色づき
「その本、私も気になってたんだよね。」
気になる人。朝、誰よりも早く登校して、本を読んでる男の子。私はほんの少しだけ、嘘をついた。その人に近づくために。なんで気になったのか、私の好きな本を読んでいたから、単純だった。
クラスではあんまり目立たない。でも、グループワークやクラスの何か決め事の時には必ず意思表示をする。どこか不思議で、でも自分の世界がちゃんとある人。友達もちゃんといて、ひとりぼっちではないけど、彼の雰囲気は独特、この一言に尽きた。
クラス替えの当初、彼は私の目の前の席で、プリントやテストを回す度、「お願いします。」「ありがとう。」をいう人。丁寧な人だなが第一印象だった。
私が好きな本に描かれた物語は、どこか儚くて、美しくて、でもどこか闇のある話。あらすじも読まずに、表紙の美しさに惚れて買った一冊だけど、手放すなんて考えられない、大切な一冊になった。その本を読んでいた男の子。私にとって、その瞬間にその人が特別になったのは、言うまでもない。
何か、始めたかったのかもしれない。終わってしまうとしても、つまらない日々が少しだけ色づくように、始めたかっただけだったのかもしれない。それでも良かった。あの人の読書のペースは三日で一冊。話しかけるなら三日が勝負。そう思って、私は布団に潜って、何度も頭の中でシュミレーションを続けた。
「これ、いい話だよね。」は、読み終わってない人には違うか。
「それ、どんな話なの?」も、なんかどうでもよさそうかな。ていうか、説明する手間をかけさせてしまう、却下。
頭を悩ませているうちに夢の中に落ちる。
夢の中には、考え続けたその人が出てくる。窓際の席で、読書をする、少し猫背で、知的な男子。そんな人に私はなんて声をかけるだろう。口は動いて、でも、なんていったかは分からない。その人はこっちを向いて、何かを答える。話したこともないのに、夢はどこか現実に近い気がした。もっと入り込もうと、集中しようとした瞬間に弾けて、目が覚める。
六時、その人に声をかけるのに早く行くためには起きなければならない時間。ワクワクと、不安ととが混ざった重たい体を起こして、クローゼットまで歩く。いつもより気合を入れる日に着るお気に入りのセーターに手をかけた。
教室に入る前に一呼吸。どうしようもなく、緊張しているのを感じる。朝の学校は静かだからこそ、落ち着かない。しんと静まりかえった廊下に、時折ひびく風が窓を揺さぶる音が、自分の鼓動の音と重なり、胸をざわつかせる。いざ、勝負。そんな気持ちで教室の扉に手をかけて、音を立てないように慎重に、でも自然に滑らかに、横にスライドする。
目に映るのは、朝の澄んだ空と光に包まれた、柔らかい雰囲気の教室で、ただ淡々と、でもほんの少しだけ愛おしそうに本を見つめる姿。夢と同じような、でも夢よりもっと目を惹く彼の姿。教室には私と君と二人きり、少しの緊張と、ミッションを遂行しなければという使命感で自分の席まで足を進める。
また、一呼吸。今日じゃなくてもいいんじゃないか。また、次の機会に。そんな言葉で逃げたくなる心に酸素を送る。勇気を出せるように。よし。荷物を置いて、彼の席の前に回り込んで、何度も練習した名前を思い出して。
「アラキくん、おはよう。早いんだね。」
笑顔で、自然を装って。彼は、少しびっくりしたように本から顔をあげ、そして、ほんの少し微笑んで、
「イイジマさんもね。おはよう。」
すぐに本に戻りそうになる彼の視線を留めたい。その一心で、次の言葉を紡ぐ。
「その本。」
また、顔をあげた彼の瞳に疑問符が見える。怖気付く心に負ける前に、
「その本、私も気になっていたんだよね。」
嘘をついた。気になっていたんじゃなくて、好きで。もう、読んだことがある本なのに。それでも、興味を持って欲しくて。教室に来るまでに何度もしたシュミレーションでも、一度も出てこなかったセリフが口から出ていた。
今度は、彼の表情に少しだけ明かりが灯った。
「そうなんだ。結構いい本だよ。イイジマさんも読書とか好きなの?」
「まあ、たまにかな。最近はあんまりできてないんだけど。」
「そうだよね。俺も、あんまり読めてなかったんだけど、朝の、この時間だけは集中できるから最近は読んでるかも。」
知っているけど、知らないふり。
「ほんと。私も今度、本持ってきてみようかな。」
「いいね。」
ここで終わらないための、次の約束。
「おすすめ、教えてくれない?」
少し、視線が動く。考えている。なんて返ってくるか。ほんの少しの間で怖く、苦しくなる。
彼の声が紡がれる。
「今度、嫌じゃなければ、貸そうか?」
予想以上の答えに、私は衝撃で息が止まりそうになる。でも、不審がられる前に、少し不安顔の彼に返事を。
「嫌じゃない!ていうか、嬉しい。お願いします。」
「良かった。」
彼が微笑む。
少しの間、無言の時間が流れる。私は、頭に染み渡った幸せで跳ねそうになるのを我慢して、
「邪魔してごめんね。」
と。
自分の席に戻る。
椅子を引く音が教室に響く。
腰を下ろして、自習道具でも出そうかと、リュックを開けようと屈んだ瞬間。
「全然邪魔じゃないよ、読書好きに出会えて嬉しいし。明日、おすすめ持ってくるから。ありがとうね。」
起き上がって前を見る。そこにはいつもの猫背姿。少しおかしくって、声に出さずに口角が上がる。
律儀で、真面目で、丁寧な人。
この人がどんな人か、私とどんな物語を紡ぐのか、私の拙い想像力じゃわかりっこないけれど。
ほんの少しの期待を春の訪れにのせた。
春の夢 霜月 偲雨 @siyu_simotsuki_11
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。春の夢の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます