追放された怠惰な転生令嬢の幸せ 〜わたしに婚約破棄してきた王子(推し)は、腹黒だったようです〜
柴野
前編
普通、冤罪を突きつければ必死に自分の無実を叫ぶものだ。
そうでない者は俯き、言い返せない己に憤るだろう。
しかしわたしはどちらでもない。壁に背中を預けて立ち、真正面を見据えるだけだった。
「失望したぞ、エミリー。まさか彼女――カレン・イーゼ男爵令嬢に悪虐非道の限りを尽くしていたとはな!」
一人の男がわたしを声高に糾弾していた。
美しい青髪に金の瞳をした彼は、この国の第二王子にしてわたしの婚約者。と言っても、もうとっくの前に他人同然だったけれど。
カレン・イーゼとは彼の隣にへばりついている薄紅の髪の少女のこと。
わたしは今、彼女を虐げたとして断罪されているところなのだった。
「言い訳もできないか。哀れだな」
「……言い訳など面倒なことは致しません」
そう、もう一切無意味な努力はしないと決めたのだ。
だから言い返すなんてことはない。
「ふん。何を言うにせよ言わないにせよ、罪状に変わりはない。エミリー・エヴァンス侯爵令嬢。貴族籍から除籍の上、国境沿いの辺境への追放処分とする!」
王子が何か言っているが、正直なところどうでもいい。
カレン・イーゼ男爵令嬢がざまぁ見ろとばかりにニヤリと笑っても、悔しいとも腹立たしいとも思わなかった。
――ヒロインさん、あとはお好きにどうぞ。わたしもわたしでぐぅたらのんびり過ごすから。
薄紅色の髪の彼女へと心の中で呟いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
わたしがエミリー・エヴァンとして目覚めたのは今から十年も前になる。
いわゆる転生というやつで、意識を失って次に目を開けたら別人、しかも子供になっていた時は腰を抜かして驚いたものだ。
前世はくたびれたOLだった。
両親は極貧。自分は人並みに暮らしたいとひたすら勉強を頑張り続け、やっとの思いで有名大学に通えたのに、就職活動がうまくいかなくてブラック企業に勤めることになってしまった。
職場でいくら努力しても無駄。些細なミスを叱責され、上司からますます仕事を押し付けられるばかり。
そんな中での唯一の楽しみが乙女ゲームだった。
イケメンたちの甘い囁き声に癒されることでズタボロな心をどうにか保っていたのだと思う。あまりにも忙し過ぎるおかげでリアルでは恋人を作ろうなんて考える余裕もなかったから。
激務で倒れそうでも乙女ゲームだけは欠かさなかった。
その代わり日に日に睡眠時間が失われていって……。
結果、通勤途中に過労死。
けれどもわたしは幸運にも第二の人生を得た。
ここは前世でハマっていた乙女ゲームに酷似した世界であり、エミリー・エヴァンというのはヒロインをいじめて断罪される役回りのキャラ、つまり悪役令嬢だった。
よりにもよってヒロインじゃなく悪役令嬢になってしまったのかと残念に思ったけれど、だからと言って、断罪される未来を回避する気は全く起きなかった。
かと言ってヒロインのための当て馬としてわざわざ悪役になる必要性もない。
だって腐っても貴族のお嬢様。
だから――――。
(今世こそ、だらだらできる)
もう二度と意味のない努力も無理もしてやるものか。
わたしは第二の人生をただひたすら怠惰に生きようと決めた。
第二王子ラッセル・パット・ダヴェンポント。
乙女ゲームで言えばメインヒーローである彼と婚約したのは十歳の頃のことだ。
本音を言えば断りたかった。王子の婚約者なんて間違いなく面倒臭いし。
でも王家からの打診だったので断るに断れず、引き受けることにしたのだった。とはいえ真面目にやるつもりは最初からなかったので、適当にやり過ごしていたが。
幼少期は毎日のようにラッセル王子が構ってきた。
「エミリー、可愛い顔をもっと俺に見せて?」
「一緒に外で遊ばないか」
「パーティーに参加しよう、二人で」
「……傍にいさせてくれないか。それだけで俺はもう、満足だから」
エミリーの容姿は美しい。もしかすると一目惚れでもされたのかも知れない。
そう自惚れそうになってしまうくらい、彼は積極的に距離を縮めてこようとするのだ。
面倒臭いのでそれに応えることもなかったが、積極的に拒まなかったのは彼が王子だからという理由の他に、わたしの推しだったからというのもある。
プレイしていたのは彼のルートばかり。グッズを買ったりするほどの余裕はなかったけれど、その整った顔立ちと心地の良い声がたまらなく好きだった。
でも、だからと言って彼を自分のものにしようだなんて思わない。
