後編
「それで、どうしてラッセル様がここにいらっしゃるのですか?」
「エミリーの顔が見たくなってな」
「ご冗談はおやめください。悪虐非道の限りを尽くした女に、今更何の用がおありなのかと言っているんです」
国境沿いの辺境の地に着いて三日ほど。
悠々たる農村暮らしを始めるため、ドレスを売り捌いて小屋や畑、その他生活必需品を買ってせっせと環境を整えていた時のことだった。
わたしをここへ追いやった本人、ラッセル第二王子。彼が当たり前のような顔でわたしの新居へとやって来たのは。
「もしかしてカレン・イーゼ男爵令嬢のことを気にしているのか。安心してくれ、彼女なら王都に置いてきた」
「――は?」
あまりにも理解不能過ぎる。
ヒロインはきちんと攻略ルートを進んでいた。そうしたらラッセルが溺愛を発動させ、彼女の傍から離れようとしなくなるのが普通なのに……置いてきたと彼は堂々と言ったのだ。
「まさか俺が彼女と婚約するとでも? 彼女は男爵令嬢、俺は王子だ。身分差をどうにかする方法はあるが彼女には教養がないからまず無理だ。もっとも、あの男爵令嬢は牢に入れられたから結婚どころではないのだが」
さも当たり前のように言葉が重ねられる。
「普通に考えたらわかるだろう。俺をそそのかし、王子と侯爵令嬢の婚約を破棄させたことがどれだけ国を揺るがすことか。当然俺もその罪を犯した一員として、廃嫡された」
「情報量が多過ぎます」
だらけていたせいか、ろくに使っていなかった頭が一気に雪崩れ込んできた衝撃の事実を受け止めきれない。
ラッセルは目を回すわたしを見て、楽しげにニヤリと口角を吊り上げた。
「じゃあ一言で言おう。俺はあの男爵令嬢はどうでもいい。わざと廃嫡されてエミリーを追ってきた。ここで二人きりの暮らしを始めるためにな」
それから彼は、「立ち話もなんだから」と自分を小屋の中に入れるよう要求し始める。
正直あまりにも怪しいし、何をされるかわかったものではないが、彼はわたしの推し。推しに頼み込まれるとわたしは弱かった。
「……わかりました。お話し、しっかり伺わせていただきますから」
「もちろん。エミリー、君との暮らしを得たいがためとはいえ、傷つけて悪かった」
ちゅ、とわたしの手の甲にキスを落とすラッセル。
その姿は乙女ゲームの中のスチルそのものだ。しかし彼が口付けるのはヒロインの手ではない――そのことに違和感を覚えながらも、わたしは思わず喜んでしまった。
だって推しからのキスなんてご褒美、嬉しくないわけがないのだから。
いつか絶対裏切られると思っていたから、ラッセルを受け入れてこなかった。
けれどもどうやらその考えは間違っていたらしい。
本当はきちんとラッセルに向き合うべきだったのだ。もしも真っ向から話していたら、彼がこんな回りくどい手段を選ぶことはなかっただろうに。
「俺はずっとエミリーが好きだったんだ。俺と目を合わせても恋しないのなんて君だけだったし、内気なところも、可愛いところも好きで好きで仕方ない。でもエミリーは全然言葉を交わしてくれない。俺たち婚約者同士だったのに、つれないとは思わないか?」
「――」
「だから、君がよそ見できないように外界から切り離してしまうことにした」
硬いソファに腰を下ろし、わたしと隣り合ったラッセル。わたしは彼をまじまじと見つめて思った。
こんなキャラだったのか、わたしの推し。
もっと正統系王子様だと思っていたのに、実は腹黒だったらしい。というかほぼヤンデレと言ってもいいかも知れない。
カレン・イーゼ嬢こそがただの当て馬で本命がわたしだったなんて、一体誰が想像できただろう?
ヒロインに申し訳なくは思う。が、投獄されている時点で、多分彼女の恋の仕方はこの世界にそぐわなかったのだ。
「追放はそのためだったと」
「俺を軽蔑する?」
「いいえ。少々愛の重い方だな、とは思いますけど、非があるのはラッセル様を無下に扱ったわたしですから」
そう言いながら、ぎこちなくも微笑んで見せる。
王子様じゃなくなっても、ヤンデレだと判明しても推しは推し。憎めるわけがないのだった。
「嫌われなくて良かった。……ところで、俺の愛の重さをこれから君に理解らせようと思うけど、いいかな」
「わたし、のんびりだらだら過ごすのが夢だったんです。本当はこの地で一人、自由を謳歌するつもりでしたが……怠惰で幸せな生活を味わせてくれるなら、いいですよ」
推しとの優雅な暮らし。想像するだけで最高だ。
悪役令嬢な自分がそんな未来を望むなんて、傲慢だけれど。
「そんなことでいいなら簡単だ」
ラッセルはまるで悪戯な子のようにニカっと笑い、頷いてくれた。
それと同時に肩を抱かれて引き寄せられる。
お互いの吐息が重なりそうなほどに近い。王子と侯爵令嬢として、護衛や監視の目があった時には決して許されなかった距離感だ。今はどちらも身分を奪われたからこそ、これほど近づけたのだろう。
それにしたって近過ぎる――と言おうとしてわたしは気づいた。自分の薬指に、彼の瞳と同じ黄金色をした輪があてがわれている。
紛れもなく、婚約指輪だった。
わたしたちは二度目の婚約を交わすことになるのだ、と実感を持って理解した。
「思う存分幸せに溺れてしまうといい。俺のことしか考えられなくなるくらいに、な」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
それからのわたしの毎日は、本当に本当にゆったりしたものになった。
念願だった食っちゃ寝生活の素晴らしいことと言ったら!! 少しふくよかな体つきになってきたような気がするので運動は必要かも知れないが、ごろごろする時間は至福だ。
ただ、その代わり、ラッセルからの溺愛がすごい。
朝目覚めたらおはようのキス、彼が働きに出る日はいってらっしゃいのキス、休みの日は膝の上で座らされて可愛がられる。
おやすみのキスももちろん忘れない。
確かに、ここまでされるとラッセルのこと以外考えられなくなって当然だ。
もうすぐ、村の片隅の教会で結婚式を執り行う。
その日が今から楽しみで仕方ないわたしは、もう彼の虜だった。単なる推しとしてではなく一人の男として、惹かれてしまっていた。
「エミリー、愛してる」
耳元で囁かれるくすぐったい言葉。
ラッセルの膝の上で気持ち良く昼寝をしている――ふりをしながらわたしは、どこまでも甘い彼の愛に浸るのだった。
追放された怠惰な転生令嬢の幸せ 〜わたしに婚約破棄してきた王子(推し)は、腹黒だったようです〜 柴野 @yabukawayuzu
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