第4話 伯爵城へ

 元々小さな家だったしレイチェルの私物は多くなかったので、荷造りはあっという間に終わった。


 ローラおばさんは「さすがに私一人の旅ではないので」と言って、馬車を呼んでくれた。それも、村人たちが商売のときに使う幌馬車ではなくて立派な箱形馬車だったので、物珍しさに村人たちが寄ってきていた。


「ほら、おのきおのき! それに乗るのはおまえたちじゃないよ!」


 ローラおばさんは野次馬たちを蹴散らしながら荷物を積み込み、そして最後にレイチェルが自宅に鍵をかけ、その鍵をおばさんに預けた。


 ざっと周りを見てみるが、ジョッシュの姿はない。そして村人たちも、訝しむような眼差しを向けてくるだけだ。「なぜおまえが、こんな立派な馬車に乗れるんだ」と言わんばかりである。


(私が引っ越しをすると知らせても、誰もおとないに来なかったわね……)


 むしろレイチェルとしては割り切った気持ちで村を離れられるので、ありがたかったが。


 最後に両親の墓参りをしてから、レイチェルは馬車に乗った。ローラおばさんも、持っている乗馬用の杖で「おどき!」と邪魔な野次馬を追い払い、自ら御者台に乗った。


 馬車が、動き出す。

 幌馬車なら何度か乗ったことがあるが、揺れがひどかった。だがこの馬車は見た目もさることながら内装もしっかりしており、ほとんど揺れがないためレイチェルは感動した。


(いってきます、お父さん、お母さん)


 レイチェルは窓から顔を出し、あっという間に過ぎ去っていった墓地を見やる。


(私……立派なパン焼き職人になります!)


 彼女の頭の中に、「貴族のお嬢様として悠々自適生活を送る!」なんて考えは、なかった。










 馬車での旅は、二ヶ月に及んだ。


 ローラおばさんが一人で村と伯爵城を往復したときには馬を替えつつ一人で疾走したから一ヶ月程度で済んだが、大きな馬車でなおかつレイチェルの体に負担がないように進むには、四倍近い時間が必要だった。


 途中、いくつもの町に寄った。最初は村の隣町くらいの規模だったが、次第に町は大きく立派になり、行く先々でおばさんはレイチェル用のものを買ってくれた。


 特に、伯爵領に入ってからは「相応の服を調達しなければ!」とおばさんは張り切り、おっかなびっくりするレイチェルを巨大な店に連れて行き、かわいらしい外出用ドレスを買ってくれた。


「お、おばさん、こんなにたくさん、いいの?」


 ローラおばさんがお買い上げしたドレスや帽子、靴などをびくびくしながら見ていると、会計を済ませたおばさんは呆れたように笑った。


「こんなに、なんて言うけれど、これでも最低限ですよ」


 村を出てから、おばさんは本格的にレイチェルへの態度を改めるようになって、「レイチェル様」と丁寧に呼ぶようになった。それはそれで寂しい気がするが、いつまでもレイチェルのことを隣の家のお嬢ちゃん扱いしていると、ローラおばさんが伯爵に叱られてしまうそうだ。


「ひとまず、伯爵城に着いたときに閣下の前にお通しできるくらいのものは揃えないといけません。他のものはきっと、閣下が喜んで準備してくださるでしょう」

「一介のパン焼き職人に、そんないろいろ必要ないと思うのですが……」


 今でもレイチェルは、「伯爵城のパン焼き職人」になる気満々だ。わずかな手荷物の中に、とっておきのパンレシピも入っている。


(そういえば、ジョッシュも含めて村の人はほとんど字が読めなかったわね)


 数字は分かったがそれも大きな桁の計算はできず、読み書き計算が難なくできるのはレイチェルと両親、そしてローラおばさんだけだった。


 村の人たちは、「女が賢しらぶるな」という感じだったし、母も「読み書きができることは、よその人には言わない方がいいわ」と言っていたので、あまり口にしなかった。ジョッシュも読み書き計算の話になると、「俺のことを馬鹿だと言いたいのか!?」と一人でキレていたものだ。


(それにしても……街の人たちは皆、格好いいなぁ)


 ローラおばさんに連れられて街を歩きながら、レイチェルはしみじみと感じていた。


 村ではジョッシュが一番の男前と言われていたが、この街ですれ違う若者たちと比べればジョッシュなんて、芋だった。それも、勝手にキレるタイプの芋である。

 ローラおばさんは「街にも汚い部分はありますよ」と言うが、道行く人たちは皆きれいに着飾っているし、しゃべり方にもなんとなく品があると思われる。あちこちからいい匂いがして、人の笑い声が聞こえてくる。


(あの村にずっといたら、こんな場所が同じ国にあることさえ知らずに終わっていたわね)


 レイチェルはつい物珍しくてあちこちきょろきょろしてしまうが、ローラおばさんはそれをとがめたりしなかった。それどころか、レイチェルが興味を持ったお菓子やアクセサリーなども何でも買ってくれて、申し訳なくなってくる。


「あの、おばさん。こんなにたくさんもらって、本当にいいのですか?」


 きらきら光るキャンディをかじりながらレイチェルが問うと、ローラおばさんは微笑んだ。


「もちろんですよ。このお金は、私が伯爵閣下からエミリア様とレイチェル様のために使うようにと託されたものです。エミリア様は質素倹約でいらっしゃったのを少し寂しく思っていたくらいですので、うんと使わせてください」

「……ありがとうございます」


 確かに、レイチェルのためのものを買うときのローラおばさんは本当に嬉しそうだ。元々彼女は母のメイドだったらしいし、亡き主人の娘のために金を使えることに満足している……のかしれない。











 ローラおばさんとの旅が終わったのは、春真っ盛りの時季のことだった。


「あそこに見えるのが、ブランケル伯爵城です」


 小高い丘の上で馬車を停めたおばさんが言うので、彼女に誘われて御者台に出たレイチェルは思わず声を上げてしまった。


 丘を下った先に、大きな城がある。その南側には扇形に街が広がっており、春の日差しを浴びて尖塔がきらきら輝いている。


「素敵……!」

「ブランケル伯爵城は水資源が豊かな場所に建てられており、元々は王族の避暑地だったとされています。領地は穏やかで気候も安定しており、住みやすい場所です」

「なんだかそんな感じが伝わってくるわ。……ねえ、あそこに私の伯父さんがいるの?」


 この旅の中でローラおばさんが「私のことは、使用人として扱ってください」と再三言ってきたため、今ではレイチェルは彼女への口調を改めることができていた。


「そうです。それから、レイチェル様の従甥じゅうせいにあたる方もおいでです」

「じゅうせい……?」

「いとこの息子のことです。伯爵閣下のご子息にあたる方が、あなた様の従兄です。ですがその方は幼い令息を遺されてご夫婦揃って亡くなったため、今城にいらっしゃる伯爵家の方は伯爵閣下とそのご令息……フィデル様だけです」

「フィデル様、というのね」

「はい、御年二歳と伺っています」


(二歳で、両親がいないなんて……!)


 ローラの言葉に、レイチェルは胸が痛くなってきた。


 レイチェルもまた両親を亡くしているが、フィデルはたった二歳で一人になってしまったのだ。幸い彼には祖父である伯爵がついているようだが、そんな幼い年頃で両親を亡くすなんて、辛いに間違いない。


「私のとっておきパンで、フィデル様を笑顔にできないかしら……」

「……まだパンを焼くおつもりなのですね」


 もう突っ込む気力はないようで、ローラは「行きましょう」と言って馬に鞭をくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る