没した場合も、後継者が後見人を立てている場合は襲爵可能だ。その場合、新当主が十八歳になるまでは後見人の支援を受けながら仕事を行うことになる。


 では、後見人がいない状態で先代が亡くなった場合はどうなるかというと……なんと、幼い後継者が跡を継ぐことはできなくなる。その場合は家系図を遡って他の、十八歳以上の縁者が新当主になるという。


「だがこの状況になった場合、次代で揉めることになる」


 伯爵が言うので、レイチェルは今得た情報を必死に頭の中に落とし込んだ。


「ええと……つまり、さらに次の当主が元々後継者候補だった子になるか、それとも新当主の子どもになるか、という問題が起きるのでしょうか?」

「そうだ。新当主に自分が『つなぎ』であるという自覚と決意があるのならば次代は元の後継者の子になるが……最悪の場合、暗殺などが起きる」


 ……それは、幸運にも手に入れた爵位を自分の子に継がせるためだろう。


「だから幼い後継者を立てた当主は、同時に後見人を立てておくのがほとんどだ。そしてそのケースを我が伯爵家に当てはめた場合――今のフィデルには、後見人がいない。もし私がフィデルの十八歳の誕生日を迎える前に没した場合、伯爵位は私の弟のものになる」

「弟……もいたのですか?」

「ああ、エミリアは私の異母妹、弟のサントスは同母弟だ。……といっても、私とサントスは子どもの頃から折り合いが悪く、あいつは母と一緒になってエミリアのことをいじめていた。成人してからはずっと疎遠なのだが、万が一にでもあいつに爵位を譲りたくはないと思っている」


 そう語る伯爵は、険しい表情をしている。


 そのサントスというのはレイチェルのもう一人の伯父にあたるのだろうが、彼が母をいじめていたとなると当然、レイチェルへの当たりも強くなるだろう。


(もしかすると、その人が伯爵位を狙うかもしれない……?)


 今は不干渉らしいが、兄が没したとなると飛んでくるだろう。そうして折り合いの悪い兄から爵位を奪い――後見人のいないフィデルがどうなるのかなんて、想像もしたくない。


「そこで、だ。……私はそなたさえよければ、そなたを私の養女に迎え、同時にフィデルの後見人になってもらいたいと考えている」


 伯爵はそう言って、レイチェルをじっと見てきた。


 ……後継者の後見人は、誰がなってもいいわけではない。それでは逆に、幼い後継者を傀儡かいらいにしようとする者が出かねないからだ。


 後見人になる条件は、その貴族家系の血を継いでいることと、成人年齢であることの二つ。伯爵の姪であるレイチェルなら、両方の条件を満たしている。


「血縁上フィデルから見たそなたは、従叔母いとこおばにあたる。だがそれでは心許ないため、私の養女――つまり伯爵令嬢、フィデルの叔母になる。そうすることで私に万が一のことがあったときにも、そなたを後見人としてフィデルに襲爵させてやれる」

「えっ……ええっ! で、でも私、もし、その、万が一の場合でも、何もできませんよ!?」


 まさかこんな申し出をされるとは思っていなかったので、レイチェルは慌てて伯爵に言い返した。


「私、村の人たちよりは読み書き計算はできたけれどそれくらいで、フィデル様の後見人になっても何もできません!」

「極端な話、後見人は『いるだけ』でいい。実際にフィデルを支えることになる部下たちは揃っているが、伯爵家の縁者ではない彼らでは、フィデルの後見人になることができない。そなたはフィデルの血縁上の従叔母、家系図上の叔母としてあの子のそばにいてくれるだけでいいのだ」


(な、なるほど……)


 無能でもお飾りでもいいから、血縁関係のある者を後見人に立てる必要がある。

 それはそれで何か新しい問題が発生しそうだが、当主が生前のうちに後見人を立てておくことに意味があるのだろう。


 自分の幼い後継者を絶対に裏切らない、優秀な手駒。

 ただ生きているだけで、後継者のそばにいるだけでいい存在。


(……それが、私に提案されている「役目」なのね)


 ある意味、政略結婚と似たようなものかもしれない。


 レイチェルが考えていると、伯爵が咳払いをした。


「無論、後見人にも恋愛や結婚が認められる。ただ、フィデルの味方であるブランケル伯爵家の人間である以上、よそに嫁ぐことができない。それさえ了承してくれるのならば、どのような相手を婿に迎えても構わない」

「ええと……実は私、村でいろいろありまして。結婚にはあまり関心がないという感じでして……」


 レイチェルがおずおずと言うと、壁際のローラが気まずそうに肩をすくめた。すかさず伯爵がそちらを見たため、慌てて立ち上がる。


「ローラのせいじゃありません! 母の紹介で知り合った男性がいたのですが、そもそも私には愛情がなかったようで……あはは」

「そうか……辛かったな。その男、殺すか」

「殺しちゃだめですよ!?」


 まるで「明日は、雨か」みたいなノリで、物騒なことを言わないでほしい。


「ジョッシュのことは、もう終わっているので! ですがとにかく、何が何でも結婚というわけではないのです。……あっ、もしかして伯爵閣下もお元気なままフィデル様が十八歳を迎えられたら、私は用済みですか?」

「よ、用済みだなんて物騒なことを言ってはならない。そんなことをするわけないだろう」


 伯爵は慌てた様子で言うが、さっきの彼の方がよほど物騒なことを言ったのではないか。


「一度私の養女になったからには、フィデルにとっても庇護すべき対象となる。決してそなたに不自由な生活を送らせたりなどはしない!」

「……」


 レイチェルは、差し出された条件をゆっくり噛みしめる。


(……お母さんは、「人生には、決断するべきときがある」と言っていたわ)


 当時のレイチェルには分からなかったが今なら、母にとっての「決断するべきとき」とはきっと、父と手を取り合って伯爵城から逃げたときだったのだろうと想像できる。


 もしかすると、今がレイチェルにとっての「決断するべきとき」なのかもしれない。


『もし流されたとしても、差し出された選択肢を選ぶかどうかを決めるのは、あなたなのよ』


(……うん、そうよね、お母さん)


 レイチェルは目を閉じて深呼吸してから、目を開いた。


「……ありがとうございます、伯爵閣下。私、フィデル様の後見人になりたいです」

「お、おお……! そう言ってくれると、ありがたい。エミリアの分も、そなたを大切にすると誓おう!」


 伯爵は立ち上がり、レイチェルの両手をぎゅっと握ってくれた。


(……私は選んだわ)


 たとえお飾りでも伯爵令嬢となり、未来の伯爵を守る盾になることを。

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