第2話 思いがけない事実①

 ローラおばさんが帰ってきたのは、ジョッシュから手厳しくフられた二日後のことだった。


 昼前に家にいると馬の蹄の音が聞こえてきたため、レイチェルはすぐに家から飛び出した。予想どおり、隣の家の厩舎前に騎乗したローラおばさんがおり、レイチェルはほっとした。


「おかえりなさい、おばさん」

「ただいま、レイチェル。私がいない間、何もなかった?」


 母エミリアと同じ年頃だというローラおばさんは、非常に快活で豪胆な女性だった。移動の際にはひらりと馬にまたがって颯爽と走っていく姿は、とても格好いい。

「ローラおばさんって、きしさまみたいね」と子どもの頃のレイチェルが言うと、ローラおばさんは「さすがに騎士様じゃないわよ」と笑っていたものだ。


(……何もないどころか、ありすぎるくらいだわ)


 愛馬から降りて厩舎に連れていきながらローラおばさんが問うてきたため、レイチェルは苦笑してしまう。それを見たローラおばさんは、何かを察したようだ。


「……もしかして、何かあったの?」

「はい。ちょうどくるみパンが焼けたので、それでも食べながらお話しできたら」

「そうしましょう。レイチェルのパンは、本当においしいものね」


 最初は厳しい表情をしていたローラおばさんだが、くるみパンの話をするとふわっと笑顔になった。


 レイチェルはおばさんを家に招き、朝焼いたばかりのパンとハーブティーを出した。おばさんは「ありがとう」と言って、ハーブティーを飲んだ。


(……いつも思うけれど、おばさんってすごくきれいにお茶を飲むわよね)


 母もそうだったのだが、二人がお茶を飲んで談笑している姿は、他の村の女性たちが井戸端でしゃべっているときとは全然雰囲気が違う。どんなに会話が弾んでも二人は「がっはっは」なんて笑わず、口元に手をあてがってくすくす笑っていた。


「旅はどうでしたか」


 レイチェルが尋ねると、ローラおばさんは悲しそうに眉を垂らした。


「……エミリアのお兄様に会ってきたの。エミリアが病がちであることは知らせていたけれど、やはり亡くなったというのはショックだったようね」

「それもそうですよね……」

「そこでもいろいろ話をしたのだけれど……それより。あなたの方で起きたことを教えてちょうだい」


 レイチェルとしても、母とは絶縁状態だと聞いている実家でローラおばさんと伯父との間にどんなやりとりがあったのか気になるが、おばさんの方がこちらの状況を知りたがっていた。


 ……だからジョッシュや村人たちの反応周りのことを話した途端、おばさんの顔色が変わった。


「……なんですって? 婚約破棄!?」

「婚約破棄……と言うのですか?」


 なるほど、そういう表現があったのか……と勉強になったレイチェルだが、ローラおばさんは激昂して「あのガキ!」と叫んだ。


「エミリアがどうしてもと言うから認めてやったというのに、なんて無礼な! くっ、一度馬で蹴られないと分からないのかしら!」

「あの、いいのですよ、おばさん。私、もうなんとも思っていないし」

「私の腹の虫が治まりません! ……町長の娘だか誰だか知らないけれど、その女もたかがしれているわ!」

「あの、おばさん……」

「それに、皆も皆だわ! エミリアが作る編み物の世話になっていたのは自分たちの方じゃないの! 確かにあのガキの家からお金を借りたことはあるけれどちゃんと返したし、むしろエミリアが作った編み物製品を売ったお金でおつりが出るほどの利益を生んだというのに!」


 ローラおばさんはぷんすか怒りながらも、レイチェル特製のくるみパンは丁寧にちぎっている。彼女は、どれほど怒ってもものに当たる人ではなかった。


「やっていられないわ! ……ねえ、レイチェル。あなたは本当に、これでいいの? あなたがお願いするのなら、おばさんがちゃーんとお仕置きをしてあげるわよ?」

「いいのです。別に私だってジョッシュに恋をしていたわけじゃないし、村の人たちが手のひらを返すのも仕方ないと思っていますから」


 レイチェルは笑いながら言う。


「それに、こうやっておばさんが味方になってくれただけで私は十分です。……ありがとうございます、おばさん」

「レイチェル……」

「それから、ですが。私、正直この村にはもう思い入れがなくて……離れてしまうのも手かな、と思っているのです」


 おずおずと切り出すと案の定ローラおばさんは唖然とした表情になったので、あはは、とごまかすように笑った。


「でも、そんなの無理ですよね! 私、先月やっと十六歳の成人を迎えたばっかりですし、ここにはお父さんとお母さんのお墓もあるし。だいたい、学も手に職もない私がよそに出て生きていけるのかって話ですしー」

「……」

「……あの、おばさん?」

「……そうね。これは、巡り合わせなのかもしれないわ」


 おばさんは何やらぼそっとつぶやいてからくるみパンひとかけらを丁寧に味わい、それからレイチェルを見てきた。


「あのね、レイチェル。実は私も後で言おうと思っていたのだけれど……ちょうどいいから、今報告するわ。エミリアの実家でのことよ」

「……あ、ああ。私の伯父さんのことですか」


 当然、母の兄だという伯父に会ったことはないが、母は実家とは疎遠であるが兄のことだけは案じている様子だったのは、レイチェルも知っていた。


「そう。レイチェル……いえ、レイチェルお嬢様。あなたのお母様であるエミリア様は、ブランケル伯爵令嬢でした」

「……え?」


 いきなり呼び方を変えてきたローラおばさんに驚いていると、おばさんはきちっと頭を下げた。この村では滅多に見ることのない、「目下の者が目上の者に対して行うお辞儀」である。

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