あくまでヒロインにとっての攻略対象であり、悪役令嬢のわたしは将来見捨てられる可能性が高いと考えていた。
うっかり好きにでもなってしまったら傷つくのは必至だ。故に最初から相思相愛なんていう関係にならないように細心の注意を払ったのである。
王子は長らくわたしへアプローチを続けていたものの、十五歳に学園に入学すると同時、わたしから離れていった。
(所詮はそんなものだよね。……それにしても学園か。わたしも入学しなきゃいけないなんて、嫌だな)
王立貴族学園。
貴族子女が集い、勉学に励む場所。そして乙女ゲームの舞台でもあった。
本当は仮病でも使って登校拒否したいところだ。でも、貴族としてのしがらみ上そうもいかない。
渋々ながら学園生活を始めたわたしは他の令嬢とつるむことなく、教室の隅でだらだらと読書ばかりしている独り者になった。
あのような怠惰な令嬢が殿下に相応しいのか、なんてひそひそ声が聞こえてくることも多かったが、それらは全無視。
できるだけ王子に、そしてヒロインに関わらないように過ごしていたはずだったけれど。
いつ頃からだろう。ありもしないわたしの悪行とやらが聞こえるようになったのは。
男爵令嬢カレン・イーゼ。
乙女ゲームのヒロインにして、わたしが二年生の時に転入してきた彼女は、わたしにいじめられたと言い出したらしかった。
「ごめんなさいね、エミリー様。でも仕方ないのよ、あんたは悪役令嬢で、私は
おそらくは彼女もわたしと同様の転生者なのだと思う。
彼女の言い分は正しい。いじめを捏造するのはやり過ぎだと思うけれど、グッドエンドを迎える過程で必要なイベントだから、起こさざるを得ないのもわからなくはない。
ともかく。
何もしないでだらけていただけだったわたしは、知らないうちに立派な悪女だとまで噂されていた。
(まあいいか、それでも)
ラッセル王子に断罪される日も近い。
そう思っていたから、約一年後、嫌々ながらに参加した卒業パーティーで糾弾されても、全く驚かなかった。
パーティーなんていうものは退屈だ。
初めて足を踏み入れた時はキラキラした世界に少し憧れを持っていたけれど、それもすぐに失せたくらいにつまらない。
様々な貴族の思惑が交錯し、婚約者のいない令息たちから品定めするかのような視線を向けられる。
どれだけ美しくお綺麗に着飾っていても誰もかもが野心の塊。それは卒業パーティーも一緒で、うんざりしていた。
皆、在学中の交友関係を今後の社交に役立てようとしているのだ。だから楽しい思い出を語り合っているように見えて実際は自分のことしか考えていない。
誰とも共有する思い出も交友関係も持たないわたしは、壁にもたれかかって文字通り壁の花になっていた。なぜって、エスコートしてくれる婚約者が傍にいないから。
そんな時、第二王子のラッセルと男爵令嬢カレンが揃って入場してきた。
(――やっぱり)
ふわふわとした乙女チックなドレスを纏い、薄紅の髪を揺らす可憐なヒロイン。そして貴公子然とした煌びやかな衣装を着込んだラッセルが隣に並び立つその光景は、かつて乙女ゲームのスチルの一つで見たなと思い出す。
ということは。
「この場を借りて話したいことがある。エミリー、前へ出ろ」
あれほどわたしに擦り寄ってきた王子は、すっかり変わってしまっている。今はヒロインこそが彼の最愛なのだから当然か。
ああ、面倒臭いことが始まった。そう思いながらわたしは言った。
「いいえ、ここでお聞きします」
「…………まあいい、そんなことより。失望したぞ、エミリー。まさか彼女――カレン・イーゼ男爵令嬢に悪虐非道の限りを尽くしていたとはな!」
多くの生徒からの蔑みの視線がわたしに突き刺さる。
わたしは唇を固く引き結び、すまし顔でそれらを受け流しながらラッセルに言葉を返した。
どうせ何を言ったところでこの断罪イベントの内容が変わることはないだろうから、余計な口出しをしようとは考えもしない。
推しの顔を拝めるのも今日で最後か、などと少し残念に思うだけだ。
そして案の定、辺境への追放が言い渡されて。
わたしは近衛兵によってパーティーから連れ出され、小さな馬車に押し込められることになった。
小さくても罪人用のものではなく、座り心地の良い馬車だったのはラッセルのほんのわずかの優しさだろうか。
これでゲームのシナリオ通り。ラッセルルートを攻略したらしいヒロインは彼と結ばれ、幸せになることだろう。
しかしわたしは乙女ゲーム終了後の世界で自由な日々を謳歌してやる。
だから問題ない、そのはずだった。
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